第49話
「そうですねそうですね。一つ、昔話をしましょうか」
対して、老人が口にしたのは過去を紐解く為の前置きだった。
その弾むような声音からは、逸った部下の無礼な態度への不快感は毛ほども見られない。
「私が聖騎士として身を捧げていた頃ですから半世紀ほど前でしょうかね。設立間も無い連合の最東端でルーメルニー大公国との間に起きた『東方領土奪還戦』に参加した時の事です」
両者の間に鎮座する執務机に両肘を立てながら枯れ枝のように骨張った指を組み、柔らかい眼差しでかつての部下を見据える大司教に、聖騎士長は未だ戦々恐々とした面持ちである。
その強張りが目に入らないのか、一呼吸挟んだ後にルチアーノの一人語りは再開した。
「当時、イウロピア帝国の崩壊に乗じて不当に領土を占拠していたルーメルニーの賊軍を打ち払う為、教団はこの戦に七徳聖騎士団のサピエンツィア聖騎士団、テンペランツィア聖騎士団、フィデス聖騎士団を含めた十万もの兵を投入しました。この屈強な兵力で以って我らが連合軍は優位に立ち、幾里もの道程の中で幾千の占領者達を打ち倒し、アムシュテッテンやザンクトペルテン、果てはウィーンやノイジードル湖西部までをも奪還したのです」
過ぎ去った日々へ想いを馳せるように天を仰ぎながら両眼を閉じるルチアーノは、瞼の裏で当時の情景を思い起こしながら我が子の枕元で語るような口調で話を進める。
対する聖騎士長も先々代のフィデス聖騎士団聖騎士長相手に余計な口を挟もうなどとは考えず、ただひたすら沈黙を保っていた。
「……ですが、快進撃も長くは続きませんでした。奪還した土地に幾人の聖騎士を残した連合軍がノイジードル湖の東側へと前進し、ルーメルニー領西端の町を接収した翌朝の事です。我々の到着前に全ての住民が避難を済ませていたらしい無人の町で目を覚ますと、町内に散っていた味方の大部分が原因不明の体調不良に襲われていたのです」
顔を戻さないまま開かれた老人の双眸は、まるで過去の失敗を投射するかのように微かな光を帯び、組まれた指が音も無く解かれて光沢を放つ板面へ着地した。
「後の調査で、町の井戸や飲み水に毒物が混ぜられていた事が判明しました。十万もの軍勢を運用する以上、兵站の節約は欠かせません。その為に手持ちの水を節約した事が災いし、平民上がりの徴集兵だけでなく我々聖騎士までもがその毒に侵されたのです。そして、大量の中毒者によって指揮系統が麻痺している隙に、町の外周に拡がる森林地帯で潜伏していたルーメルニー軍が奇襲を仕掛けてきました。しかも、大軍を率いる我々を攪乱する為に最初から細工されていたのでしょう、襲撃と同時に町の至る所で火の手が上がり、毒で弱っていた兵達は為す術も無く斃されていき、我々は撤退を余儀なくされました」
突如上がった怒号と悲鳴、立ち昇る黒煙と耳を劈く剣戟の音、あれほど見事に嵌められてしまってはもはや笑うしかありませんね、と老人は心底楽しそうにクツクツ笑う。
だが、彼が普段から見せている人間味が希薄な微笑みとの微かな差異を見付けてしまったジルベルトは、その差異から漂う不穏な気配に背筋が凍る思いだった。
「こうして、町一つを丸ごと使い潰した策によって終わりを迎えた『東方領土奪還戦』ですが、最後の奇襲戦で町に現れたルーメルニー軍の中にある特徴的な剣士が目撃されていました。剣士は外套で頭から足元まで全身を覆っていた為に外見は判然としませんでしたが――その両手に黒鋼の片刃剣を一振りずつ握っていたそうです」
酒の肴に武勇伝を披露する酔っ払いのように快活だった語りを区切って口を休めた大司教は、その明るい口元とは裏腹に無機質な光が灯った青い瞳でジルベルトを見遣る。
見竦められた聖騎士長はその視線で老人が何を求めているか察すると、糊付けされたように固まっていた喉と口を強引に動かす。
「その剣士こそが『人狼』……いえ、奪還戦の年代を鑑みるなら『救国の賢者』だったと?」
いつまでも黙して固まり続けていた事がお気に召さなかったらしいと、聖騎士長は自らの失言に返された前置きと唯一上げられた特徴からの推測で以って先を促した。
対して、相槌代わりの問いに満足したのか、老人は口元の笑みを更に深めて頷いた。
「ふふ、そうですそうです、その通りです。どういった経緯だったのかは今でも分かっていませんが、何でも彼はルーメルニーの客将として迎えられていたらしく町での奸計は彼が立案したものだったそうです。加えて、町で彼と思しき剣士と遭遇したらしい者達は首を綺麗に刎ねられていたり、胴を上下に斬り分けられていたり、四肢の二、三本を失っていたとか。そして戦の後、『賢者』はルーメルニー大公の紹介でエルレンブルクへと渡っていたようです。尤も、私が彼の動向を知ったのはフィデス聖騎士団の聖騎士長に就任し、『賢者』の異端認定がなされた後でしたがね」
僅かに嘆息しながら一言目と同様に朗々と語りを維持するルチアーノに、黙したまま繰り返すように乾き固まった喉と口を動かせないでいるジルベルト。
だが、今回聖騎士長の口を塞き止めたのは大司教の眼光ではなく、彼が口にした奪還戦犠牲者の惨状の方だった。
それも無理からぬ事だろう。
何しろ、告げられた当時の犠牲者とバンゲントーゼでの作戦中にあの悍ましくも忌々しい小僧の手に掛かった者達の状態が余りにも酷似していたのだから。
「何でも、当時のルーメルニー大公妃はエルレンブルク王家の出身だったそうで、その伝手が彼の連合領地侵入や此度のエルレンブルク造反に繋がっているのでしょうが、今は脇に置いておきましょう。異端認定が下された直後、我がフィデス聖騎士団に彼の追討命令が下されました……丁度、今回の暗殺指令と同様に、ね。『賢者』は教団の裁定を察知して行方を晦ませようとしていましたが、我々は王国を出奔した彼を発見、包囲するまでに至りました。そうして、私を含むフィデス聖騎士団六十名の包囲網はその手に握った武器と意識を刈り取られ、彼の者を完全に取り逃がしてしまいました」
昔語りを再開した老人がコツリコツリと楽器を奏でるように滑らかな木目に指を落とし、自らの失態を喜々とした様子で語る上司にどのような顔を向ければ良いのか分からない聖騎士長はその動作へと視線を固定している。
視線を落として目を合わせないようにしているジルベルトを見て、任務失敗で消沈しているのだと解釈したルチアーノは慰めるように優しく細めた視線を向けた。
「――ですが、賢者を王宮から排する事には成功しました。要は手段に拘って目的を見失ってはいけないという事なのですよ。『人狼』と賢者の繋がりが明らかとなった以上、『人狼』が今までに打ち立ててきた戦果が誇張でない事は疑いようがありません。となれば、高々百余名程度の戦力での打倒は難しい……そして、戦闘面だけでも此処まで突出した彼らが王国に与える影響力は絶大です。『救国の賢者』は言わずもがな。『人狼』はたったの二年で王女をものにし、剰え王国が企てる連合造反の旗頭になろうとしている――まあ、これは本人の意思が反映した結果ではないのでしょうがね。つまり、我々教団にとっては彼らをクヴェレンハイムから追放できれば、それだけで目的が達せられているのですよ。今回で言えば、『人狼』という神輿を取り上げる事で、王国造反の要である王女の動きを止められますからね」
そうして、この隙に婚約を確固たるものに纏めてしまえば我らの勝利です。
ルーメルニーとの同盟を阻止し、我が養子を通じて王国の掌握が叶う事でしょう――と、ルチアーノは今度こそ本心から喜んでいるように見える笑顔を浮かべつつ、執務机を軽快に打ち鳴らしていた指を止めた。
手持無沙汰を紛らわせていたような手が止まった事で、チラリと視線を持ち上げた聖騎士長は今一度意を決したように口を開く。
「……では、今回の任務は――
――ダンダンダン!!
まるで、ジルベルトの口が開かれるのに合わせたかのようなタイミングで扉が打ち鳴らされ、室内の両者はその視線を不躾な打撲音の元へと向けた。




