第52話
「殿下!!」
人だかりの中で我に返った王国騎士達、彼らを代表するように彼女の間近に控えていた王国騎士団長の声が響いた。
しかし、彼らを圧し止めるように少女の細腕が真っ直ぐと挙げられる。
「っ、控えなさい!! 私なら大丈夫です。それよりも、巻き込まれぬよう皆を安全な場所まで下がらせなさい」
暗に『邪魔をするな』と人払いを命じたセフィーの身体は未だ震えが見えていたが、その眼には王族に相応しい力強さと気品を併せ持つ輝きが戻っていた。
「――っ……ハッ、承知致しました。御武運を祈ります」
その瞳に宿る力が後押ししたのか、主と同様に彼らの逡巡は一瞬だけだった。
王女殿下の勅命に従い、団長以下この場に集まっていた十人ほどの王国騎士達は迅速に行動を開始した。
殆ど怒号のような声を上げながら王国騎士達が人だかりを王女殿下から遠ざけようとする中、セフィーの周囲に舞う異形だった粒子から声が響く。
――あら、気が利くわね。鬱陶しいから全身の肉を消し飛ばして黙らせてあげようと思っていたんだけど、手間が省けたわ。じゃあ、始めるわよ。
と、軽薄な調子で告げられた直後、彼女を包囲していた灰が一斉に殺到した。
瞬間、全身を出鱈目に混ぜ合わせた絵具で塗り潰されたような暗色の雪像と化したセフィーは、声も出せぬほどの激痛に襲われた。
「――――――――ッッッ!!!!!!」
明確に、または直接的に身体へ生傷が刻まれるわけでも、頭痛や腹痛のように波があるわけでもなく、ただひたすらに続く激烈な痛み。
まるで雷に全身を焼かれる苦しみを延々と引き延ばされているかのような苦痛に、彼女の視界は極彩色の闇に包まれていた。
そもそもの生活環境からして痛みとは縁遠く、また今までの人生で重篤な病魔に侵された経験も無い彼女にとって、その苦痛は本来耐えられるものではない筈だ。
なのに、王女はその可憐な御尊顔を歪めながら歯を食い縛り、無様にのたうち回りそうになる身体を目一杯の力で以って抑え付けていた。
「――ッ、ク、ァ…………ッズ、ック――ハ、こんな……痛み……に、負けて――たまる、ものですか……――彼に、もう…………一度、っ」
纏わり付く濁った暗色の中で、セフィーは己の身体を掻き抱く。
そんな彼女の脳裏を占めるのはただ一人。セフィーは走馬灯のように浮かぶ彼との思い出を支えに、雷光のように鋭く明滅する意識を保ち続けた。
やがて、激痛に苛まれるセフィーの中で時間の間隔どころか今自分が何処に居るのかさえ分からなくなってしまった頃、少女の身体を包む灰が弾け飛び、
――フフフ、成功ね。さあ、後は勝手にやって頂戴。ワタシは休ませて貰うから。
彼女の内側から妖魔の声が響いた。
『日向の君』と謳われた王女の姿は煙のように立ち消え、王国騎士達の働きで本来の広大さと静けさを取り戻していた広間の中心に新たな異形がこの世に顕現していた。
と言っても、先に現れた髑髏顔のように只々醜悪な姿だったわけではない。
一言で表現すれば、元々の彼女の姿にその醜悪な骸骨を掛け合わせただけである。
だが、実際に起きた変化は劇的だった。
まずは肉体。
一見して身長体格に変化は見られないが、少女の透き通るような白磁の肌は病人や死人のような白蝋色にくすんでしまい、金糸を束ねたような御髪は赤黒く濁っている。
次に装束。
さっきまでセフィーが纏っていた普段着用の装飾が少ない簡素なドレスは苔生したような深い緑に変色し、その上を骸骨の物と同じ灰色のマントが覆っているという有様だ。
そして、何よりも、人望厚い王女殿下の日溜まりのように暖かく柔らかな空気が見る影も無く消え去り、彼女から放たれる酷薄で冷徹な威圧感が極寒の冷気のように広間を満たしていた。
飛び散った暗い灰が雪のように溶け消えて行く中、異形との取引で面妖な姿へと変貌した王女を見た人々が息を呑んでいたが、当の本人は痛苦に歪んだ表情で気も漫ろなまま、荒く息を吐いて身に巣食う苦痛の残滓を吐き出している。
「ハァ、ハァ、っく、成……功……? ――ハッ、そ、そうですっ。ハンスを、彼を――
身体に残る苦痛の閾値が一定を割ったのか、不意に意識を取り戻したセフィーは座した己の膝先に横たわる亡骸へ取り縋った。
しかし、
「――何故、起きないのですか……? ハンス、ハンスッ、ハンス!! 何で……どうして……起きてッ、起きて下さいッ、ハンスッ!!!!!!」
異形の怪物へその身を奉げた少女の望みは叶えられていなかった。
幾ら呼び掛けても身体を揺すっても全く反応が無い王国騎士を前に暫し硬直してしまったセフィーだが、次の瞬間、激高のまま襟首を掴み掛かるように己が身に纏うドレスの胸部、つまり、異形の声が聞こえてきた場所を握り締めた。
「どういう事ですか!! 今すぐ彼を呼び戻しなさい!! 『望みを叶える』というのは狂言だったのですか!? 応えなさい、バンシーッ!!」
激情のまま声を荒げる王女殿下は自身の服も肉も引き裂いて内に巣食う化物を握り殺しそうな形相になっており、広間の緊張はグラスに並々と注がれたワインのように今にも決壊しそうだった。
だからと言って、彼女に憑りついた妖魔の態度が変化するのかと言えば、そんな事あるわけが無い。
――……五月蠅いわね。『望みを叶えるチカラ』と言ったでしょ? アナタが自分で動くのよ。そうね……ソレの生きている姿を想像して強く念じれば多分それで済むわよ。それと、ワタシの名は……そうね、アナタ達の言語で言うと『ロートス・アルクシェーン』辺りかしら? 取り敢えず『バンシー』ではないわね。まあ、どうせ、それほど長い付き合いになるわけでもないでしょうから、呼名なんて好きにしてくれて構わないけど。
それどころか、欠伸を噛み殺すかのように間延びした語調で言葉を返している辺り、もし、姿が見えたら口元を抑えながら横になる骸骨が見えたかもしれない。
――あ~~、も~ダメ。意識保てない、眠い、死ぬ……それじゃ、アタシはしばらく寝てるから。用があれば此方から声を掛けるから、それまではこの身体も自由にしていいわよ。
それっきり、ロートスと名乗った骸骨妖魔の声は途絶えてしまった。
尤も、既に質問者の意識はその戯言からも妖魔そのものからも離れていたが。




