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くようばこ ひとつめ  作者: 狩人タヌキ
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第8話

「――ンク、ンクッ、プハァ~~~~……いやぁ~、食った食ったぁ~っと♪」


 ドンと小気味の良い音を鳴らしながら大椀をカウンターテーブルに置いて満足そうに腹を摩るハンスは、初めてこの街を訪れた二年前からの馴染みの店であり、絶品通りの奥に潜む隠れた名店でもある『東宝麺屋(ドンバオミンウー)』にて、今まさに名物の『美金宝麺(メイジンバオミン)』を食べ終えたところだった。


 『東宝麺屋』はその名の通り、大陸の東を統べるルーメルニー大公国の更に東、あらゆる生命を寄せ付けない砂漠地帯を越えた先に存在する大国の伝統料理を提供する店である。


 その為、パッと見は十席程度の狭い酒場のような店の内装も、扱う料理と同じ別文化の雰囲気が漂っていた。


 例えば、昼間でも陽の当たらない店内を照らすのは、植物の繊維で作られた薄紙を使用した箱状の壁掛け燭台で、ただ裸の蝋燭を使うだけの灯りとは異なる柔らかい光が放たれていた。


 その燭台や机、椅子などの各種調度品は上質な木材で作られており、円の中に白と黒で塗り分けられた魚が居るような不可解な紋様や、蛇の胴体に短い四肢と厳めしい髭面に鹿の角を持つ幻獣、孔雀と鷲を足して二で割ったかのような何処か威厳漂う幻鳥などが刻まれている。


 そんな異国情緒溢れる店内に、客は現在ハンス一人だけ。


 時間的には食事時過ぎの店員が休憩に入るかという頃合いなので、さして不自然でも無いが。


「毎度毎度良い腕してるぜ、ジィさん。これならもっと表の方で店構えたって、全然やっていけるだろぉに勿体ねぇ」


 カウンターに両肘を着いて寛ぎながら何度目かになる言葉を投げ掛けるハンスに、髪に白が混じる店主は一度視線を上げただけで再び作業に戻った。


「フフフ、冗談だよ。ココが移っちまったら、折角の隠れ家が無くなっちまうからなぁ」


 そう言って立ち上がったハンスは硬貨を一枚置いて席を立つと、そのまま進んで扉の前に立ち止まり、ドアノブを回しつつ首だけで振り返った。


「こんな時間に押し掛けちまって悪かったな、ジィさん。今度もまた一杯ヨロシクな」


 店主はヒラヒラと手を振るその背中が扉の向こう側に消えるまで見送ると、


「……釣り……忘れてるぞ……」


 カウンターに置き去りにされたエルレンブルク金貨を摘まみ上げてぼやいた。


 扉の外へ消えたハンスの耳にその蚊が鳴くような小声は届かなかったが。


「さぁてっと……これからどぉすっかねぇ?」


 狭い店内に相応しく、二つの建物の隙間に収まるよう造られた『東宝麺屋(ドンバオ・ミンウー)』の扉を後ろ手に閉めた所で、ハンスは食べ歩きで膨れた腹を摩りながら薄暗い路地を見渡した。


 そこは確かに陽の光が届かない寂れた雰囲気を漂わせているが、彼がこれまで見てきた国と違い、貧困に喘ぐ浮浪者どころか家々から垂れ流される汚物やその臭いすらも存在しなかった。


 もし此処が他の連合諸国や三大国だったら、貧民街(スラム)と呼ばれていたであろう裏路地がこのような状態なのは、半世紀前の王国に現れた賢者の知識と、セフィロティアが施行した新政策の賜物――勿論、王国騎士団による日頃の警邏任務も治安維持に貢献しているが――だった。


 その賢者は後の世に『救国の賢者エアレーズング・クルーガー』と呼ばれ、大陸内には存在しなかった革新的な知識や技術によって、当時の王国に蔓延していた伝染病を根絶し、その功績を称えられて王国に召し抱えられた人物なのだが、四十年ほど前に教団から異端認定がなされた事で王宮を去っている。


 だが、彼が残した知識は彼の『知識は活用されてこそ価値がある』という思想と王宮の協力によって民間にも広く普及しており、それによって高水準の衛生環境を整える事が疫病予防に於いて最重要事項であるという認識が、王国全国民の共通認識となるまでに至っていた。


 また、彼の指導で郊外に建てられた下水設備とそれを中心に街の地下で樹形図を描く地下下水道により、街中の下水に対して万全の処理体制が整えられている。


 こうした衛生環境に対する意識改革と的確な施設整備により、他国のように糞尿を窓から道路へ廃棄するなどといった最悪な下水処理が行われる事は皆無となっていた。


 以上の経緯で国内の美観が隅々まで保たれているのだが、浮浪者が見当たらない状況は内政手腕にて頭角を現している第一王女が打ち立てた『雇用政策』に因るものだ。


 具体的には街を見回る騎士達に命じて城下の浮浪者を集め、彼らを国家雇用の農業者、若しくは商業者として身分を保証した上で雇い入れ、国が指定した場所での開墾作業、及び農作業やそこで収穫された作物の売買などを行うよう指示したのだ。


 元々、賢者が掲げた知識普及の為に建てられた孤児院併設の国立学校と、卒業者への雇用制度によって、そもそも浮浪者となる人間自体が年々減りつつあったのだが、三年ほど前に施行されたこの政策によって、将来貧民街の住民となる可能性が高かった子供達だけでなく、戦で焼け出された民や、戦の間接被害で失業してしまった者とその家族などの既に貧民街の住民となってしまった者達も激減し、住民減少による貧民街の縮小化に伴って街全体の治安は劇的に向上した。


 実は、幼い頃に国王に連れられて以来、御忍び城下視察の常習犯となった王女殿下が、父や兄達、街に常駐している騎士達などに無用な心配や迷惑を掛けないよう、狙って施行したのだと言う噂が一部で流れていたりするが。


 とは言え、それで完全に街が浄化されたわけではないらしく、殺人を始めとした重犯罪歴があると疑われる者や他国から流れ着いた異邦人――特に教団の息が掛かっていると疑われる者などは流石に採用されない為、今も極僅かに残る貧民街はそうした王国にとって本当に危険な人物達の隠れ家となっているとも噂されている。


 しかし、新たな開墾地域の農村にも国家管理の孤児院と教育施設を建設する事で、教会に預けられて教団の一構成員となってしまっていたであろう子供達を王国の一市民とし、教団の勢力増強の阻止にも成功している。


 他にも、王国設立当時から賢者と言う才人が台頭していた影響で実力主義の傾向が強い為、適正次第では王国騎士団の見習い騎士(エクスワイヤ)や文官、若しくは使用人として王宮で雇い入れられる可能性も有り得るのだが、大抵は農商どちらかで雇われる上にあくまで仕事の方針は国家が定め、賃金も働き如何に関わらず一定値が国家から支給される形式になっている為、本職の農業者や商人などは『自分の働きの分だけ成果が得られる方が遣り甲斐がある』という事で、雇用者が増え過ぎるという事態にもならず、上手いバランスが保たれていた。


 そんな背景で小綺麗に整備されている裏路地に、この街に来たばかりで事情を知らなかった当時のハンスはそれなりの違和感を覚えたものだが、慣れてしまった今では特に何か思う事も無いまま陽が射し込む出口へと視線を移していった。


「んー、いい加減満腹だし、どっかで昼寝でもするかねぇ……」


 既に少しばかり西に傾きつつある太陽に照らされた表通りは、南端の港と街の中心部を繋ぐ位置にある為か、下船したばかりで昼食を食べそびれたらしい乗客や船員達の歓声や明るいお喋りで溢れている。


「……って言ってもドコが良いかねぇ? あんまり歩くような場所だと流石に目が覚めちまうし……かと言って寄宿舎じゃ――


 そこまで口にした所で、ハンスは皮肉気に片頬を吊り上げた。


「――アンタみたいに無粋な奴に邪魔されちまうからなぁ?」


 まるでハンスの行く手を塞ぐように路地の出口に現れた人物は、青緋の騎士制服に身を包んだ麗しき男装騎士様だった。

 正確には見習い騎士(エクスワイヤ)だが。


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