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くようばこ ひとつめ  作者: 狩人タヌキ
31/64

第31話

 ハンスが再び瞼を開いた時、そこには夕日のような緋色に染められた故郷が広がっていた。


「――――、――――――――――」


 皮肉気なセリフで未だに十年も前の出来事に苛まれる自分を嗤うが、ハンス自身の耳にさえその侮蔑は届かない。


「――――――? ――――――――――」


 自分も含めて人間の声は全く聞こえないくせに、実った穂が風で靡く音や村の牧場から微かに届く羊や馬の鳴き声、そして、村を包む炎が勢いを増していく轟きなんかは普通に聞こえるという不可思議な夢幻に肩を竦めると、ハンスは先程と同じように村の上空を彷徨った。


 雲に星が隠れた暗い夜空にモクモクと上がる黒煙を避けながら進む彼の視線の先には、十年前に限らず、賢者と呼ばれた育て親を亡くしてから四年にも及んだ一人旅の最中や、王国騎士として参加した幾つもの戦場などで見てきたものと同じ『地獄』が出現している。


 甲冑に身を包む者達は手に持った松明を家屋に投げ付け、村の至る所から火の手が上がった。


 燃え移った炎に巻かれて燻り出された者達を狙い、暴力に酔った卑しい嘲笑を浮かべる騎士達は彼らを剣で斬り裂き、メイスで打ち砕き、騎馬を駆る槍騎兵達も槍で刺しては、ケダモノのように獲物を生きたまま引き摺り回している。


 いつ見ても、何度見ても吐き気がする光景に表情が険しくなるハンスは、大鎌やピッチフォークでなんとか応戦しようとしている者達を見付け、すぐそこへ向けて降下した。


 ハンスと同じ灰髪と琥珀色の瞳を持つ農民達は、大きな農具を構えながら必死の形相で何事か叫んでいたが、王国騎士団という常備軍が存在するエルレンブルク王国では徴兵制が存在せず、故に彼らのような農民に戦闘経験など皆無だ。


 その結果、遅々とした降下速度に焦りを覚えていたハンスがやっとの思いで彼らの元に到着した時には、木でできた農具の柄を剣やメイスでいとも容易く破壊され、続く二撃目によって彼らの命までもが刈り取られてしまっていた。


「……――、――――?」


 周囲にいた騎士達は突然空から現れたハンスに驚くような事など無く、寧ろ、存在そのものを認識していないかのように次の獲物を探して散って行った。


 蒼白な顔で着地したハンスもフルフェイス越しにでも分かる下品なツラをした者達などには目もくれず、血に塗れて倒れ伏した男達へと駆け寄る。


 近所に住んでいたおじさんや牧場で家畜の世話をしていたお兄さん……そうした、当時の幼かった自分とも優しく接してくれていた者達の無残に傷付いた屍の中に、成長した現在の自分と何処となく似た面影を持つ顔を見付けたからだった。


「――――、――――!! ――――!!!! ――――!!!!!!」


 命を失い、もはや物と化してしまったそれを抱えて、彼は叫んだ。


 自分の耳にさえも届かない声が、胸から流れ出た血の海に身を沈めている父の亡骸に届くわけが無いと知りながら。


 今此処で見ているのは夢で、生者ではあり得ないほど重く腕に圧し掛かって来る感触も、徐々に失われていく体温も幻に過ぎないのだと理解しながら。


 どれほど揺さ振っても、どれほど声を張り上げても、一度死んでしまった者を呼び戻す事など叶わないと悟りながら。


 そうやってどれほどの時間が経ったのか判然としないまま泣き崩れていたハンスだったが、彼のすぐ傍にニヤニヤ嗤いの気持ち悪い集団が通り掛かる。


 その集団の最後尾を歩いている奴が掴んで引き摺っている()を見た瞬間、ハンスの意識は強制的に漂白された。


「――、――――……」


 掠れ声の呟きはやはり誰の耳にも届かず、骸を抱える腕の震えも誰の目にも止まらない。


 そして、震えるハンスの目の前で、長い灰髪を毟られそうなほど手荒に掴まれていた女性が、村を包む炎に照らされた騎士達の輪の中へと放り出される。


「――――――――――――。――――――――――――――――――」


「――――――――――? ――――――」


「――――。――――――――――――――、――――――――――――――――――」


 殴られたのか頬を腫らせて口元から血を流しているその女性を前に、甲冑を纏った男達は何かを言い合いながら、見ている方が気持ち悪くなるほど下卑た顔で嗤っていた。


 それを見て漸く思考が戻って来たハンスは、抱えた父親を素早く且つ丁重に横たえてから、傷付いた母親を助け出すべく騎士達へと視線を向け直す。


 すると、父に係って出遅れたハンスを置き去りにして、彼の視界を小さな影が横切った。


 その影はハンスが向けていた視線の先を目指しており、そこでは今まさに騎士の一人が女性に向けてその薄汚れた腕を伸ばしていた所だった。


「――――!!!!!!」


 叫びながらその腕に跳び掛かった影の正体は、ハンスがあの懐かしい丘の上で見付けた幼い日の自分自身だった。


 幼少ハンスは果敢にも――いや、無謀にも騎士達の元へと突撃し、今まさに母の元へ伸ばされようとしていた下劣な腕へと跳び掛かり、鋼板で覆われた上腕ではなく革で覆われた掌へと噛みついた。


 だが、幾ら金属に覆われていない部分だからと言って、騎士達が身に付けているのは戦場でその命を預けるに足る防具なのだ。

 子供の歯と顎で噛み切れるほど薄い革が使われているわけがない。


 だから、幼少ハンスの歯が使い古されて薄汚れた革手袋に阻まれたのも必然で、纏わり付かれた騎士が苛立ちと共に腕を振り抜いた事で簡単に弾き飛ばされたのも当然の流れだった。


 しかし、その勇敢な行動によって、騎士達の意識が輪の中で蹲る女性からその子供へと移ったのも事実ではある。


「――――――? ――――――――」


「――、――――――――――。――――――――――?」


「――――――――――――!! ―――――――――――――――!!」


 農村生まれの痩せガキに邪魔された事をゲラゲラと囃し立てる仲間達へ怒鳴り返した騎士は、怒りのままに抜き放ったブロードソードを投げ出されて地面に倒れたままの子供へと向ける。


 父や村の男衆と同じく倒れ伏す形となった幼少ハンスは、無造作に振られた鉄剣によって頬を大きく深く裂かれ、倒れ伏す亡骸達と同じくらい顔面を血塗れにされていた。


 もし、年端も行かない普通の子供が大きな傷を負わされ、至近から向けられた切先を――差し迫る死の脅威を向けられたとしたとして、その凶行に怯えて竦んでしまったとしても誰が責められるだろうか。


 戦場に立った経験が全く無かったとは言え、村の男達ですら殺意がふんだんに込められた武器を向けられただけで、恐怖に震えが止まらなかったのだから。


 なのに、震える手で身体を起こしながら振り返った真紅の顔から、剣を握る騎士が見出せた感情は、そんな弱さを圧し潰すほどの激しい憤怒だった。


「――――。――――――、――――!!!!!!」


 まるで、傷を負いながらも生き残る為に全力で抗う獣のような勢いで叫んだ少年に、凶器を向けながら見下している騎士の方がたじろがされるが、それを見て真っ先に声を上げたのはその騎士でも、彼の背後で屯していた仲間達でもなく、彼らの輪の中にいる女性だった。


「――――!! ――――――――――――――――――!? ――――――――――――――――、―――――――――――――――――――――――!!!!!!」


 悲痛さを滲ませた表情で上げられた叫び声はその場の騎士全員の注目を集めたが、その叫びは彼女の息子が上げた咆哮とは逆に、騎士達へ余裕と嗤いを取り戻させる弱者の懇願でしかなかった。


「――――――――――――!! ――――、――――――――。―――――――――――――――――――――――!!!!!!」


 女性の声に一番気を良くしていた剣の騎士は、首だけで背後を振り返りながら何事かを宣言すると、その手に握る剣を振り上げた。


「――――――――――――――――!!!!!!」


 ニタニタと悪意が滴る嗤い顔を浮かべる騎士は、不快で生意気なクソガキを女性の目の前で叩き割って見せるべく剣を振り下ろ――



 両者の間に傷顔のハンスが割り込んだ。



 ハンスは両親や故郷と同じく、既に亡くしてしまった育て親から受け継いだ一本鞘の双剣『(ラン)(ワン)』を右は順手で左は逆手で握り締めると、騎士の白刃が振り下ろされる遥か前に右の剣を鞘から解き放ちながら振り抜いた。


 だが、しかし、されど……ハンスの剣が騎士に届く事は無かった。


 鍛え上げられた彼の動体視力では殆ど止まっているようにしか見えなかった騎士へ順手で握られた片刃剣が触れた瞬間、大盾すらも両断する筈の刃が霧のようにすり抜けてしまったのだ。


「――ッ!?」


 驚愕に身体を縛られ掛けたハンスだったが、相対した騎士の後ろから幼少ハンスを庇おうと飛び出し掛けてきている母親を目にし、瞬時に再燃した殺意で以って逆手の左を抜き放った。


 しかし、既に頭上まで迫っている切先ごと頸を刎ねる軌跡で振り抜いたその一閃までも、霞みのように透過してしまう。


 もはやその身を盾にする以外の手段を失い、流血と略取に陶酔した俗悪そのものと呼べる顔をした騎士の前に立ちはだかったハンスの表情からは、奇しくも背後に庇った幼少ハンスと同一の感情が垣間見えた。


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