第44話
時刻は短針二周目の五時過ぎ。
授与式、及び祝勝会が行われた日から既に四日が経過していた。
クヴェレンハイムは普段と変わらない賑わいを見せており、今日も幾人もの人々が行き来して笑顔を交わし合っていた東門には、勤務時間終了間際の緩んだ空気が広がっていた。
「ン、フワァァァアアアアアアアアアア――――……」
その空気の権化とも呼べるほど緩み切った番兵は、犬のように大口を開けながら固まった背筋を伸ばそうと、両手を結んで思いっ切りっ頭上へと伸ばしていた。
「オイ、エーミル。まだ勤務中だ。気の抜けた面など晒すんじゃない」
「ン――――――、ハァ――、うるせえなボリス。いいじゃねぇかこれぐらい。どうせ、こんな時間じゃ誰も来たりしねぇって……」
番兵役として門を任されている彼らは、ファルカと同じく王国騎士団第一部隊の見習い騎士であり、何れは要人、要所の警護や王都内の治安維持を任されるエリートだが、今はありきたりな下積みに過ぎず、今日も平和で暇で退屈な門番役を日がな一日任されていのだった。
「毎度毎度思うけどよ、なんだってこんなアホみてぇに平和な場所で、起こりもしねえ面倒事なんか見張ってなきゃいけねえんだよ!? つうか、ずっと立ちっぱなしって何だよ!? 折角、騎士になったのに、何でこんな拷問紛いの苦行に付き合わされなきゃいけねぇんだ!?」
「毎度毎度言っているが、これは王国騎士の一員としての栄誉ある任務だ。そもそも、街が平和な事は先人達が積み上げた歴史の成果であって、当たり前の事ではないのだぞ。これを未来に繋げる為にも我々王国騎士は元より、王家の方々や文官の方々と共に――
「あ~~~! あ~~~! あ~~~! もういいっての! ……ったく、毎度毎度、バカみてえな長話しやがって。やっぱお前も暇なんだろそうなんだろ!?」
「誰がバカだ!! それに貴様と一緒にするな!! 僕は由緒正しき王国の伯爵家――
「うるせえぞ、若造共!!!!!! 無駄口叩いてんじゃねえ!!!!!!」
「「ハイッ!! 申し訳ありません!!!!!!」」
……何と言うか、今日も一日やっぱり平和である。
そんな平和の権化二人の話は、どこか使い古された感のある時事ネタへと移行していった。
「……そう言えば、伯爵家次期当主サマよ~?」
「何だ、子爵家三男?」
「んなツンケンすんなよ……いや、そう言えばお前、伯爵家の人間だったからさ、あの話って本当だったのかなあ、って思ってよ」
「あの話……?」
「いやだから、この間の祝勝会でさあ、何かあったんだろ?」
「……ああ、教団の老害が『自分の子をセフィロティア王女殿下の婚約者に~』などと巫山戯た事を口走った件か……」
「そうそう、それそれ。で、実際どうなん? その場では王女様も『後日また改めて』とか言っただけらしいけど、なんかもっと詳しい話とか聞いてねぇの?」
「ああ。どうも噂では二年前のフランキスとの一件が関わってるらしいが、それ以上はな……」
肩を竦めてみせたボリスに、ふうんと気の無い返事を返したエーミルはそう言えばと再び話題を切り替える。
態度の軽いエーミルと勤勉実直で頭の固いボリスの組み合わせは、どう見ても相性悪そうだったが、事此処に『退屈』という共有物がある所為か、不思議と上手く噛み合っていた。
「なあ、二年前って言えばアレだ、『真紅の疾風』。あの人も祝勝会出てたんだろ? どうだったん――
「ヴィントシュトース、だと……」
少なくとも、この瞬間までは。
「あ、ああ……どうだったん――
「どうもこうもあるかッ!! あの、ぽっと出の田舎者めッ!! 終始延々とファルカミーナさんを独占しやがってッ!! 何であんな奴が叙任されていて、僕がまだ見習い騎士なんだッ!! ふざけんなッ!! ふざけんなッ!!!! ふざけんなッ!!!!!!」
「お、オイ、落ち着けって――
「大体何なんだアイツはッ!! いきなり現れたかと思ったら、ファルカミーナさんを差し置いて『闘技場の英雄』などと呼ばれてチヤホヤされて生意気なッ!!!!!! ちょっと腕が立つからってあんな何処の馬の骨とも知れないような奴が騎士であって堪るかッ!!!!!! この――
「うるせえって言ってんだろ青二才共ッ!!!!!!」
……やっぱり、今日も平和な一日だった。
東門の正面に拡がる平原の街道に、一つの人影が現れるまでは。
最初に気付いたのは二人揃って大声で謝辞を示してからも俯きがちにブツブツと恨み言を連ねるボリスではなく、そんな彼に呆れながらぼんやりと正面に目を向けたエーミルの方だった。
「オ~イ、いつまでブツクサ言ってんだよ? マジメに仕事しろって言ったの、お前の方――……なあ、オイ。噂をすればだ。お客さんが来たぞ、ボリス。ちゃんと背筋伸ばせよ?」
「……あんな奴…………ファルカミーナさんは…………僕だって……」
「……ハァ……もう好きにしろよ……」
未だ世の理不尽と格闘している相棒を投げ捨てたエーミルは、御出迎え用の鯱張った顔と姿勢で御出迎えの準備を整える。
その間も少しずつ人影は大きくなってきていたが、ふと街道側から吹き抜けた風と共に届いた嗅ぎ慣れない匂いに、エーミルは眉を顰めた。
「なあ、何か臭わねえか? 錆び臭いって言うか、饐えた臭いって言うか……なあ、オイってば。ボリス!」
「……いつか……必ず…………そうすれば……僕の元に……」
「オイ、いつまでやってんだ、ボリス! ったく、もう知らねえ、から……な……?」
霞んでいった言葉尻はまるで吹き消される蝋燭の灯火を連想させたが、エーミル自身にはそんな下らない事にまで気を回せる余裕など皆無だった。
彼の視線の先に居たのは、まさに地獄から這い出してきたかのように血に塗れた衣で全身を覆う魔人だった。
その魔人は赤黒く固まったものから今も滴り落ちる真紅のものまで区別無くその全身を血で染めており、両手にはこれもまた血で薄汚れた二振りの片刃剣を握り締めている。
「オイオイ、何だよアレ……? 何なんだよ、オイ! なあ、ボリス! ボリス!!」
恐怖に駆られて無意識に短槍を構えながら、殆ど悲鳴のような声音で呼びかけるエーミルに、俯きっ放しだったボリスもやっと我を取り戻したらしく胡乱気な視線を返しながら問う。
「……何だよ、エーミル。猪か熊でも出て来たのか?」
「そんな生易しいモンじゃねえッ!! お、俺が……俺は応援呼んでくるから後は任せたぞッ!!」
「え? いや、オイ!? 何やってる!? 職務放棄だぞ!! ……全く、一体、何……が……?」
言い捨てて持ち場を離れた同僚に呆然としながら頭を振って正面を向いたボリスは、此処でやっとこの門に迫る異常事態を認識した。
「ハ……? いや……え……? な、何者だッ!!!!!! 名を名乗れッ!!!!!!」
一目散に逃げ出したエーミルとは違い、それなりに胆が据わっているらしいボリスは、それでも震えを隠せぬまま裏返り掛けた大声で激しい誰何をぶつけた。
対して、紅の魔人は引き摺るような遅々とした足取りながら、しっかりと地を踏み締めて確実に歩を進め続けている。
「答えろッ!!!!!! 貴様は何だッ!!!!!!」
いつまでも黙したまま東門前の広場まで辿り着いた魔人に、ボリスも遂に槍を構えた。
しかし、そこで彼は謎の既視感に襲われた。
(――――ッ!!!!!! 何だッ!! 僕は、一体……!? 僕はこんな化物の事なんて知らない、筈……いや、確か……前に一度、見た事が……?)
そう、彼は確かにこの魔人を知って――どころか、一度だけとは言え剣を交えた事も――
それは、約二年前の屋外戦闘場で――
「…………ま、さか………………ハンス・ヴィントシュトース…………卿……?」
ボリスは目を見開きながら、その名を口にした。
そうして、彼は目前の魔人の装束に改めて目を向けて確信を得た。
その魔人が身に付けていたのは、以前ボリスや他の騎士達が纏まって難癖付けた挙句に全員纏めて叩きのめされた時の、その若い見習い騎士が纏っていた戦装束だったのだ。
と、此処でやっと応援を連れたエーミルが戻り、彼と彼に連れられた五人が血塗れの魔人を囲み、その内の一番年長らしい騎士が代表して口を開いた。
「貴様は何者だッ!? 何の目的があって現れたッ!?」
流石にそれなりの場数は踏んでいるらしく、震えも変声もせずに放たれた誰何に、魔人は歩みを止めないまま虚ろにくすんだ眼差しを向けた。
「……王国……騎士、団…………第五……部隊、ハン……ス……ヴィント、シュトース……だ…………すぐ、に……王宮……へ、取、次…………を……」
掠れる声でそれだけ告げると、彼はそのまま開かれている門へと足を向ける。
一方で、対応に困ったのは守衛の王国騎士達だった。
何しろ王国騎士を名乗る魔人はその異容の所為で人相さえ判然とせず、全身が血に塗れていた所為で、胸の防具に刻まれている筈の紋章さえも確認できなかったのだから。
とは言え、彼が握る双剣は余りにも特徴的で、とある騎士の象徴とも言える代物だった為、最終的に彼の言葉を疑う者は誰もいなかったが。
しかし、それならそれで騎士達は彼に協力するべきだろう。
少なくとも、『取り次いでくれ』と頼まれているのだから誰か王宮へ知らせに行くべきだったし、そもそも、ハンスが王宮へ向かうのならば彼の異常な風体をどうにかするべき事くらい子供でも分かる筈だ。
なのに、王国騎士達は誰一人として動けなかった。
それは普段彼を敵視しているからとかの詰まらない理由ではなく、偏にハンスの身体から迸る言い知れない重圧に呑まれていたからだ。
結局、彼らにできたのはただ去り行く後姿を見送る事だけで……
ただ、もし仮に王国騎士達が何らかの行動に移ろうとしていたとしても、既に手遅れだった。




