第56話
「なっ!? 待って!! 落ち着きなさいハンス!!」
我を忘れて浅薄な行動に走ろうとするハンスを止めようと、ファルカの両腕が扉の前で立ち止まった彼の身体をドアノブが回される寸前で捕らえた。
背にしがみ付くような形で全体重を掛けるファルカに、流石のハンスも少しは頭が冷えたのか、立ち止まって背後に纏わり付く騎士へと視線を流す。
「…………ハァ――……そぉだな、まずは装備なり荷物なりを整えてからにしねぇとな」
そう言って、ハンスは自分の胸に回された腕を軽く叩いて外すよう促すが、彼の意図が伝わっていないのか、ファルカの腕も身体も固まったままだった。
「……オイ、何のつもりだ? さっさと動かねぇと王女殿下に追い付けなくなるだろぉが」
「……どうしても往く気ですか?」
「あ? 当たり前だろ」
問い返されて苛立ちの表出した単音を投げ返すハンスは、グツグツと煮える腑と同じく震える掌を握り締めて舌打ちする。
だが、そこで力任せに女性を撥ね退けるような暴挙に出るほど我を忘れているわけではないらしく、少年は深く息を吐き出してから回された腕を柔らかく解いた。
「……いい加減にしろ。主が連れ去られたってのに指咥えるだけの木偶が騎士名乗れねぇ――
「黙りなさい!! 何も知らないくせに!!」
苛立たし気に振り返ったハンスの襟首に掴み掛かったファルカは、涙の滲む双眸で彼を見据えて叫ぶが、その叩き伏せるような言葉の圧に反発するように少年の口が開かれる。
「テメェこそもっと想像力を働かせたらどぉだ!! こぉしてる間にもセフィーが独りで耐えてる事ぐらい分かんだろ!! 今すぐ助けに――
「頭が働いていないのは貴方の方です!! セフィーはッ!! ……あの子はッ、貴方と王国を守る為に自分を差し出したのですよ!!」
怒鳴り声を喰い破った発言によって、ハンスの思考が真っ白に染め上げられる。
大きく目を見開いて固まる少年を押し流すように、ファルカは話を再開した。
「教団にとって神だの天使だのを介さない死者の復活など異端審問の格好の口実です。しかも、教団の異端審問は連合法規によって国の統治者相手ですら対象にできる権限が認められてしまっていますし、教団は被告人が保有する財も権利も没収できます。となれば、エルレンブルクでの勢力拡大を目論んでいる教団がこの機会を利用しないわけがありません」
嫌悪に満ちた言葉を吐き捨て、ファルカはハンスの襟から手を放した。
「連中は衆人環視の中で貴方を蘇らせたセフィーと蘇った貴方を捕らえようとしました。勿論、その場に集まっていた王国騎士達がそれを阻むべく立ち上がり、広間は一触即発となったそうです。ですが、もし王国騎士がそのまま教団の審問を妨げ続けた場合、連合法違反としてエルレンブルク王国は教団だけでなく連合各国全てを敵に回す事になっていたでしょう。そこであの子は、自身の身柄のみを預ける事を条件に教団へ自らの悪魔祓いを依頼したのです」
「悪魔祓いだと!? あんなもの暴力と投薬を使った洗脳じゃねぇか!! そんなものに掛けられたら無事じゃ済まねぇぞ!!」
「ですが、罪人として扱われる異端審問と違い、悪魔祓いでは当事者は信徒の一人としてその権利を保障されます。つまり、当事者からの財や権限の剥奪は行えません。それに、先程聞かせた通り、あくまで妖魔との取引を行ったのはセフィーだけですから、二者間での取引そのものには直接関与しているわけでない貴方にまでは手を出せません……此処まで言えば幾ら頭に血が上っていても、あの子が何を望んでいるかは理解できますよね?」
濡れた瞳を真っ直ぐ向けながら淡々と告げるファルカと、歯を食い縛って沈黙するハンス。
彼女の言う通り、王女殿下の選択によって王国対連合の決定的な対立は回避され、満身創痍だった少年騎士の命も救われたのだろう。ハンスだって、それについては理解できている。
しかし、それで彼が納得できているわけでは勿論ない。
確かに王女殿下の選択は多くを救う結果を生んでいる。
その中にはハンス自身だって含まれているが、彼にとって本当に大切なものは多数を救う為の贄となろうとしている王女の方だ。
それなのに、まるで在りし日の幼子を守った父母達の最期をなぞるかのような王女殿下の現状は、少年騎士の腹で煮え滾る熱を更に煽っていた。
「……そんなもの単なる時間稼ぎだ。悪魔祓いを受けた王女殿下が教団の言いなりになれば内政干渉は避けられねぇ。そぉなれば、そぉ遠くねぇ内にこの国は連中の手に落ちるだろぉし、俺もまた殺されるかもな……何にせよ、このままじゃ結末は変わらねぇよ」
「なッ!? 貴方は、あの子がどんな想いで――
「どんなに崇高な理念を持ってよぉと、行動に移せなけりゃ下らん妄想と同じだ。本当に国だの民だのを救いてぇんだったら、王女様は生きてこの国の先頭に立たなきゃならなかったんだ」
腹に蟠った熱を吐き出すように王女殿下の選択を斬って捨てるハンスは、向けられた視線を無視して部屋を横切り、壁に立て掛けられていた血塗れの鞘とそこから伸びる柄を見下ろした。
何故か炎のように輪郭が揺れ始めたその背中に気付いていないのか、ファルカは主にして幼馴染の妹分が選択した献身を無為に扱う少年へ憤怒の形相を向ける。
「貴様ッ!! よくも――
「だから!! 俺が往くって言ってんだッ!!」
鞘だけでなく柄や千切れたベルトまでもが赤黒い斑点で彩られてしまった無残な愛剣を掴み上げると、鋭く振り返った少年は突き付けるようにその双剣を掲げた。
対して、怒りを露わにしていた筈のファルカは大きく目を見開いて息を呑んだ。
彼女の眼前、掲げられた血染めの鞘の奥で、少年の身体が彼の心中で渦巻く灼熱に呼応するように紅く、紅く、ひたすらに紅く輝いていたからだった。
全身から真紅の陽炎を放ちながら咆哮した王国騎士は『狼男』の呼名に相応しく、いや、それすらも上回る怪物の如き気迫を纏いながら静かに口を開く。
「アンタが言ったよぉに、教団はこの国を手中にしよぉとしてやがる。そんで、王女殿下から教団への対策を持ち掛けられていた俺の元へ、その話を聞かされたすぐ翌日に教団からの依頼が舞い込み、そこで連中に襲われた。これがどぉ言う事か分かるよな?」
「まさか……王国内に裏切者が居ると!?」
「そぉだ。しかも、痕跡から察するにその狐は十中八九王国騎士の誰かだ。つまり、連中の手は既に王国中枢にまで伸びてると考えるべきだろぉよ。となれば、王国の救助なんか期待できねぇってのも分かるよな?」
「ま、待って下さい! 貴方の話が事実だとしても、貴方が行かなければならない道理は無いではありませんか!! あの子を助けるなら私でも兄さんでも、とにかく信頼できる人間を――
「いや、駄目だ」
静かにファルカの進言を制しながら、ハンスは掲げていた剣を下ろした。
彼の身体から溢れる光は、彼の落ち着いた気勢に同調するように穏やかに凪いでから、微風に流される朝露のように静かに立ち消えていった。
だが、女性騎士へ向けられた琥珀色の双瞳には、冷たく燃える酷薄な決意が滾っている。
「確かに戦力を集めて向かった方が確実だろぉが、その『信頼できる人間』ってヤツの中にも教団の手が届いてる可能性も否定できねぇ。それに何より、王国騎士が隊列組んで動いたりしちまったら、それこそ教団に大義名分をくれてやるよぉなモンだろぉ?」
「ですが! ……ですが、貴方は既に敗北しているではありませんか。今回は一命を取り留めましたが、次はどうなるか分かりません。それに、貴方を助ける為に全てを擲ったセフィーがそれを望む筈無いでしょう!!」
「怒鳴るなよ、うるせぇな。んな事ワザワザ言葉に出さんでも分かってるっての。別にアテがねぇわけじゃねぇから安心しな。それに、これ以上この問答を続けんのは無粋ってもんだぞ?」
「無粋も何も関係無いでしょう!? 以前にも言った筈です!! この国には貴方を慕う者達が居るのだと!! もう貴方は独りではないのだと!! それを何度言えば理解するのですか!!」
冷静を通り過ぎてすっかりいつもの調子を取り戻したハンスの言葉に、ファルカは発奮して顔を真っ赤にしながら彼を睨む。
これだけだとまるで先程と同じく怒り狂っているように思われるかもしれないが、実際に彼女の顔に浮かんでいたのはいっそ悲壮とさえ評すべき必死な表情だった。




