月花粉症
花粉症の季節がやってきた。
日本では二人にひとりが悩まされるといわれている花粉症に、私はかかったことがなかった。
研究室は埃まみれで、私は毎日それを吸い込んでいる。ゆえに異物に対する耐性がついているのだと思っていた。
しかし今年、生まれて初めてのそれにかかった。
今年は花粉の量が異常なのだろうか?
「千武原博士!」
私の名を呼びながら、室長が血相を変えて飛び込んできた。
「大変だ! 月の花粉症が地球を侵略しに来ている!」
意味がわからなかった。
「月に花粉症があるのですか?」
「正確には花粉ではなく、埃なのだが、花粉症と同じような症状を人体に引き起こすんだ」
「なるほど……。それで、私も……ックシュ! ……しかしなぜ、月の花粉症が、ズルル……地球に?」
「それを君に調べてもらいたいのだ」
「そんなこと言われても、私の専門は……フニャチン治療薬の開発ですが?」
それでもどうしてもと頼まれ、私は調査に出た。
調査団は主にNASAの研究員で構成された。
フニャチン治療の研究者は私だけだった。
「地武原博士、なぜ、あなたが我々の一団に?」
「知りません……ックシュ!」
そういうほかなかった。
我々調査団は月へと旅立った。とりあえず月に行けば何かわかるだろうと思ったのだ。
月にはウサギがたくさんいて、我々の宇宙船を出迎えた。
「ようこそ、月へ」
私はあまり驚くことなく、挨拶をした。
「こんにちは」
月に風は吹かない。
ゆえに月花粉症を引き起こす埃は地表に降り積もったままだ。
この上を人が歩けば人間の髪の毛の直径の1/50程度の小さなその埃は舞い散って、針のように尖った形をしたそれは宇宙服を貫通して器官に入り込む。
吸い込んでしまった人間はちょうど花粉症のように、クシャミや鼻水、涙が止まらなくなるとのことだ。
しかし我々調査団は全員Electrodynamic Dust Shield加工をされた宇宙服を着ている。
よく知らないが、NASAの開発した、電磁力で月の埃を除去する効果があるそうだ。
「あっ。くそっ。全員Electrodynamic Dust Shield加工のされた宇宙服を着てやがるな?」
ウサギたちが悔しそうに地団駄を踏んだ。お餅はつかなかった。
「──すると君たち月のウサギが地球に月の埃を送って寄越していたのかね?」
私が聞くと、ウサギたちは悪い笑顔を浮かべ、言った。
「そうさ! 月の花粉症にして、地球人を全員フニャチンにしてやりたかったのさ!」
「月の花粉症とフニャチンにどういう関係が?」
「ぼくたちは全員フニャチンだ」
ウサギは胸を張り、言った。
「だって月で生活してるからね。月の埃を吸い込めば、オスなら誰だってフニャチンになるものさ」
私は試しに好みの美女を思い浮かべ、男として奮い立ってみようとした。
……ダメだった。こともあろうにフニャチン治療薬の研究者であるこの私がフニャチンになっている。どうやら月の埃にはほんとうにそんな効果があるようだ。後々学会で発表することにしよう。
私はかわいそうなウサギたちを前に、雄弁に言った。
「この私が来たからにはもう大丈夫だ。まったく……月というのは無慈悲な夜の女王だな。ウサギたちにひどい仕打ちをするものだ。しかし私が君たちを自由にしてあげよう」
「ほんとうですか!?」
「我々は独り立ちできるんですか!?」
そしてウサギたちは元気に独り立ちをした。
私は月の英雄として彼らから祀り上げられ、とびきり大きなクレーターのひとつに『チブハラ山』という名前をつけてもらった。