第55話
「――――――ハッ!!」
「――ッ!! ハンスっ!!」
発作的な痙攣と共に覚醒したハンスの視界に映ったのは、壁掛けの燭台に照らされた見慣れた寄宿舎の天井と何故か彼の顔を覗き込んでいるとある少女の潤んだ瞳と紅潮した頬だった。
「良かった、目が覚めたのですね! 何処か痛む所はありますか!? 頭痛や眩暈は――
「…………何で……ココでアンタなんだ……? ファルカミーナ……」
ハンスとしてはその『とある少女』の枠には止ん事無き御方の御姿を期待しているようないないような――といった感じだったのだが、現実はそう都合良くは運ばない。
だが、それについて不満を口にするのは幾ら何でも眼前の相手に失礼であろう。
その相手が熱心に看病しながら本気で心配していたとなれば猶更。
そんなわけで、無礼且つ恩知らずの阿呆に対し、女性騎士は先程までの心配顔を消して、ついでに握っていた阿呆の手も放り捨てて、もの凄く冷たい平坦な瞳で見下ろした。
「……どういう意味ですかそれは? 人が苦労して貴方を自室まで運び、看病までして差し上げたというのに、第一声がそれですか? 恩義の持ち合わせが無い貴方が悪いのか、それとも、貴方に人並みの感謝を期待した私が馬鹿だったのか、どちらでしょうね?」
御怒りのファルカは空気をも凍らせそうな凄まじい冷気を撒き散らしていたが、未だ横になったままだったハンスはそれを完璧に無視しつつ、上体を起こして身体の調子を確かめた。
「……傷が無い……調子も悪くない。だが、『治った』にしては痕も無いのはオカシイよな……っつぅか、何で服が小奇麗になってんだ? 着替えた覚えも洗った記憶もねぇが……?」
手を握っては開きを繰り返したり、腕や肩を回したりしながら、掛けられていた毛布を払い除けてチュニックとブレーに身を包んだ自身を見下ろすハンス。
そうやって身体の調子を確かめるついでに耳や鼻へ意識を広げて周囲の状況を探るが、彼が感じ取れたのは同じ部屋に居る女性騎士の存在と遠く聞こえる祭りのような喧噪だけだった。
人で溢れている、とまではいかないものの、どのような時間帯でも無人になど成り得ない筈の建物に人が居ない事実を訝しむ少年は、回り出そうとする思考の隅で御冠だったファルカの豹変に気付いて視線を巡らせた。
「なっ――!! そ、それはっ、その……わ、私が……」
酷くしどろもどろではあったが、ファルカからの申告で口に出した疑問には納得し、ハンスは『……そぉか』とだけ返してベッドから起き上がった。
しかし、それをファルカは慌てて止めに掛かる。
「ま、まだ起き上がってはいけません! あんな事があったばかりなのですから、しばらく安静にするべきです!」
病み上がりの身体を圧し止めるべく伸ばされたファルカの手は、避けられる事も無くハンスの両肩を捕らえていたが、そこにどれだけの力が加わっても彼の身体を寝台に戻せない。
それに疑問を抱きながらも少々躍起になって押さえに掛かるファルカだが、ハンスは重さなどまるで感じていないかのように平然としたまま不思議そうに首を傾げた。
「……? なぁ、『あんな事』って言ってたが、一体何がどぉなったんだ? 俺は確か王宮の広間に居た筈だが、それで何がどぉしたらアンタと密室で二人っきりなんて状況になるんだ?」
「なっ!? み、密、室!?!!!? ふ、ふふ、二人っきり――!?!!!!」
軽い口調で放たれたハンスの言葉がお気に召さなかったのか、驚愕に釣られるまま彼の顔を凝視して鯉のように口をパクパクさせて顔を真っ赤にするファルカ。
二人の視線は交わりながら互いへ向けられていたが、何故かファルカは弾かれたように顔を逸らし、逸らした先でハンスの両肩を力一杯握る己の両手を発見すると、『ひゃぁぁぁ!!』という奇声と共に壁際まで跳び退った。
「み、妙な事言わないで下さい!! これは緊急時の不可抗力で仕方の無い事だったのです!! 他に他意があるなどと下劣な妄想を抱かないで下さい!!」
早口で捲し立てながら怒りを露わにするファルカだが、ハンスの方はやはりと言うか、それに付き合う気など無いらしく、溜め息を吐きながら冷めた瞳で彼女を見返した。
「――ハァ……んな事言ってねぇだろ。それより質問に答えろよ。コッチは別にアンタの他意にも妄想にも興味ねぇんだからよぉ、さっさと事実だけを纏めて簡潔に話してくれや。俺が寝てる間に何が起きたんだ? っつぅか、そもそも俺は何で寝てたんだ?」
ハンスから冷静で真剣な眼差しを向けられ、首から上が熱くなっていたファルカは冷水でも浴びせられたように押し黙り、数拍の後に彼と似たような深い溜め息を吐いた。
「……ええ、分かっています、分かっていますとも。貴方はそういう人ですものね……ハァ……今は貴方が登城してから五時間ほどが経過しています。私は今日一日王宮内で過ごしていたので登城前の事は分かりかねますが、その辺りは憶えているのですか?」
「ん――、まぁ、朧げに……そぉいや、俺相当ひでぇ格好してなかったか? あ、だから着替えさせられてんのか。そぉかそぉか」
「………………………………………………………………………………コホン……話を続けます。まず、端的に事実だけを述べるのなら、貴方は、その……王宮で一度息を引き取っています」
「――は……?」
余りに意味不明な発言を前に、ポカンと間抜けな顔で呆けるハンス。
それを見て思わず固まるファルカだが、何とか彼より先に復帰して話を続けた。
王宮の広間で集まったの前でハンスが息絶えた事、そこに骸骨姿の妖魔が現れてセフィーに取引を持ち掛けた事、そして、セフィーがその取引条件を呑んで彼を蘇らせた事。
此処までを話し終えると『と言っても、私も此処までは又聞きなので何処まで事実なのかは図りかねますが……』と挟んで一旦口を止めた。
「いやいやいや、待て待て待て!! 何だよ『妖魔』って、ナメてんのか!! 寝起きだからってんなアホな冗談が通じるとでも思ってのか!? 下らねぇ事言ってねぇでさっさと事実だけを述べやがれ、この外見性倒錯が!!」
「私だって信じられませんよ!! でも、貴方がこうして無事でいるのだから信じるしかないでしょう!? 何だったら街に出て自分で作った紅絨毯でも確認すればいいのです、この朴念仁!!」
ハンスの暴言に眦を上げながら反論するファルカ。
そのまま暫く両者共に一歩も譲らず睨み合っていたが、はっと我に返ったファルカの顔がやにわに真剣味を帯びる。
「そうです、今の話が嘘か真かなど些末事ですよ、ヴィントシュトース卿!! 重要なのはその現場に教団の大司教と聖騎士長が居合わせていた事です!!」
「何!?」
ハンスは目を剥きながらファルカに詰め寄り、彼女の蒼い瞳を見据えながら両肩を掴んだ。
「セフィーは!? セフィーはどぉなった!? まさか連中に捕まったとか言わねぇだろぉな!?」
興奮の余り――恐れ多くも王女殿下の御尊名をあろう事か呼び捨てで、しかも愛称で呼んでしまっている辺りにその焦慮が窺い知れるだろう――責めるような勢いで詰め寄ってしまったハンスの表情は、怒りの奥に恐怖や焦りが渦巻く複雑なもので、向けられたファルカは促されるまま口を開いた。
「そ、それは、私が広間に着いた時には既に――
「――――ッッッ!!!!!!」
そう、夜の帳が完全に降り切った寄宿舎に人の気配がまるで無かった理由は、王女殿下が教団に囚われるという未曽有の緊急事態に陥っていたからだったのだ。
事実、王宮では蜂の巣を突くような大騒動が起き、その喧噪が寄宿舎にまで届いていた。
最悪な返答に顔を青褪めさせたハンスは、壁に押し付けるようにしていたファルカから手を放すと、素足のまま剣も持たずに放たれた矢のような勢いで扉へと向かった。




