第60話
――再び、暗い森の街道上の傾いたキャリッジの中にて……
「なッ、何事だ!?」
馬車の中で今現在は最も荒事に通じている聖騎士長が真っ先に反応し、鋭く叫びながら出入口脇のガラス窓を開けて表で御者を務めている部下へ現状を確認する。
「わ、分かりません! 紅い何かが横を通り抜けたと思ったら、突然、左の車輪が壊れて――
御者役の聖騎士の言葉を待たず、巨大な破砕音と共に再びキャリッジが揺れる。
その不吉な音が齎した予感の通り、今度はキャリッジに残る右側の車輪まで砕け散っていた。
「「「――――ッ!!!!!!」」」
激しく揺れる箱に乗る者達が揃って喉を干上がらせる中、馬達とキャリッジを繋ぐ綱が突然千切れ、衝撃と轟音でパニックだった四頭はそのまま散り散りに森へ逃げ去ってしまった。
唐突に足を失ったキャリッジが、地揺れのように激しく揺さぶられながら急停止する。
キャリッジ内の三人はそれぞれ窓枠や座席やらにしがみ付いてなんとか耐えたが、御者の聖騎士はジルベルトへ返答すべく御者台から身を乗り出していた事が災いし、遭えなく落車した。
投石や砲弾のような激しい勢いで投げ出された憐れな部下から視線を切り、聖騎士長は二十の騎兵達が護衛する後方へと振り返る。
だが、車内の灯りに眩んでいた彼の眼は月明かりしかない夜闇を見通すには至らず、慣れるまで待つのももどかしいとばかりに大声を張り上げた。
「後方!! 状況を報告――
そして、指示を伝え切る前に彼は気付いた。
キャリッジの背後を護衛していた聖騎士二十人、彼らと同数の騎馬が放っていた筈の蹄鉄の音が消えている事に。
「なッ、何故だ!! 何故誰もいない!? 一体何が起こっているのだ!? ぜ、前方!! 状況を報告しろ!!!!!!」
殆ど絶叫のような命令にも関わらず、前方を走っていた十人からの返事が無い。
しかし、それが無音と同義というわけではなく、返事の代わりに聞こえてくるものはあった。
それは、
『ギャァアアアアアアアアアア!!!!!! う、腕ッ、腕が――カペッ!??!!?』
『な、何だ!? 襲撃か!?』
『灯りが消えたぞ!? 何も見えない!!』
『落ち着け!! 新しいランタンを用意しろ!! このままじゃ何も――ギァッ!?!?!?』
『お、おい!! どうし――ガゥア!?!!!?』
怒号と悲鳴が織り成す、阿鼻叫喚の狂騒曲だった。
聖騎士達は夜道を警戒すべく隊の先頭と後方に幾つかのランタンを灯していたが、銅製の枠を使った頑丈な筈のそれら全てが街道脇の木々の隙間に拉げた状態で転がされており、彼らも聖騎士長と同様に一時的な盲目状態にあった。
見事にその隙を突かれ、聖騎士達は正体不明の襲撃者に翻弄されているのだ。
いや、彼らも全く捉え切れていないわけではない。
それも気配などと曖昧なものに頼らずだ。
何故なら、夜闇を斬り裂くように紅い残光が街道を縦横無尽に駆け巡っていたのだから。
それでも、その残滓は目で追うのもやっとなほどの速度で動き回っている為、騎上の聖騎士達は誰一人として的を絞る事も叶わず、その兵力を一人また一人と削られ続けていた。
「――ッ、大司教!! 私も出ます!! どうか、此処で御待ちを――
「いや、待ちなさいジルベルト」
焦燥に駆られるままキャリッジから飛び出そうとする聖騎士長を止めたのは、厳かさを通り越して不自然なまでの余裕に満ちた静かな指示だった。
その指示を受けて振り返ったジルベルトの視線の先には、十字架を模した仕込みナイフを懐から取り出して突き付ける元聖騎士長と、向けられる刃を忌々しそうに睨む王女の姿があった。
「し、しかし、ルチアーノ大司教!! このまま捨て置いては、いずれ我々も――
「落ち着きなさいジルベルト聖騎士長。今更、騒ぐ必要も焦る必要もありません。そもそも、敵の正体どころか弱点さえも握っているのに、何を慌てる必要があると言うのですか?」
尚も食い下がる聖騎士長を殊更柔らかな口調で諭すルチアーノは、仕込みの割にナイフとしては標準的な刃渡りを持つ諸刃を真っ直ぐ向けたまま心底可笑しそうに少女を見下ろしていた。
その様を見て、老人が言う『正体』と『弱点』が何を指しているかに思い至り、ジルベルトの口が仄暗い優越感で醜悪に歪んだ。
「フフ、フフフ、理解して頂けたようですねえ。では、外の空騒ぎが一段落するまで――っと、どうやら終わったようですね。流石に手慣れている……では、行きましょうか。ジルベルト聖騎士長、王女殿下の連行は御願いしますよ」
「ハッ、承知致しました」
短い返答と共に扉に向かおうとする老人と入れ替わるようにして王女殿下の前に立った聖騎士長は、彼女の両腕を戒める荒縄を強引に掴み上げた。
諸手を上げるように乱暴に立たされたセフィーが締められた腕に走る痛みに顔を顰めるが、手荒い扱いに彼女が文句を付ける前にその華奢な喉元へブロードソードが突き付けられる。
「――っく!」
「無駄な抵抗は控えて頂こう」
聖騎士長が見下すような笑みを浮かべて冷たく言い放つ傍らで、ルチアーノは停車時の衝撃で歪んだ扉を殆ど体当たりのような格好で力任せに押し開けており、それによって金具が外れた扉が街道へと倒れ込んだ。
元聖騎士長だけあって万事に対応できるよう油断無く短剣を握ったまま車外に出た大司教は、護衛役の聖騎士達が織り成す紅く惨憺たる有様を目の当たりに――はしなかった。
幾度かの瞬きの後に月明かりに慣れた老人が目にできたのは、疎らに逃げ残った騎馬達とその足元に敷き詰められたまま身動ぎ一つ無い聖騎士達だけだった。
その中には落車した御者役も転がっていたようで、意識が無いのか無言のまま横たわった人影は十一にも上ると思われるが、幸いな事に街道の何処にも紅い水溜りは見られず、彼らを昏倒させた下手人も見当たらない。
「ほう、ほう、並べた怪我人で此方を牽制する気ですか? それとも、王女殿下との交換材料にでもする気でしょうかねえ? いやはや、師と同じく食えない御仁だ」
不快そうな言葉の割に老人の表情が愉し気なのは、やはり確信があるからだろう。
王女殿下が手中ある限り、自分達の絶対的優位が揺るがない事に。
特徴的な咳き込むように途切れる笑い声を上げる大司教に続き、ブロードソードと華奢な手首に巻かれた荒縄を握る聖騎士長と件の切り札が車外へ踏み出した。
「フフ、フフフ、さあ、さあ! 一方的搾取と参りましょうか!」




