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くようばこ ひとつめ  作者: 狩人タヌキ
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第45話

「――どうぞ」


 普段通り――とは行かないまでも、数日前よりは大分回復したセフィロティア王女殿下が、その日の執務を終えようとする、そんな時間帯だった。


 第三執政室の扉が乱暴に、或いは焦燥に駆られたかのように何度も叩かれたのだ。


 セフィーはその無礼な振る舞いに一瞬眉を顰めたが、すぐに応えを返して入室を許可する。


 すると、ブチ破るような勢いで扉が開き、入室者はその勢いのまま一瞬で執務机の前へと踏み込んで来た。


 その非礼な入室者の正体は驚くべき事に、その厳格さや誠実さでよく知られる王女専属近衛騎士兼秘書官のファルカミーナ・ブルンベルクだった。


「大変ですッ!! セフィーッ!!」


 主と従者の間に在るべき礼も忘れて叫びながら走るような勢いで詰め寄ってくるファルカに、セフィーは完全に面食らいながらも殆ど反射的に口を開いた。


「ど、どうしたと言うのです? それほど慌てて……一体何があったと言うのですか?」


 突然の出来事に目を白黒させているセフィーだが、彼女が問いを口にしている間に呼吸を整えたファルカは、セフィーの両肩に手を伸ばして翠眼を真っ直ぐ見詰めながら口を開いた。


「落ち着いて聞いて下さい……ハンス・ヴィントシュトース卿が戻って参りました」


 その報告を――いや、その名前を耳にしたセフィーは一瞬だけ目を見開いたが、彼女は真っ直ぐ向けられた視線を避けるように、若しくはファルカの言葉から耳を背けるように顔を伏せてしまった。


「……話なら既に聞いております。彼は教団の依頼を受けて合同任務に出ていたのでしょう? それを予想よりも早く終えてきたと言うだけで、特段騒ぐ事など無いでしょうに」


 冷たく突き放すような言い分は微かに震えていたが、セフィー自身はそれに気付けていない。


 そして、ファルカがこれほどまでに取り乱している理由にも。


 彼女は肩に乗せた両手でセフィーの顔を無理矢理起こし、不可解に揺れる声音で語り掛けた。


「――違っ、違うのです、セフィー!! 彼は……彼は貴女を呼んでいるのです!! すぐに行ってあげて下さい!! 彼にはもう、一刻の猶予も無いのです!!」


「――――え……?」


 この時、セフィーはファルカが口にした言葉の意味が本気で分からなくなっていた。


 ……まるで、これで最期だとでも言うような言葉など。


 それに、セフィーはファルカの目尻に浮かぶ雫が何なのか全く理解できなかった。


 ……まるで、誰か大切な人との別れを前に流れ落ちるような嘆きの雫など。


 だから、セフィーは黙殺していた。


 ……まるで、あらゆる希望(ひかり)を閉ざすように自分の胸中を満たす巨大な黒雲の存在など。


「ファル、カ……? 貴女は……一体、何を言っているのですか……? ハンスが、そんな……じょ、冗談は止めて下さいッ!!」


 立ち上がりながらファルカの手を振り払ったセフィーは、この一瞬で一気に干上がった喉で精一杯叫んだ。


 だが、そこには何の力も宿っていない。


 いっそ、寒々しくなるほどに空っぽな響きだけが木霊した。


 対するファルカの方は、振り払われても、その眼の雫を堪えきれなくなっても、ただひたすらに真っ直ぐと翠眼を見詰め続けた。


 ファルカは何も口にしていなかったが、その視線が、いや、彼女の在り様が、震えるセフィーへ雄弁に語り掛けていた。


「何で……そんな、嘘なのでしょう? だって、彼は『闘技場の英雄(ドゥエル・ズィーガー)』で……『真紅の疾風ブルート・ヴィントシュトース』と呼ばれるほどの……勇士で…………私に……必ず、無事に帰るって………………」


 強くて、厳しくて、そして何よりも優し()()()眼差しを前に、力無く頭を振るセフィーの言葉は、やがて、蝋燭の灯火が消えるように静かに沈んでいった。


 だから、ファルカは彼女を抱きしめた。


 告げられた事実から逃げるように一歩一歩後退っていたセフィーを抱き止め、ファルカは彼女の耳元で嗚咽が混ざるその声で彼女に囁いた。


「行ってあげて下さい、セフィー……彼は今、王宮の入り口広間に居ます……彼には、貴女が……貴女()()()必要なのです」


 ゆっくりと腕を離したファルカは、一つ年下の妹分に微笑みを向けた。


 その言葉と笑みとに励まされ、冷たく止まり掛けていた心を再燃させたセフィーは向けられ続けていた翡翠の瞳をしかと見据える。


「――伝えてくれて有難う御座います、ファルカ……すぐに向かいます」


 優しく包み込むような抱擁が解かれて自由になったセフィーは、張り裂けそうな笑みを浮かべるファルカへ頷き返して執政室を飛び出す。


 扉を押し破るように開いた彼女は廊下に躍り出ると、長く足下を覆う邪魔な布束を両手で掴み上げて一目散に駆けて行き、壁に当たった扉が跳ね返った勢いのまま乱暴に閉じられた。


「――これで、良かったのです……彼は、セフィーを呼んで……セフィーも……彼の事を、想って…………だから……だから………………ッ」


 主が去って無人となった執政室からは、騎士の慟哭――ではなく、()() ()()が零れていた。


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