第62話
――傾いた月が見下ろす中、無残に破壊されたキャリッジが横たわる森の街道にて……
「……それにしても素晴らしい力ですねえ。まるで嵐の狩猟団だ。フフ、フフフ」
愉快愉快、と笑い続けるルチアーノの呟きは、確かに彼の眼前に拡がる惨状への感想としては適しているのかもしれない。
キャリッジの灯りの元に居る彼の眼では詳細までは捉え切れていないが、暗い街道には十を超える聖騎士が身動ぎ一つせず倒れており、彼らが乗っていた騎馬達も半数以上が逃げ去り、残った数頭も恐怖に気が立っているのか短い嘶きを繰り返しながら地面を掻いている。
まるで、嵐にでも攫われて打ちのめされたかのような有様だが、大司教にとっては自身が確保した精霊の存在を裏付ける吉兆として映っていた。
「北部の古い神話には死者を使役する嵐の神が居るそうですが、彼の者が率いた狩猟団はまるで黙示録の四騎士のように様々な苦難を撒き散らすそうです。ああ、そう言えば三大国のブリステラ連合国では、死後に妖精島へと旅立ったとされる救国の王こそが狩猟団の主たる嵐の王だとも言われているそうですが、他にも――
得意気に語る老人は余程機嫌が良いのか、微笑みながら長々と蘊蓄を垂れ流している。
しかし、彼に続いて捕らえた王女殿下を引き連れながらキャリッジを出たジルベルトは、大きく目を見開いて戦慄を露わにした。
「……ル、ルチアーノ……大司教……」
「――と言うように、嵐の狩猟団の伝承は大陸全土へ分布し、その地域ごとに様々なを変容を遂げていますが、各地の伝承には名称以外にも共通するものがあります。その一つが猟犬に狼を使役しているという点です。『人狼』と呼ばれた貴方にはまさに――
「――ルチアーノ大司教ッ!!」
耳を劈くようなそれは、警告ではなく悲鳴と呼ぶ他なかった。
その大声に眉を顰めたルチアーノが渋々と振り返ると、そこには王女殿下の背後に回って首筋に刃を突き付けていながら、恐怖に顔を青褪めさせている聖騎士長の姿があった。
彼の顔にあるのは恐怖だけでなく、命がけの戦場を前にした戦士の緊迫した面持ちも混ざっており、只事ならざる気配を漂わせていたが、勝利を確信している大司教には理解できておらず、それどころか未だに有頂天なまま哄笑を上げている。
「……騒々しいですね。今更何だと言うのですか、ジルベルト聖騎士長? 彼は我々を害するどころか、指一本触れる事すらできませんよ。御覧なさい、彼らの有様を。『血濡れ狼』と謳われた彼が、たった一滴の血も流さず場を収めている。恐らく我々との交渉を有利に進める為の示威行為のつもりでしょうが、これで此方が日和ると思っている時点で恐れるに足りませんよ。いやはやまったく、恋慕に視も意も曇らせた者のなんと容易い事か! フフ、フフフ!!」
せせら笑う元聖騎士長に現聖騎士長は同意しかねるようで、額に冷たい汗を滲ませながら頭を振ると、自身が見据えている事実を告げるべく口を開いた。
「い、いえ、ルチアーノ大司教……や、奴らは、既に死んでおります!!」
「………………は?」
束の間の沈黙に続いた単音は、そのまま老人の脳裏に去来した空白と疑問の再現だった。
そして、唐突に我に返ったらしいルチアーノは弾かれたように背後へと振り返り、暗い街道に横たわる人影の中で一番距離が近い仰向けの者に焦点を絞る。
すると、早合点していた老人の認識も漸く目の前の事実に追い付く事となった。
彼が視線を向けている聖騎士は、大司教達が乗ってきたキャリッジ側へ頭を向けて空を見上げるように倒れていたのだが、その者の首から下に視線を移すと、何故か胴鎧が背に羽織っている外套に隠れており、剣を握った右手が大司教の位置から見て左側にあるのだ。
これらの視覚情報をたっぷり数秒掛けて咀嚼し、これを成した人物が何を狙っているかに思い至ったルチアーノは、いつの間にか乾き切っていた喉を無理矢理動かした。
「――ジルベルトォッ!!!!!! 王女を車内に戻せッ!!!!!! 奇襲に備えろッ!!!!!!」
干物のようになっていた喉から血を吐くように叫んだ大司教は、そのまま聖騎士長を一瞥もせずにキャリッジの四隅に吊るされているランタンへと手を伸ばす。
ジルベルトも無駄に拘泥せず、『ハッ!!』と最短の了承を伝えて早速命令に取り掛かった。
「――ック!!」
終始硬質な表情を浮かべる王女殿下の手縄を引き掴み、左右の車輪があった場所に鑢でも掛けたかのように滑らかな切断面を晒す高級馬車の中へと押し込んだのだ。
だが、指示を遂行して次の行動に移ろうと振り返った直後、視界に映り込んだ上司の気でも違えたような奇行に驚愕させられる破目になった。
聖騎士長が少し目を話していた隙に、老人は手に取ったランタンから燃料が入った容器を取り外すと、それをキャリッジに叩き付けてランタンの残り火を着火させたのだ。
「――ルチアーノ大司……ッ!! な、何を為さっておいでかッ!!」
ランタンから木製のキャリッジヘと瞬く間に燃え移った火――いや、既に炎と呼ぶべき規模にまで盛っている――から慌てて逃れたジルベルトが激しい剣幕で問い質すが、当の大司教は落ち着き払った態度で余裕タップリに口を開いた。
「此処が引き際ですよ、ジルベルト聖騎士長。彼の目的は王女奪還と我々カエルム教徒の排除でしょう。その内、優先度の高い方は当然王女の方です。となれば、これで我々の離脱は容易になります。なに、心配は要りません。精霊一人の捕縛など後で如何とでもできますから」
それにしても、此方も一応の策は用意していたのに何故追い付けたのでしょうかねえ……と呟くと、ルチアーノは手の中の十字型短剣を握り直しながら前方の騎馬達の方へと向かう。
大司教が言うように、襲撃者の目的に聖騎士長や彼自身を含めたカエルム教徒の排除――抽象的表現を避けるなら殺害――が含まれているのは確かだろう。
それは二十人が雲散霧消している後方の暗闇や、前方で腕や首を明後日の方角へ捻じられている十一人を見れば一目瞭然だ。
それに、その襲撃者の正体が彼の予想通りの人物だとしたら、その者がカエルム教徒達の命なんかより王女殿下の身の安全を最優先するという読みも確実と言える。
だからこそ、彼は『燃え盛る箱に閉じ込められた王女殿下』か『前方の護衛が乗っていた騎馬を拝借して逃走しようとする教徒』という二者択一の状況を作ったのだ。
そして、この策が功を奏したのか、大司教と彼から数拍遅れて追い縋った聖騎士長はキャリッジから離れ終えるまでの間、誰とも遭遇せずに暗がりに佇む騎馬達の元まで辿り着いたのだった。
……だったのだが、未だに苛々と嘶き続けている騎馬の隣で立ち止まったルチアーノは、そこで脳裏に沸いた違和感を払拭すべく思考を回していたが、突如背後から湧き上がった『バギッ!!!!!!』という燃焼とは程遠い音にまんまと振り返させられた。
ギクリと大きく目を見開いたルチアーノの視界には、炭化した部分が崩れたらしい傾いたキャリッジと噴き上がる黒煙以外見当たらなかったが、そこで先程の違和感の正体に気付いた。
「……何故、誰も現れない? 王女は火の海に居るのですよ? いや、それ以前に彼女は何故この状況で、救援どころか悲鳴すら上げずにいられるのですか!?」
この疑問に応えたのは、振り返ったまま手を止めている大司教に先んじて騎馬に跨った聖騎士長――ではなく、それどころか人間ですらなかった。
――ビュォッ!!!!!! ゴグギィッ!!!!!!
五フィートほどもある重厚な木の板が、巨人の棍棒でも振り回しているかのように鈍く豪快な風切音と共に飛来し、直近の急展開に浮足立っていた聖騎士長の頭部へと激突したのだ。
避ける間も悲鳴を上げる間も無く直撃した聖騎士長はいとも容易く吹き飛ばされ、滅茶苦茶に破壊された頭部の中身を撒き散らしながら街道脇の木々の狭間へと消え去り、彼を襲った木の板は真っ二つに割れ裂けながら街道に突き刺さった。
確かめるまでもなく落命した聖騎士長の奇抜且つ画期的な退場を見届けた時点で凍り付きそうになっていた思考を無理矢理起動させた大司教は、咄嗟に隣に立っている騎馬の陰、投擲がきた場所から死角となる位置に身を潜めた。
緊張と恐怖でいつの間にか息が上がり切っていた事にも気付かないまま、ジルベルトはとんでもない速度で飛来して今は地面に深々と刺さっている二枚の板に目を奪われていた。
聖騎士長の命を絶ったそれらに何処となく見覚えがあったからだが、板に走った亀裂付近に刻まれた人の指ほどの大きさの穴とそこにこびり付いていた紅い残滓を発見し、その板の正体に思い当たり、そこから導き出される結論とこの後の結末を悟った。
「……フ……フフ、フフフ……愚かですねえ、『 人狼』殿。此処で我々を討った所で、既に王宮で精霊が出現した事も、それが王女に憑依した事も聖地へと飛ばしております。我々の御旗に描かれた羽根がどの鳥の物かは御存知でしょう? 天使様方が精霊を御所望しておられる以上、我々教団は何を踏み躙ってでも王国と王女を手に入れるでしょう。分かりますか? 最後に笑うのはいつだって我々に他ならないのだという事が!! フフ、フフフ!!!!!!」
最期の足掻きとばかりに流暢な大陸公用語で語るルチアーノだが、襲撃者からの返事は無い。
それでも、元から応答の有無など気に掛けていなかったのか、再び大司教の口が開かれ――
「――それ以上、その汚ねぇ口を開くな老害」
――態々合わせたのか大陸公用語での罵倒が頭上から響き、彼の言葉は音となる前に潰えた。
その代わりに――と言うわけでもないが、ルチアーノは年齢に相応しからざる鋭い動きで立ち上がり、握っていたクロスナイフを声が聞こえてきた騎馬の背負う鞍の上へと突き出した。
だが、元聖騎士長が繰り出した渾身の突きは、鞍の上に舞っていた紅い粒子を吹き散らしただけで、何者も捉えられずに空振りしただけだった。
ナイフを振り切って暫し身体が硬直しているルチアーノを嘲笑うかのように、彼のすぐ背後から何かが落下してきたような衣擦れと砂利の擦過音が届く。
そして、老人が何かしらの動きに移る前に、彼の頭頂部と顎のそれぞれに背面から伸ばされた腕が絡み付き、そして――
ゴギンッ!!!!!!
――枯れ木を叩き折ったような音が鈍く響き渡り、ルチアーノの視界で上下左右が反転した。
「――――ッッッ!!!!!! ――……ッ!! …………」
余程の激痛を味わっているのか、無数の皺が刻まれた顔を更に歪ませる老人の口から無音の悲鳴が上がるが、背後の襲撃者は興味無いとばかりに脱力した身体を街道へ投げ捨てた。
そのまま、床に溢したミルクのように倒れ広がる大司教の目に、漸く襲撃者の姿が映り込む。
「――これで最後か。ったく、手間掛けさせやがる……」
薄れ行く意識の中でルチアーノが最期に見たのは、身体に纏っていた紅い燐光を薄れさせながら悪態を吐く傷顔と月のように燦然と輝きながら見下ろしてくる琥珀色の双瞳だった。




