10:ジゼルの願い
友達の白猫のジゼル。
彼女に蒼願の魔法をかけるために、僕は長い呪文を唱えた。
自然と目を固く閉じて言葉を紡ぐ。
それは……
祈りを捧げる行為に似ていた。
魔法をかける時、系統によってそれぞれの神様に呼びかける。
力を貸して下さいと。
白の魔法なら女神セルフィーダに。
黒の魔法なら神ガレオンティウスに。
蒼の魔法は他と大きく変わっていた。
神様ではなく『メアルフェザー様』に呼びかけるのだ。
たいそれた人なんだろうけれど、よく分からないその存在に、僕は『力を貸してください、お願いします』とはあまり思っていない。
どちらかというと『貴方の力を借りてどうにかしますので、見ていて下さい』と思っている。
今回もジゼルに魔法をかけると決めた瞬間に、絶対僕の手で幸せに導くと決意していた。
その気持ちを強く強く呪文に込める。
すると僕の気持ちに応えるかのように、魔法陣が蒼く色づいた。
そして瞬く間に、まばゆい光を放ち始める。
美しい蒼色で埋め尽くされるこの光景は、泣きたくなるほど儚げで幻想的だ。
目を閉じている僕でもその色を感じ取り、小さくほほ笑んだ。
ーーーーーー
魔法をかけ終わってから瞼をそっと上げると、僕と同じ年ぐらいの女性に変身したジゼル立っていた。
彼女が呆然としながらポツリと呟く。
「……人間になれた? ……っ!!」
ハッとしたジゼルがすばやく自分を見下ろすと、頭やお尻をペタペタ触る。
ちゃんと人間になっているのか確かめているようだ。
彼女にはもう、耳や尻尾は生えていなかった。
猫のジゼルの名残りがあると言えば、首元に残った黒いベルベットのチョーカーだけ。
ジゼルは緩くウェーブした白いロングヘアに、優しげな青い瞳の美しい女性になっていた。
白いワンピースもサイズが合ったものに変わっており、ジゼルが動くたびにスカートが楽し気に揺れる。
「ディラン…………ありがとう!!」
感極まったジゼルが僕に抱きついてきた。
「ッジゼル!? 人間の大人になったんだから、好きな人……ウィリアム以外に気軽に抱きついたらダメだよ!」
僕は少し赤くなりながら、彼女の体をそっと押して引き離す。
「!? そっか……そうだよね……」
ジゼルが真っ赤になってオロオロした。
背が高くなった彼女の愛らしい顔は、以前よりも僕の近くにあった。
だから照れている様子もよく見える。
「あれ? ジゼルの成長した顔って、だいぶ子供の時と違うね」
「……そう? 髪も白いし目も青いでしょ?」
大人になったジゼルは、精神も成長したのかずいぶん落ち着いて見えた。
顔立ちも少女の時に比べて、おっとりしたものになっている。
例えば大きな釣り目だったのに、二重の幅が広い丸い目になっていたりした。
子供の時の面影が残らないタイプなのかもしれない。
そんな彼女が〝あっ!〟と驚いた表情をした。
「そうだ、ウィリアム! ……ディランも来て!!」
ジゼルは言うが早いか、僕の手を取って店を飛び出した。
「何!? どこに連れて行く気!? せめて鍵をかけさせてっ」
慌てて店先の鍵を閉めた僕は、待ちきれないジゼルに引っ張られるようにして走った。
「ウィリアムのところに行くの!」
彼女は前を向いたまま叫んだ。
「…………」
僕までウィリアムに会う必要なんて無いはずなのに、何も言い返すことが出来なかった。
その固く握られた手から、彼女の不安な気持ちが伝わってきたからだ。
ジゼルは何で、人間になっても焦っているのだろう?
必死に走る彼女の背中を見つめながらも、僕の中で嫌な予感が膨らんでいった。
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ジゼルはある家の門の前でようやく止まった。
あれだけ走ったのに息一つ切らしていない彼女は、振り返って僕の様子を心配そうに窺う。
僕は大きく肩で息をしながら、ウィリアムの住む家を見つめて唖然とした。
「ハァ、ハァ……ここ!?」
ウィリアムが僕と同じ魔術師だとは聞いてたけど、こんな大きな屋敷に住んでるなんて……
僕はアイアン製の門の奥にある立派な豪邸を、ゆっくりと見回した。
それが終わると、さっきから僕を見つめているジゼルと視線を合わせた。
途端に彼女の表情が沈んだものに変わる。
「ディランも一緒に来て欲しいの」
つないでいる手を、ジゼルがギュッと力強く握った。
「え?? …………うん」
本当は〝なんで?〟と聞きたかったけれど、今にも泣きそうな彼女に聞くことは出来なかった。
僕の返事に安堵したジゼルは、意を決して扉の内側にいる門番に話しかける。
「……あの、すみません。ウィリアムに会いに来ました……」
「こんな夜分に何のーーって、ジ、ジゼル様!?」
ジゼルを目にした門番が、目をこぼれんばかりに見開いた。
「どど、どうぞっ!」
そして慌てて門を開けて通してくれる。
「……ありがとう」
ジゼルは僕の手を引いて、屋敷の中へと入っていった。
「ッジゼル様!?」
「えぇ!?」
「なぜジゼル様が!?」
ジゼルは屋敷内の廊下をズンズン進んだ。
行く先々ですれ違う人たちが、皆一様に慌てふためきジゼルを眺める。
そんな彼女の後ろにくっついて歩く僕は、段々と分かってしまっていた。
「ジゼル……君は……」
ーー僕たちは大きなホールを横切った。
そこの壁には、男女2人の立派な肖像画が飾られている。
絵の中の女性は、ジゼルの今の姿にとても似ていた。
白い髪に青い瞳の、美しい女性……
「君は、ただ単に人間になったんじゃないんだね」
ーー前を行くジゼルに話しかけても、何も返ってこなかった。
彼女はただウィリアムが居る場所を目指して、一心不乱に足を進める。
それでも僕は、泣きそうになりながら言葉をかけた。
「ジゼルは……飼い主のウィリアムの願いを叶えるために……」
ーーすれ違う人たちの中に、白いローブの人が増えてきた。
その人たちもジゼルを見て、戸惑いの表情を浮かべる。
「ウィリアムの奥さんの〝ジゼル〟になったんだね」
「…………」
僕がやっとの思いで言い切ると、ちょうどジゼルが立ち止まった。
僕も彼女にぶつからないように、静かに足を止める。
ジゼルの目線の先には、大きな扉の前で立ち尽くす壮年の男性がいた。
白いローブ姿の彼は、ジゼルをじっと見つめて動けないでいる。
動揺で瞳を揺らすその男性が、ゆっくりと口を開いた。
「……わたしの母親であるジゼル・フォグリアの、若い頃にそっくりな貴方は誰だ?」
男性が震える唇で言葉を発した。
するとジゼルは、男性と……そして僕にも返事をするかのように答えた。
「私はウィリアムの飼い猫だったジゼルです。今は蒼願の魔法でジゼル・フォグリアになりました。ウィリアムの願いを叶えるために!」
彼女の凛とした声が響き渡った。




