第42話
「ハァ、ハァ、ハァ、ッ……クッソ!! やっぱ……居ねぇよな……ハァ、ハァ」
荒い息で誰ともなく罵りながら、ハンスは厩舎の入り口に寄り掛かっていた。
聖騎士長との会話の中で出てきた通り、この厩舎は馬百頭丸々収容できる規模を持ちながら、ただの一頭さえも存在していない。
と言っても、ハンスは馬の有無を確認したかったのではなく、敵軍の迎撃の為に訪れただけなので語調ほど頭は温まっていないが。
そんなわけで一先ず包囲から抜け出せたハンスは、次の接敵に備えて行動を阻害する邪魔な矢を除去しようと、黒い剣で太腿を貫通している矢の筈側を斬り落とし、コートの袖を噛み締めてから反対の手で鏃側を握り締めた。
「ハァ、ハァ……せぇ、のッッッ!! ――――――――ッッッ!!!!!!」
激痛に視界を白滅させながらもなんとか悲鳴を噛み殺して矢を引き抜くと、ハンスは八つ当たり気味にそれを投げ捨てて厩舎の奥に進んで行った。
彼にとっては都合の良い事に厩舎の中は壁板の隙間から零れる月光が唯一の光源という暗さであり、隠れ潜んで奇襲を仕掛けるには絶好の空間が広がっている。
この限定空間内で上手く乱戦に持ち込めれば、同士討ちを避ける為に行動が制限された聖騎士達を殆ど一方的に血祭りにできるだろう。
(まぁ、これでやっと賭けになるってトコか……あぁ~、ったく、なかなかにキツイ状況だなぁ、オイ……)
内心で毒突いた通り、ハンスの置かれている状況は相当危うく、特に容体が深刻だった。
いや、傷の一つ一つはそれだけですぐ命に関わるほどでもないが、問題は出血の量だ。
特に宿で刺された傷は脚の矢傷よりもずっと深く、最初は傷に負荷を掛けないよう最小の動きで済む突き技のみで攻めるつもりだったハンスだが、先の戦闘で複数人を纏めて屠る大振りな斬撃を繰り出さざる負えなくなり、その所為で傷口からは未だに生暖かい液体が垂れていた。
それに、ナイフの塗装そのものに毒のような効能があったのか、黒塗りの刃に刺された腹が広い範囲で熱を持ったように疼いている。
(取り敢えず済んだのが十五で、残る聖騎士は八十五。んで、烏共の内、詰め所を襲った連中が合計十~二十ぐらい居るとして、合計であと百前後ってところか……だが、それよりも、)
裂け拡がってしまった傷口からの出血で若干朦朧とする意識を奮い立たせて思考を進めるハンスは、先の会話で仄めかされた緊急事案へと思考を移した。
(ヤツの話とあの日の訓練所で見た痕跡からして、王宮内に教団と繋がってる裏切者が居る事は間違いねぇ……となれば、最悪逃げる事になってでも王宮に戻らねぇと、この先、どぉ転ぶか分かったもんじゃねぇ)
つらつらと考えながら歩みを進めていたハンスは、厩舎奥の月明かりから外れた暗がりを見付けて腰を下ろすと、脚の傷を治療すべくバックを下ろして中を探った。
(祝勝会の後で自由に王宮内を動けるとしたら貴族に騎士に使用人連中だが……教団がワザワザ……そっから探れば、ある程度は絞り込めるだろぉが……いや、違う、そぉじゃねぇ……)
微かに震える手でいつぞやの余った包帯を見付け、それで脚の付け根を圧迫するように縛りながら、ハンスは周囲の状況を探り始めた。
彼としてはこの辺りで止めにしても良いぐらいなのだが、聖騎士達にその気は無いらしく、彼の五感は厩舎を囲む大勢の気配を捉えていた。
(一番問題なのは、王宮内に敵が居て、それを俺以外の誰も知らねぇって事だ。なら、早いトコ戻って、少なくともセフィーには伝え……? 何だ……? 焦げ……臭い……?)
滔々と続く思索を阻んだのは、木や藁が燃える煤の臭いだった。
その臭いに釣られて周囲の状況を今一度見据え直したハンスは、厩舎の壁を中心に次々と火の手が上がっている事に気付いた。
「………………オイ、嘘だろ……?」
油でも撒いたかのように、いや、実際に撒き散らしたであろう勢いで燃え盛る炎を前に、思わず現実逃避気味に呟いたハンスだったが、それで現状が好転するわけでも無い。
「……ったく、こちとら寝不足と疲労と出血多量と毒のフォーカードで手一杯なんだっつぅの……ハァ……ホント……もぉ、勘弁してくれ……」
先程までの一時的な興奮状態の反動で凄まじくローテンションなハンスを急かすように、厩舎を舐める炎はどんどん勢いを増し、遂には天井にまで燃え移り始める。
此処まで来ては流石に漫然と座り込んだままでいられるわけも無く、今までの亀や蛞蝓のような動きが嘘のような機敏さでバッグを背負い直しながら立ち上がり、厩舎の出入口――ではなく、その反対側、最初に燃え上がり始めた壁に向けて走り出した。
「ミエミエなんだよ、このイカレバトがッ!!」
目の前の壁へ、いや、誘うかのように火の手が薄い出入口の向こうで武装集団を侍らせているであろう聖騎士へ文句をぶつけたハンスは、駆けながら抜き放った双剣を振り被り、激突の瞬間、剣先に勢いをたっぷり乗せて振り抜いた。
黒い剣は炭化していく壁を容易く斬り裂き、新たな戦場への扉を文字通り切り開いて見せた。
「さぁてさて、馬鹿正直に出入口を張ってるマヌケ共の横っ腹に喰らい付いて――
「さあ、これで王手だ。此処からどうやって挽回するかね、ハンス・ヴィントシュトース卿?」
木粉や煤で隠れたハンスの視界は、彼が開けた穴へと吹き込まれる風によって一瞬で晴れ渡り、彼の射程外を囲むように包囲する百名近い聖騎士の姿を捉える事となった。
ハンスの背後で燃え盛る炎に照らされ、聖騎士達の白い装いの中に黒衣の隠者達が紛れているが、事此処に於いて隠れ潜む気など無いらしく、堂々とスティレットを抜き放っている。
その集団の中でも一際目立つ巨漢の特権階級特有の優越感が悪意で一層歪んで見える顔を睨みながら、ハンスは不快極まると言った調子で口を開いた。
「……王手だと? オイオイ、アンタがやってんのは狩猟じゃなかったか?」
噛み付くような揶揄いの口調だったが、ハンスの言葉は自分でも分かるほどに負け惜しみじみていた。
「ああ、確かに。だが、どちらも獣と人と程度の違いはあれど、本質は知恵を競う遊戯である事に変わりはない。私はね、卿に対する認識を改めたのだよ。本能だけの動物と思っていては足元を掬われる、とね」
「そぉかよ。なら、棋士サンはこっからはどぉ詰めてくつもりだ?」
どうでも良さげな口調で相手に喋らせて時間を稼ごうとする苦い顔のハンスと、その狙いを見透かした上で敢えて乗るニヤけ面の聖騎士長。
二人の口撃は、現状の力関係をそのまま反映しているかのようだった。
「そうだな……優秀な騎士駒を獲るのなら、やはり此処は弓兵の出番かな?」
「ふざけんな。弓兵駒なんて駒があって堪るか。ゲームってんならフェアにやれよ」
「いやいや、此方も本物のゲームと言うのなら幾らでも付き合ってあげられるがね、この盤上には各々命を懸けているのだ。そして、私には将として部下を生きて帰す義務がある。ならば、私が選べるのは最少の犠牲で最大の利を得られる策だけだろう?」
その同意を強要するような問いと共に聖騎士長の腕が挙げられ、それに合わせて部隊後方で弓矢を手にしていた聖騎士達が一斉に構えを取り始める。
対するハンスは淡々とした口調で『そぉか』と言い残すと、俯くようにして深く長く息を吐いてから再び不快な笑みへと視線を向け直す。
少年騎士にとって無表情が剥がれた聖騎士長の顔は、いつぞやの略奪騎士達を彷彿とさせた。
「御高説の礼に、コッチからも二、三教えといてやるよ、フィデリオ・ジルベルト聖騎士長殿」
一度伏せられてから真っ直ぐ射抜いてくる琥珀色の瞳に、聖騎士長は嗜虐的な嘲笑を深めた。
「チェスの勝利宣言ってのはな、戦争の終焉を伝えて両軍に剣を引かせる為にあるんだよ。これが無けりゃぁ、駒は自軍が完全に勝つまで|止まれなくなるからな。だが、ココには王駒なんて一人も居ない。テメェはさっき自分の事『将』だなんて呼んだがな、俺から見れば国と民の為に戦ってる主を脅かす歩兵駒の一つに過ぎねぇ……何が言いてぇか分かるか?」
一旦言葉を区切ったハンスを促すように、聖騎士長が挙げた手を握り込みながら下ろした。
すると、彼の後ろに並ぶ聖騎士達もそれに従って弓矢を下ろす。
「さあ? 私には分かりかねるが、卿は一体何を教授してくれるのかな?」
止めとばかりに口頭でもハッキリと先を促す聖騎士長に、ニヤリと頬を吊り上げるような笑みを返したハンスは、両手の剣をクルリと一回転させ――
「――つまり、守るべき王駒も斃すべき敵将も居ないんじゃぁ、戦場を空にするまで戦いは終わらねぇって事だ。丁度、今、この盤上みてぇにな!!!!!!」
叫ぶと同時に、ハンスは両の手に握った黒剣を構えた。
だが、彼と彼を囲う軍勢を隔てる距離は、少年騎士を強制的に後手へ回らせ、聖騎士達には無傷での勝利を与えるものだった。




