この雨が晴れるまで、雨が晴れる御呪いを君にかけてあげよう。
5月も末。連日の雨模様に梅雨入りを本格的に感じるようになった頃、このジメジメとした空気がいつまで続くのかと億劫になっていた。
ただの空中に浮かぶ水滴が、遠く離れた所から莫大なエネルギーを届けてくる太陽の光をここまで遮っていると考えると雨雲の力も侮れない気もする。
とはいえ僕の近所では農家も多く雨はいわゆる恵みであるのでそう考えると感謝こそすれ、億劫などと感じるのは不純であるだろう。
昨今、田舎の町村であってもなにかしら大きなスーパーや工場などが一つはあるのだろうが、この村にはそういった店舗というものが無い。
なのでものを買うのは週に一度のトラックでの訪問販売(正確には訪村である)か近くの町まで車で1時間程かけなければならない。
そんな村で起こった事件、こんな村だからこそ起こってしまった事件だったのかもしれない。
掛橋直人の場合。
5月28日。朝のニュースによると今年は平年より早めの梅雨入りだそうだ。
梅雨というものついては丁度学校で習ったところであったため、前線や気団についての知識が頭を流れる。
僕自体は雨について好き嫌いといった感情を持つこともないが、唯一苦情を挙げるとすれば、僕の通う学校では木造であることから廊下を歩く際にはギシギシと音が鳴るのだが、雨が続くとその音がややいびつな聞き心地の悪いものになるのである。
今時木造の学校というのも珍しいのかもしれないが、僕の通う学校では全校生徒が50人にも満たず、小中同じ建物で育ってきたためそういうものとして理解していたしそれなりに愛着もあった。
「直人、先に行くから戸締りと電気お願いね。」母の呼ぶ声で我に返る。
いってらっしゃい。玄関で父と母を見送る。
両親は近くの街まで働きに出ているので僕たちより早く家を出る。
車のエンジンのかかる音、リビングに戻ると障子越しにブレーキランプで光が部屋が赤く染まる。
部屋がもとの色に戻るのを待ってから障子を開け、その姿が見えなくなるのを待ってから階段を駆け上がる。妹を起こすためである。
七海の寝起きは良いので起きがけにぐずる事はないのだけれど、必ず抱っこをねだってくる。
階段が急なのでおんぶならいいよと言うと、七海は頬を膨らませながらも嬉しそうに背中に飛び乗ってくる。
洗面所まで七海をおぶっていき、顔を洗ったり着替えたりと身支度を済ませる。
未だに眠そうな七海の手を引き(これは彼女なりのまだ背負っていて欲しいというアピールなのだけれど直人はそれには気づかなかった)二人で食卓を挟む。
ご飯は母が作っておいてくれているため、特に準備などは必要なく食べることになる。
七海が目当ての番組を探しながらコロコロとチャンネルを変える。いつも見る番組は決まっているのだが小さいチャンネルから順に番組を変えていくため結局ほぼすべてのチャンネルを吟味するような形になる。
「つゆってたくさんの雲がぜんせんを作って出来るんだよ、お兄ちゃん知ってた?」
ふとテレビから聞こえてときた言葉に反応するように七海が言う。
小学5年生で習う内容だったかと思い本心から、よく知ってるなと返す。
素直に褒められたからか少し照れ臭そうにする七海をかわいいと思いながらも自分を律する。こういうのはシスコンといわれて揶揄われる原因となるからだ。
とはいえこの村で同級生を揶揄うようなグループに分かれるほどの人数がいる学校でもなかったし、他学年と関わることが当たり前の環境で過ごしてきた直人がシスコンといった概念にまで気が回るのは、彼の周りからのイメージを特に気にする年頃や性格故だろう。
ようやく目当てのチャンネルに辿り着くと、丁度オープニングの歌が流れる所だった。
「つーばーさーはー」と歌いだす七海。
それと同時に「直人ー、七海ちゃーん」と陽気な声。
開いてるから入ってと返す。
「ギリギリセーーフ、まだCMだあ」最初に慌ただしく飛び込んできたのは拓真である。
「拓真、ちゃんと靴揃えないとだめだよ」続いて入ってくる奈々。
「おはよう直人君、七海ちゃんもおはよっ!」
沙耶に挨拶を返す。少し声が裏返ってしまった。
拓真がテレビの向かいの誕生日席に座ったため僕と沙耶、七海と奈々で食卓を囲む形になる。
5人で和気藹藹とした朝食を済ます。
そのころには番組も終わり、ニュースが流れていた。
徒歩で先ほどのテレビを2回は見終える時間をかけて学校に向かう。
毎日これだけの時間をかけても話が尽きることは無いのも、学校に着いた時には話の内容はもう既に覚えていないのも不思議でもあったけれど、なによりこの時間が直人はとても好きだった。
それでも来年には直人を含め拓真、紗耶、菜々は受験を控えていて再来年には卒業を迎えるであろうことは分かっていた。
1人置いてけぼりとなる妹の事は心配ではあったが今の楽しみが何時までとは言わずとも形は変わろうとも続いていくものだと思っていた。
結果的にそんな心配は全て杞憂に終わってしまうのだがその心配が無用であったとは否定出来ないだろう。
なにしろその日の放課後「掛橋七海」が死体で見つかる心配など誰が出来ただろうか。
その心配が出来るのはそれこそ神だけであろう。
正しくは死神だろうか。
この事故が5人(その内1人は故人)の関係をここまで絡み合った、込み入ったものにするかどうかはこれからの個人の選択に委ねられることになるが、どう転んでもろくな結末にはならないことはここに明記させてもらいたい。