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くようばこ ひとつめ  作者: 狩人タヌキ
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第51話

 エルレンブルク王国では社会階級や老若男女を問わず、『神』への信仰が廃れつつある。


 この『神』にはカエルム教の唯一神やその御使い達だけではなく、山林や河川などの自然物に由来する土着神、旧時代から語られる古い神話の神々までもが含まれている。


 と言っても『神』達が完全に忘れ去られたわけではなく、この世に遍く現象、事象は『神』のような超常的存在によって管理されていて人の身では抗えない――などと言うように、『神』を理由にした思考停止や進歩の阻害を否定している、と言った方が正しいだろう。


 例えば、平穏な農村である年を境に不作が続いたとする。


 そうなった場合、多くの大陸諸国では神――この際、種類は蛇足である――への祈祷が奉げられる事だろう。そうして、例年通りの収穫量が戻れば『神への祈りが通じた』と安堵し、戻らなければ『神がこの地を見捨てられた』と絶望する……のかもしれない。


 だが、エルレンブルク王国では神へ祈ったりなどしない。

 そんな無駄な事をする前に、不作の原因を探ったり、それを取り除いたりする仕事で忙しくなっているだろう。


 つまり、王国の民は神に縋らずとも障害に立ち向かえるだけの力を有しているという事だ。


 こうなった原因は言うまでもなく『救国の賢者エアレーズング・クルーガー』にある……いや、彼の御蔭と言うべきか。


 何故なら、こうした現実的な思考形態は賢者が知識、技術を伝えるにあたって様々な現象、事象を論理的且つ簡易的に定義して見せた事を元に成立したからだ。

 まあ、その定義を王宮が民衆へ広く伝えた――賢者や彼の支持者からの説得や根回しもあった――からこそでもあるが。


 しかも、この意識改革が起きてから既に半世紀近くもの年月が経っているのだから、現在の若い世代にとって『神』など、それこそ時代遅れの迷信程度にしか思われていない事だろう。


 この数世紀ほど時代を先取りしているかのような認識は、王国の民達だけでなくエルレンブルク王国第一王女のセフィロティア・フォン・エルレンブルクも共有しているものだった。



 ――それが、アナタの望みか……?



 最愛の騎士を喪った直後、そこを見計らったかのように虚空から声が響いてくるまでは。


「…………え……?」


 微かな単音と共に、亡骸の傍らで俯いていた王女殿下の顔が上げられる。


 意識の奥底に滑り込むように直接頭の中で響いたその声を知覚した時、セフィーは余りにも現実離れしたその聴覚刺激を幻聴だと捉えたが、彼女だけでなく広間の人集り達までもが声が聞こえてきた場所、即ち彼女の頭上に位置する何も無い空間へ視線を向けている事に気付き、その声が自分の勘違いでは無かった事を悟る。


 とは言え、その声が誰のものであっても今の状況でセフィーが反応する事などあり得なかっただろう。

 騎士ハンスの死以上に重要な事柄など、彼女の中には何一つ存在しないのだから。


 だが、彼に縋って悲嘆に暮れていた筈のセフィーは傷だらけの胸板から顔を上げていた。


 まるで、妖しい力に魅了されたように、若しくは悪魔の囁きを耳にしたかのように。


 ――……それが、アナタの『望み』か?


 促すように繰り返された問いは、一度目と同様に空気の振動とは思えない異質な声で発せられていたが、セフィーはその声に宿る微かな苛立ちのようなものなど聞き流していた。


 彼女の意識は謎の声が口にした『それ』が、一体何を指しているのかで占められていた。


「……何を……? 私の、望み……? …………いや……まさか……そんな、事……!?


 セフィーの疑問は謎の声が響く直前にハンスへ向けていた言葉を思い出した事で、瞬く間に驚愕へと変化した。


 脳裏に浮かんでいる予感が都合の良い妄想でしかない事などセフィーにも分かっている。

 だから、それに縋りたいと思いつつもその先を口にできない。

 縋った所で死者が還らない現実を突きつけられるだけだと、頭の片隅で冷めた声が響いているのだから。


 しかし、声の主の忍耐はそう長続きする代物ではないらしく、


 ――……コッチも別に暇なワケじゃないんだけど? って言うか寧ろ全く余裕無いし。特に変更が無いなら今のでさっさと話進めさせて貰うけど?


 唐突に流暢な調子で勝手な言い分を押し付けた。

 今までの超然とした雰囲気を台無しにしてしまう語調だが、頭に響く奇怪さは相変わらずでもある。


 そして、セフィーにとっても声がどんな調子でどんな音色をしているかなどはどうでも良い事だ。

 彼女にとってはその言葉が指し示すものにこそ意味があるのだから。


「ま、待って下さいッ!! まさか、本当に……? こ、この人を……ハンスを……呼び起こして、下さるのですか……? そんなっ、そのような事が……!?」


 己の御都合主義な想像に対する驚愕と淡く仄かな希望とで、セフィーの口調は僅かに意気を取り戻している。


 それでも声の主はすぐには返答せず、勿体ぶるような間を置いて再び溜め息――口も喉も確認できないので、そもそも息をする必要があるのかどうかさえ不明だが――を吐いた。


 ――ハア……ピィーピィーと五月蠅いわね。これだから人間は…………でもイイわ。その美味しそうな――じゃない、憐れなまでの必死さに免じて、今までの不敬は不問にしてあげる。そうよ、今アナタが手にしようとしているのはアナタの望みに届くモノよ。


 返答は全く隠す気も無いらしい高圧的な態度と、これ以上の問答への拒絶で装飾されていた。


 その悪意的なニュアンスが混じる横柄さは、この短時間に連続した凶事と珍事で冷静さを欠いていたセフィーへ火を付けるのに十分な火種だった。


 だが、完全に見下しているその口調で放たれた悪趣味な冗談がとても見過ごせるようなものでないと理解し始めているセフィーの脳髄は、勝手に反発の言を怒鳴り散らそうとする口をギリギリの所で抑え付ける。


 そして、深く吐いた息で湧き上がる熱を排出すると、彼女は愛しい人の傍らに座り込んだまま震えが残る声を虚空に向けた。


「貴方は何が目的なのですか? このような――場面に都合良く現れるなど、話が出来過ぎています。その『望みに届くモノ』とやらの代償に、一体何を差し出せと言うのです?」


 セフィーは挑み掛かるような光を湛えた眼差しを向けているが、眼が何処に在るかもわからないのにそれが見えているらしい声の主は感嘆の香る声で問いを受け入れた。


 ちなみに、広間に集まっていた者達は『超常の存在と王女の対話』という、御伽噺のような異常な空気に呑まれて呆然としているだけだった。


――へえ、無駄に囀っていた割に話が早いじゃない。褒めてあげる……でも、そんなに身構える必要は無いわ。ワタシが欲しいのは快適な寝床と美味な食事よ。こう言えば人間のアナタでも理解できるでしょ?


 世間話でもするかのような軽い口調で紡がれたのは、本当に大した事の無い要求だった。

 一国の王女がその気になれば、一人と言わず百人分でも用意できそうなものである。


 しかし、セフィーの表情は見る見る険しくなっていった。


 それも当然だ。声を除いて正体不明な存在、増してや、甘言としか思えない都合の良い話まで持ち出すような相手なのだ。

 こんな奴が一体どのような寝床と食事なら満足するのかなど、ちょっと考える頭があれば誰だって悪い想像が浮かぶだろう。


 表面的には兎に角、内面上は無宗教者である彼女の脳裏にも『悪魔』や『契約』と言った単語と、最終的に主人公やその周囲が破滅してしまう悲劇的な結末の御伽噺が浮かんでいたが、それでも毅然とした態度を維持し続けていた。


「その『寝床』と『食事』は具体的に何を指すのですか? まさか、見下ろしている相手と同等の品を望んでいるわけではありませんよね?」


 気後れし掛けている内心を押し込めながら、挑発するような文言と共に中空を睨むセフィー。


 その心情を見透かしてか、或いは単に興が乗っただけなのか、虚空からは笑い声が返された。


――あら、威勢が良いわね。それに察しも良い。フフフ、そうよ。アナタが差し出すのは獣共の血肉でも石塊(いしくれ)やら木屑やらで組んだ箱でもなく、アナタ自身の身体(ウツワ)(ナカミ)よ。たったそれだけで、人間風情がワタシの権能を使えるのだから安いものでしょ?


 王女殿下は予期していた中でも最悪の部類に入る予想に息を呑んだ。


 無理もない。

 『亡くした者を蘇らせてやる代わりに命を差し出せ』と、命を秤に掛けさせるような要求を突き付けられて平静を保てるような奴の方がどうかしている。


「分かりました。この身の全てで以って、アナタの権能とやらを買い取りましょう。さて、引き渡しは如何すれば良いのです?」


 だが、彼女の逡巡は一瞬で消えた。


 迷いを振り切った――ではなく、元々迷いなど抱かなかったとばかりに堂々とした言葉は、無影の存在にとって愉快なものだったらしく、その笑み――無論、声のみだが――は益々深まっていった。


――……もっと苦悩すると思ったのに、つまらないわね。アナタ、命が惜しくないの?


「無駄話は結構。つべこべ言わず早く教えなさい。胸にナイフでも突き立てれば良いのですか?」


 面白がるような揶揄い交じりの問いに、セフィーは拒絶的で冷え切った態度で返したが、それを聞いた声の主は更に機嫌を上向けていた。


――無力で矮小な人間のくせに言葉だけは立派ね。でも、それぐらい言えないような腑抜けなんて無価値だし、今回も特別に許してあげる。だけど、その身体(ウツワ)を傷付けるのは許さないわよ。ワタシのモノになるんだから丁重に扱いなさい。


 睨む翠眼をどこ吹く風とばかりに涼しい顔で――繰り返すが、顔どころか姿も見えない――笑っている声の主の言葉に、少しばかり戻った冷静さで先程までの苛立ちを力尽くで押さえるセフィーは、己の質問に対する返答を押し黙りながら待つ。


 すると、すぐに声の主は口を――以下省略――開いた。


――それに、急いた所で別にアナタがすべき事なんて無いわよ。ただ抵抗せずに受け入れなさい。それで後はどうにでもなるから。


 言い終わるや否や声が聞こえていた中空に陽炎、或いは蜃気楼のような揺らぎが生じた。


 その揺らぎは徐々に形を変え、色を得て、とある姿を成した。


 それは悪魔でも、増してや天使でもなく、


「――――バン……シー……?」


 古くから伝わる御伽噺の中で『泣き声で家人の死を予告する妖魔』として伝わる姿だった。


 だが、広く伝わる『バンシー』の姿と比べ、その様相には数点の差異が見受けられる。


 本来、長い黒髪で緑色の服に灰色のマントを着た女性の姿をしているとされている『バンシー』と同じく、虚空から現れた()()も同色の服とマントを着ているが、その布束の中身は時間が経って固まった血のような暗赤色の長髪を生やす骸骨だったのだ。


 その禍々しい姿を、己を見下ろす髑髏の暗い眼窩を目の当たりにしたセフィーは、骸の隣で座り込んだまま動けずにいたが、そんな彼女の下へ長髪の異形が舞い降りて行く。


――さあ、楽にしなさい。()()()()()()一瞬の苦痛と引き換えに、アナタは望みを叶えるチカラを手にできるわ。


 予想を軽く凌駕する醜悪な異形を前に覚悟が揺らぎ掛けたセフィーの小刻みに振動する頬へ、肉が一切付いていない白樺の小枝のような指先が添えられた。


 その強張って震える頬を撫でながら、血髪の骸骨は自らの色を全て混ぜ合わせたように濁った暗色の粒子へと()()()いく。


「――――っ!!」


 逃げ道を塞ぐように己の周囲を取り囲み始めた暗い灰の吹雪によってセフィーの口から悲鳴が上がり掛けたが、その怯えた様子を見た事で此処までの異様な雰囲気に呑まれていた王国騎士達の意識がやっと覚醒する。

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