第4話
「……テメェらにだって、帰る場所ぐらい在ったんじゃねぇのかよ……バカ野郎共が……」
何とも言えない湿った落下音が二つほぼ同時に少年の耳に届き、素早く巡らせた視線で周囲に敵の気配が無い事を確認してから嘆息するが、ふと向けられた少年の瞳は一頭だけ逃げずに残っていた青毛に吸い寄せられた。
その馬は顔に剣が突き刺さって絶命した騎兵の騎馬だったのだが、自らの背中から落下して血が染み渡った地面に横たわる相棒を起こそうとしているのか、熟睡しているかのように身動き一つしない相方を鼻先で小突きながら低く嘶いている。
「――――ッ……本当に大バカだ……ったく……」
天を仰ぎながら呟いた少年は瞼を閉じて肺を空にするほど深く息を吐き出し、不安そうに耳をピクつかせている鹿毛の首元に刃を向けないよう注意しつつ手を伸ばした。
「よぉーしよし、どぉどぉ……んな怯えなくて大丈夫だっての。俺が乗ってる限り、お前には剣も槍も届かねぇよ」
荒っぽい言葉に反した穏やかな口調と首筋を柔らかく撫でる指先に安心したのか、鹿毛は短く嘶きながら両眼を細めている。
騎馬の満足そうな様子に一つ頷くと、少年は騎兵隊の主力が走り去っていった平原中央部へと視線を移した。
「……さてっと、戦局は……やっぱり、ひでぇ有様だな……」
顔を歪める少年が口にした通り、戦場は既に血みどろの地獄と化していた。
最初に騎士達が突撃した前方部隊は離反した教徒達の進軍によって既に防御役の重装歩兵達が突破されており、件の最新兵器である巨大弩は誰一人射抜く事無く血飛沫に彩られている。
もう一つの離反部隊である右翼部隊を迎え撃った騎兵隊達も既に接敵していたが、早々に予想通りの乱戦と化しており、互いに幾人もの死傷者を出していた。
このままの状態で戦局が推移すれば、殲滅を終えた前方の騎士と教徒の群がそのまま後方の乱戦に参加し、残った騎馬隊を圧倒する事だろう。
「侵略戦争だってのに新兵器の運用に気を取られてノロマな陣形なんぞ組んだのも、アホみてぇに重い弩なんぞ持って、機動力を売りにしてる王国騎士団を相手取ったのも間違いだったな。まぁ、教団のセコい裏工作が無ければもぉ少し抵抗できたんだろぉが」
少し離れた所で倒れている高価そうなプレートアーマーを纏う死体達へ届く筈も届かせるつもりも無い無意味な批評を聞かせた少年は、しばらく戦場を眺めてから一つ鼻を鳴らすと、その眼に両手で握る鋼達と同じ冷たく鋭利な光を宿らせた。
「――まぁ、こんなつまんねぇ戦争なんかさっさと終わらせるに限る、か……下手に弱らせてそのまま逃がしたりしたら、帰る前にその辺の村襲ったりしそうだし。そぉなったら、頑張って統治してるセフィーに顔向けできねぇしなぁ……」
背に乗った少年の口調とは真逆な気迫に当てられた鹿毛が再び怯えだすが、少年は今回宥めずにそれを無視したまま腹を蹴って前進を命じる。
「怯える必要なんかねぇって、さっきも言ったろ? さぁ、さっさと進みな。ちゃんと守ってやるから」
ところが、鹿毛は落ち着きなく足踏みしながら短く嘶きを上げるだけで、少年の指示を全く聞こうとはしなかった。
彼が剣の側面で軽く尻を叩いても甲高い声で短く鳴くだけで、目の前の戦場には決して向かおうとはしない。
そんな鹿毛の様子を見て諦めたらしい少年は、跨った時と同じくコートの裾を翻しながら颯爽と跳び下りると、クリクリとした大きな目を真っ直ぐ見詰め、
「分かったよ。無理強いして悪かったな。お前は今から自由だ。仲間達の後を追うも良し、新天地を目指すも良し、ってな」
そう告げて、もう一度剣の側面で軽く尻を叩く。
すると鹿毛は軽やかに嘶いて反転し、そのまま跳ねるように平原を駆け抜けて行った。
苦笑する少年は一見して簡単にその呆れが読み取れるほど大袈裟な調子で肩を竦めつつ、同じく騎馬だった仲間達が走り去っていった方向へ一直線に駆ける黒点を見送る。
「やれやれ、あんな臆病でよく騎馬が務まったもんだ。――っと、何だよ? こっち見んな」
改めて振り返った少年が再び戦場に目を向けると、どうやら今までの戦場らしからぬ呑気な遣り取りを目撃していたらしい騎兵が何人も少年を見据えていた。
唖然とした表情で視線を向けてくる騎兵達へ、少年はシニカルな微笑みと冷酷な殺意の籠った視線を返す。
それを挑発と受け取ったらしい騎兵達は元々熱が籠っていた兜へ更に熱を上げつつ、戦いの最中で荒れた息を整える間も無く口を開いた。
「敵だァ!!!!!! 部隊長を殺った奴が生きてるぞォ!!!!!!」
「殺せェ!!!!!! 奴を生かして帰すなァ!!!!!!」
「総員ッ!!!!!! そこのクソガキをブチ殺せェ!!!!!!」
戦場の狂熱に突き動かされるように喉を潰す勢いで声高に叫ぶ騎兵達とその怒声で振り返った騎兵部隊を鼻で嗤いながら、少年は両手の剣を力み無く握って街中を歩くようにゆっくりと足を進め――
「悪ぃが、テメェら全員ココで死んでもらう。恨むんなら、さっきの時点で帰らなかったテメェらの愚鈍な生存本能を恨むんだな」
――囁くように穏やかな口調で嘯いた。
怒号荒れ狂う戦場で騎兵達に届いたとは考え難いが、その言葉が合図となったように彼らは雄叫びを上げながら突進を敢行した。
対する少年は左右の剣をダラリと提げたまま正面に構えて――構えと言うより、ただ立っているようにしか見えないが――から、多対一の現状に対応するべく、向かってくる敵影、その一人一人が握る武器、そして彼らを一撃で絶命せしめる急所の位置など、視界の光景を全て把握できるように意識を俯瞰化させる。
構えも意識も瞬きほどの時間で万端整えた少年は、最初の一人が突き出してきた槍へ向かって一歩だけ踏み込みつつ半身になりながら躱し、その動作と連動して振り上げた右手の剣で襲い掛かって来た騎兵の右腕と首を肩ごと斬り捨てた。
次に逆側から走り寄って来た騎兵も騎馬の勢いを乗せた鋭い一突きを放ってきていたが、少年が返す刀で右の剣をその穂先へ添えるように押し当てると、それだけで突きは彼の脇をすり抜けて行った。
その槍の勢いに乗って逆時計に身体を捻り、無防備に脇腹を晒す騎兵へ身体ごと回りながら左の剣を振るった少年は、二人目を斬って正面へ向いた身体を振り下ろされてきた長剣に対して平行になるように傾けて剣戟を回避し、紙一重で躱された所為で馬上用の長剣に引き摺られて体勢を崩した騎兵を輪切りにする。
振り抜いた剣の勢いに任せて再び体を一転させた少年は、その動きのまま左右から迫っていた穂先を弾き上げてその場で跳躍すると、両脇から通り抜けようとしていた騎兵の首を厳ついブーツの靴底で二つとも蹴り折った。
彼の着地を狙ってまたもや複数の穂先が迫るが、少年は逃げ場を塞ぐように突き出された槍達の交点に剣を振り下ろし、穂先の根本、木製の柄を一つ残らず切り落とした。
そうして、宙を舞った穂先をそれぞれの持ち主の急所へと打ち返す。
騎兵達が眉間や喉で穂先を受け取る様を尻目に、少年は未だに迫り来る騎馬へと跳躍する。
彼の着地点にいた騎兵は面食らって反射的にブロードソードでの刺突を繰り出したが、そんな気の抜けた一撃が決まるわけも無く、容易く弾かれ、胴を覆う板金ごと心臓を刺し貫かれた。
刃に刻まれた溝をなぞって噴き出た返り血をその身に浴びながら騎馬に降り立った少年は、周囲に殺到する騎兵達で一番手近にいた者へと狙いを定める。
そこからは、貴族達を殺し尽した時の再現だった。
物言わぬ肉塊から剣を抜き、騎馬の背から跳躍し、着地の直前、或いは同時に敵の命を断つ。
ある者は今まで屠られた大多数と同様に首を刎ねられ、死に恐怖する間も無く絶命した。
ある者は振り下ろされた剣が頸の根本から脇下へと抜け、片腕ごと首を地面に落とした。
ある者は胸を貫いた片刃剣を呆然と眺めてから、滴り落ちる血を追うように落馬した。
ある者は握った武器ごと両腕を斬り落とされて、苦痛に悶える所を蹴り落とされた。
ある者は着地しようとした少年から足蹴にされ、頭蓋と頸椎を破壊されて息絶えた。
ある者は――――――………………
板金や鎖帷子ごと肉と骨を幾つも斬り裂いて全く切れ味が損なわれない魔剣によって作られた、血飛沫が降り掛かるほどの近間で次々に仲間達が肉塊へ解体される光景と、廻る季節の香りを乗せた風に吹き消される事無く漂い続ける血風は、戦場の熱で狂奔していた筈の騎兵達に底の見えない枯れ井戸を覗き込んだような寒気を思い出させた。
そうして、射程内にいた獲物を全て平らげた終えた少年は、上顎から上を失くした憐れな騎兵と同乗していた騎馬を降り、少し離れた所で震えながら見下ろしてくる集団へと視線を移す。
「――見ての通りだ。このまま続けた所で、怒りも愛も恨みも友情も憎しみも思い出も、抱えてるモンなんもかんも野晒で朽ちさせるワケだが、それが嫌ならしっかり腹ァ括るんだな」
背中の相棒が放つ怯えに反応した騎馬達が足を止める中、返り血を全身に浴びた所為で地獄の悪鬼と化した少年は、その乱暴な言葉とは裏腹な鋭利且つ冷酷な響きを乗せて戦闘の継続を告げると、立ち竦んで的と化した騎兵達へ歩み寄って行った。
――やがて、陽が昇り切って戦場の喧噪が血の海へと沈み切った頃には、ぶつかり合った戦士達は推測通りに戦局を進め、最後は鳩の翼と羊の角が描かれた旗と緋色地に金の鷲と剣が描かれた旗の二種類だけがはためいていた。