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くようばこ ひとつめ  作者: 狩人タヌキ
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第54話

 湖面を漂っているかのような安定した浮遊感を知覚し、己の五体以外が暗く鎖されている光景を目の当たりにし、ハンスは自分が夢中の虜となっている事を自覚した。


「――、あ――、あ――……何だ、今回は最初っから喋れんのか。っつぅ事は当然――


 ――やっと起きたなグズ。呑気に寝過ごしやがって。テメェはアレか、起きたばっかの熊か。


 洞窟で反響を繰り返したように耳障りな声に顔を顰める少年は、その声の発生源へと視線を巡らせ、暗闇の空間で紅い光に縁取られて背景から浮き上がった人影を発見した。


「……毎度毎度うるせぇヤツだな。ファルカみてぇだ」


 ――よせよ。あんな説教くせぇ頑固者と一緒にすんな。


「だったら、少しは自重するんだな……で、んな事より何で俺はこんなトコに居るんだ? また前みたいに悪趣味な夢でも見せる気かよ?」


 ――何だ? 覚えてないのか? まぁ、バッテバテだったから無理もねぇだろぉが……


『何の話だ?』と頭上に疑問符を浮かべるハンスを尻目に、紅縁の影は影のくせにニヤニヤと吊り上がった口端を見せびらかし、一見なにも無いように見える虚空に腰掛けて脚を組んだ。


 ――オイオイ、そんなんで大丈夫かよ。さっさと思い出せよ。そんで馬鹿みたいに顔青褪めさせて、狼に追われる兎みてぇに慌てふためくと良い。そぉら、最初っから思い出してみな。


「……? 確か、俺は……」


 もう、こういうヤツなんだと切り捨てるように影の罵倒をまるっきり無視したハンスは、身体ごと影から視線を外して蟀谷をグリグリと刺激しながら自分の記憶に集中する。


 彼としては影の言い分など興味も意義も感じなかったのだが、記憶の欠落については無視すべきでないと感じていたので、得に反発せず行動に移ったのだった。


 最初にハンスの頭に浮かんだのは、やはりと言うか、何と言うか……セフィーと喧嘩別れのようになってしまった件の夜だ。


 降り注ぐ月光に照らされた金色に輝く御髪、射抜くような強さと包み込むような柔らかさを併せ持つ宝石のような翠眼、時折吹く微風に合わせて揺れ動く花弁のような白いガウンと鶯色のストール、頬を膨らませて怒った顔、鈴の音のような澄んだ声と楽しそうな笑顔……そして、涙を堪えて震える彼女のクシャリと歪んだ顔。


 この時点で既に影が言っていた『顔青褪め』に近い顔色になってしまっていたが、それを見てゲラゲラ嗤う影を視界の端から消すと、ハンスは気を取り直して記憶を遡った。


 次に彼の脳裏へ浮かんできた記憶は、アイクから齎された教団の依頼を引き受けた事だった。


 屋外戦闘場でブルンベルク兄妹と口論気味な会話を経て別れた事、対面したジルベルト聖騎士長の何処となく見下すような視線に苛立ちを覚えた事、出発時に見た聖騎士達の何処か引き気味の態度が先の苛立ちを益々煽ってきた事、その後の沈黙が続いた旅路と夜営や拠点に到着してからのアレコレについても。


 と言っても、最初の『セフィーと過ごした夜の記憶』ほど明瞭ではない。


 それだけ記憶の優先度が違うという事だろうが、それを察していた影の方は爆笑状態である。


 ――アッハッハッハッハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!! オマエどんだけセフィー好きなんだよ!? プッハッハッハハハハハハハハハハハハハ!!!!!! アレか!? 『貴女の事で胸が一杯で夜も眠れない――』ってか、乙女かよ!!  アッハッハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!


 不快な笑い声を耳にしてビキビキと眉間で嫌な音をさせているハンスだが、それでも己のスタンスを変えたら負けだとでも言わんばかりの頑なさで記憶の方へと集中し続けている。


 そんな彼が次に思いだしたのは、黒衣の襲撃者や聖騎士達と対峙した月夜の攻防だった。


 瞬く間に斬殺した黒衣達と足元に広がる血沼の臭い、月光の青白い光に照らされた聖騎士達と降り注ぐ鏃、そして、背後で燃え盛る炎と眼前に立ち塞がる――


「……――っあああっ!?!!!! そぉだ、そぉだよ、何やってんだ俺!? 早く、早く帰らねぇと!! セフィーが……セフィーが!!」


 ――うおわっ! 慌て過ぎだアホ。っつぅか『帰る』って、まだ寝惚けてんのかよ? 全く、我ながら呆れたモンだ。そぉら、もぉ一息だ。さっさと思い出しな。それとも、流石のテメェでも()()()()()()()()()()()なんて思い出したくもねぇってか?


 ゾクリ、とハンスの背筋に冷たい震えが走った。


 普段の彼なら『お前は死んでいる』などと言われても、『はぁ? 頭に蛆でも湧いてんじゃねぇのか?』とか『戯けんな、失せろ』とでも返して、まともに取り合わなかっただろう。


 だが、今のハンスはその冗談のような言葉を流せなかった。


 暗く鎖されていく視界、冷え切って最後には感覚すら失われていく身体、そして、何もかもから隔絶されてただ一人で彷徨い続けるような、拭い難い孤独と絶望。


 明確な言葉で示された事で、彼の脳内で雷光の如くその時の感覚が蘇っていた。


 ――何だ? 今更ビビってんのか? 相変わらず鈍い奴だ。今はそんな些細な事に構ってる場合じゃねぇってのによぉ。


 寒気が治まらず自らの腕を抱くように摩擦するハンスを見て、影は見下すように鼻を鳴らす。


 一方、青褪めた顔で濃密な死のイメージを払い除けようとしていたハンスは、人影が口にしたまるでまだ未来があるような言葉に疑問を抱いていた。


「……な、何、言ってる……? 今も何も、俺は……し、死んでるんだろ? だったら関係ねぇだろぉが。死人には今も先もねぇんだからよ」


 ――……ハァ…………馬鹿かテメェ、死人が夢なんか見るもんか。ったく……だがまぁ、もぉそろそろ潮時かもな。後はあの頑固者にでも聞いた方が早いだろぉし。


 僅かに震えが垣間見える問いには答えず、人影は組んでいた足を解きながら軽やかに立ち上がると、まだ顔色の悪い少年の方へ歩み寄る。


 そのまま真っ直ぐ距離を詰めた人影は、棒立ちのまま固まっているハンスへ紅い光を帯びた手を伸ばしながら、何が可笑しいのか再び頬を吊り上げた。


 ――さぁ、さっさと二度目の人生ってヤツを始めようぜ? 今のテメェなら、これから何をすべきかなんて呼吸するみてぇに()()()()()筈だからな。


 句点と同時に締まりの無いにやけ面を見せ付ける人影の手がハンスの胸に触れる。


 すると、焚火に油でも撒いたかのように人影の身体を覆う光が強さを増し、その輝きが閃光となる直前、まるでシャボン玉のように紅い人型が無数の粒子となって弾け飛んだ。


「なっ――!?」


 至近距離で光に目を細めていたハンスは反応が遅れ、その炸裂を全身で受け止める事になったが、その派手な見た目の割に爆風も熱風も無く、ただ飛び散った粒子が彼の身体へと吸い込まれるだけだった。


 やがて、散った粒子がその雪のような見た目通りに溶け消え、真っ黒い世界にハンスだけが取り残された頃、彼の胸中では先程までの圧し掛かるように濃密な死への恐怖を蝕むように、何か別の燻るような感覚が息衝いていた。


「…………何だ? 俺は、何をこんなに焦ってるんだ?」


 直感や虫の報せといった何の根拠も無いのに無視できない切迫感、それがハンスの内に巣食ったものの正体だった。


 早鐘を打つ鼓動を抑え付けるように胸を押さえるハンス。

 しかし、それの原因となる事象について心当たりは無い。

 なのに、赤々と溶けた鉄のように重く拡がる不安感が動悸となって彼の胸を圧迫し、既に彼を支配していた恐怖を完全に塗り潰していた。


 まるで一歩ごとに足を絡め取ろうとする無明の泥沼へと急き立てられるような感覚に襲われるハンスだったが、その感覚の中に違和感と既視感を発見した。


「何か……いや、誰かが呼んでる? もしかして、セフィーに何かあったのか……!?  何なんだ、一体何が起きたんだ? 一体何が、起きるってんだ!?」


 そう、彼が感じたのはセフィーへ迫る危機を思い出した時のものと同種の感覚だったのだ。


 それを自覚して恐慌状態に移行し掛けたハンスだったが、不意に左手に生じた熱によって我に返ると、より激しさを増す胸の鼓動が示す方角を見据えた。


「……何にせよ、いつまでも夢心地ってんじゃぁ締まらねぇよな」


 呟き、瞼を閉じたハンスは胸に溜まった嫌な熱を冷たく斬り捨て、再び瞼を押し上げた。


 そうして、『血塗れ狼(ブルート・ヴォルフ)』と恐れられ、『真紅の疾風ブルート・ヴィントシュトース』と讃えられた気迫を取り戻したハンスは、じんわりと温かくなる左手を握り締め、胸から響く感覚が指し示す方角へと駆け出した。


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