11,戦いの決着
ナツキは逃げてくれなかった。
「俺は、お前を、絶対に見捨てない! 見捨てられるわけないだろ!」
震える拳を握りしめて大蛇に向き直る。
これだから異世界人は……!
逃げてって言ってるのに!
お願いだから、逃げて! 逃げてくれよ!
君がここで逃げてくれなきゃ、ボクの生きた意味がなくなっちゃうんだ!
声が出ない。もう声も出せない。
――バカナツキのバカ!
ナツキは一呼吸。
そして、洞窟全体を揺らしつつ追い駆けてくる大蛇に向かってまっすぐ突っ込んでいく。
右手には棍棒。その棍棒を振りかぶったところで。
一瞬で大蛇に飲み込まれてしまった。
今までで一番の速さだった。上体のバネで一瞬拡大でもされたかのように大蛇の頭が近づいて、ナツキを飲み込んでしまった。
――あの牙で引き裂かれなかったのは、まだ良かったほうかな
でも蛇のお腹の中で溶かされちゃうほうが痛いのかも。
なんてバカなことを考えてしまった。
――あーあ……終わりかあ……
こうなっちゃったっていうことは、ボクのやったことはやっぱり間違いだったんだな。
どこから間違ってたんだろう。
森であのとき君を助けたときかな。
君と一緒にいると決めたときかな。
美少年のふりをしたときかな。
ごめんよナツキ、君の物語の邪魔をしてしまって。終わらせてしまって。
ナツキを丸呑みにした大蛇はゆっくりと体勢をこちらに向き変えた。まだ食う気か。そりゃその巨体ならナツキだけじゃ腹の足しにならないか。ボクを食べても全然足りなさそうだけど。
動けないボクの方へ、大蛇は警戒するかのようにジリジリと近づいてきた。
ゆっくりと慎重に距離を詰めてくる。
ボクにはもう反撃する力なんて残っちゃいないのに用心深いやつだな。
――うぇ、ボクの意識、まだ残ってるのかあ……
ボクの体って意外と頑丈なんだな。ここはさっさと気絶してしまいたかったところなんだけどな。
あ。ってことはボクはこいつに食べられて胃酸で溶かされちゃって死ぬってことかあ。胃酸で溶かされる……痛そう……。それとも窒息が先かな。どっちにしろナツキの物語を邪魔したボクには相応しい最期だね。
ナツキを丸呑みにした口が今度はゆっくりと、大きく開く。馬車をまるごと飲み込めるほどに大きく。ボクの頭に長く伸びた白い牙が触れようとした時、大蛇の上体が弾かれたバネのように反り上がった。
シャアアアアアアアアアア!!
呼吸音なのか何なのかわからないけど、苦しそうな音を上げて大蛇は体を大きくくねらせた。
何が起きた?
大蛇の腹部の脇からなにか飛び出てきた。白っぽい細いものが。
――あれは腕!?
大蛇の腹から突き出た腕は大蛇の腹を無理やりこじ開けるように切り裂いて、そして、中から真っ赤に帰り血まみれになった人間が、出てきた。
ナツキだった。
まだ動く大蛇の腹をさらにナツキの腕はまるで刃物にでもなったようにずたずたに切り裂く。
そして、大蛇は動かなくなった。
ボクは動けない体でぼーっとその様子を眺めていただけだった。
やっぱり異世界人って……めちゃくちゃだ。
「タルトぉぉぉー! 生きてるか!?」
それはこっちのセリフだよ。
動かなくなった大蛇から這い出てきた、全身血まみれのナツキが駆け寄ってきた。赤すぎてちょっと怖いんですけども。そしてボクを抱き上げる、こんどは勢いよく。ボクは瀕死なんだぞ、もうちょっと丁寧に扱ってくれよ。
「大丈夫かタルト!」
ボクは大丈夫ではないけど、君は大丈夫そうだ。よかった。
「ナツキ、やっぱり君は……特別なんだね」
「よかった、まだ生きてるんだな!」
もうすぐ死んじゃうけどね。
「俺が絶対助けてやるから! 村に帰ればなにか助かる方法があるはずだ!」
あの村にそんな期待されても、そんな方法はないよ。治癒魔法が使える人もいない。ポーションなんて貴重なものはあの村にはないし。
――さあ、お別れだね、ナツキ。最後くらいなにか気の利いた言葉をかけてほしいな
「また髪が光ってる……なあ、タルト、これは魔法か何かなのか?」
またそれ!? 今それ!? もう死ぬんだぞボクは!
君に期待したボクがバカだったよ。でもね、この髪は自慢の髪だから君の記憶のすみっこにでも残しておいてくれると嬉しいな。
――じゃあね、ナツキ
ボクは目を閉じる。
――さようなら、世界
……………
――なにかオカシイ
ねえ、いつになったらボクは死ぬんだ?
目を閉じたものの、まだしっかりと意識がある。なんか体の感覚も戻ってきている。ナツキの腕がボクの背中とおしりに触れているのがわかる。
あの致命傷をうけて、どうしてボクはいつまでも意識がなくならないんだ?
とっくに死んでいてもおかしくないはずなんだけどな。血も確実に致死量は流したはずだ。
「タルトおまえ、腹の傷はどうした? 今の魔法か何かで治したのか?」
ナツキがまたバカなことを言っている。死にゆく仲間に質問とかするなよな。声が出ないんだっつーの。これだから異世界人は……。
何度も教えてきたじゃないか。ボクに魔法は使えないって。もし魔法が使えたとしてもあんな傷を一瞬で治す魔法が使えるのは……それこそ異世界人くらいだよ。
――やっぱりオカシイ
ちょっと恥ずかしいけど目を開ける。ナツキの顔がはっきり見える。近いよ!
すこし頭を持ち上げ、とっくに麻痺して痛みを感じなくなった、絵的にかなりまずいことになっているはずの自分のお腹を見た。
服が大きく切り裂かれ、丸出しになったそこには、ボクのかわいい「おへそ」が見えた。
――おへそ!?
さっきまで溢れるように流れ出ていた血が止まっている。どころか内蔵が飛び出てもおかしくないくらいの深手だった傷が、ない。
ナツキが服の袖でボクのお腹についていた血を拭ってみると、傷はたしかにふさがっているようだった。それに意識も少しずつ回復してきているのを感じる。
「すげえなこれ、どうやったんだ? お前やっぱりすげえ力があるんじゃないか!」
ナツキが興奮気味にボクのお腹を触ってきた。傷がないのを確かめるようにさすってくる。
「ひゃ! ど、どこ触ってるんだよ!」
あれ。声も戻った。
ナツキの手が少しぬるっとした感触だったので変な声が出た。変な触り方するな!
っていうか気安く女の子のお腹触るな!
ボクのお腹にはうっすらと血液とは別の液体がついていた。青く薄く光る透明な液体。神秘的な輝きを持つ魔力の輝き。
「これって、もしかして……回復薬?」
「え、回復薬ってあれか? 森で俺に使ってくれたってやつか? お前、こんなすげえ回復薬を持ってたんだな!」
「い、いや、ボクの回復薬はすべてあのときナツキに使ってしまったよ。君が持っていたんじゃないのかい?」
ナツキは首を横に振る。だけど、ナツキの掌には回復薬がついている。
そもそもあの回復薬はどこにでもあるようなものじゃない。
だとするとこれは。
「これもしかして、ナツキの掌から回復薬が出ているんじゃないか?」
「俺の手から? そんなゴムの木みたいな……ほんとうだ! 俺の腕から変な青い液体がにじみ出てる! なんだこれ!?」
ナツキはボクのお腹を触っていた手を(ようやく)はなして自分の顔に近づけまじまじと見つめた。
その間もナツキの腕からは回復薬らしい液体が滲み出ているようにポタポタと、ボクのお腹の上にしずくが垂れてきた。
く、くすぐったい。
「君の授かった能力はいったいなんなんだい……? 超回復したり腕が硬くなったり回復薬を出したり……めちゃくちゃだよ」
「まるであれだな。魔法使いにでもなったみたいだな。もしかして俺は異世界に転生してすごい魔法の力を手に入れたとか、そういうのじゃないか? なんかそういうやつ本か映画かで見たことあるかもしれない」
ナツキは魔法を何でも起こせる奇跡みたいなふうに思っているみたいだけど、魔法はそんな都合のいいものじゃない。きちんとした魔法力学という法則に則って発動する。
今のナツキのように無から有を生み出すなんて聞いたこともない。魔法の概念、法則そのものを越えている。魔法に詳しくないボクだってそのくらいはわかる。
「……わからないよ。詳しくはわからない。だけど、君がさっき大蛇を切り裂いたときの君の腕は森の魔物の鎌みたいに見えた。それに回復薬は森で君につかってあげたものとたぶん同じものだ。こんな致命傷をこんな一瞬で治してしまう回復薬なんて異世界人の作った回復薬じゃないと無理だよ。普通に生活してて手に入るようなもんじゃない。どころか、一生見ることもないような代物なんだよ」
「あの時の薬ってそんな貴重なやつだったんだな。それを俺に使ってくれたんだな。やっぱりお前なんだかんだ言って優しいよな」
今頃気づいたか。
「……で。その……いつまでボクのお腹を触っているつもりなんだい……く、くすぐったいんだけど!」
「あ、悪りぃ!」
何も悪くないんだけど。
彼に触ってもらったおかげで治ったのだし。ほぼ命の恩人? みたいなもんだし。
でも仕方ないだろ! 男の子に直接お腹とかその周りを触られてたんだぞ!?
しかも服が破れててかなり際どいところまで見られちゃってるし!
ボクは立ち上がろうとしたらうまくたてずによろけてしまって、ナツキがそれを支えてくれた。ナツキは躰は大丈夫なのだろうか?
ボクの方はまだ完全に治ってないみたいなのだ。それに痛みはまだしっかり残っている。
特にさっき麻痺していたお腹の痛みが今になってすごく痛むようになってきた。あの薬、傷は治すけど痛みは取ってくれないんだったね。ナツキが腕を切られた時ってこんな痛みだったんだろうか。気が飛びそうだよ。
その痛みも徐々に和らいできているのは感じた。
少し余裕が戻ってきたのであたりを見回す。
戦争でも合ったのかっていうくらいあちこちの岩がえぐられ、血が飛び散っている。
その奥に大蛇の巨大な死体。
大蛇はおそらく死んだとは思うんだけど、実は死んでなくて急に動き出したり! とかないよね?
油断していたところで、復活とかしてきたら怖いし、薄暗くて湿っている上に血と獣の匂いが充満する洞窟の中ってのはいつまでも長居したいような場所でもなくて、早くここから出たい。
だけど、躰がうまく、動かせない。
「ナツキ、ごめん。その、申し訳ないんだけどさ……やっぱり洞窟の外まで背負ってもらえないかな……まだうまく歩けなくて」
「おう……まかせてくれ! お前の体重なら村までだって余裕だよ」
体重言うな。
ナツキに背負われているから顔を見られるわけでもないのに、ボクはフードを深く被った。
さっきまでの出来事を思い出して、男の子におんぶされていることがすごく恥ずかしくて。