どこからが友達で、それまでは何なのだろう
朝の八時集合です
朝八時。廃材置き場。
「……はあ」
例の待ち合わせの時間だった。
「……時計なんぞ作って何になるってんだよ」
辺りを見回しても誰もいなかった。山のように積まれた負の遺産や鉄くずの上に、最も目立つところに神谷は居座っていた。
空は曇りがかった薄暗い白に覆われていた。もしかすると雨でも降るやもしれない。その上風が吹くときた。とにかく肌寒い日だったのだ。
「なんでこういう日に限ってこんな天気なんだろうねえ全くよお」
大きめの独り言が終わるとまた辺りを見回した。しかし、いややはり誰もいない。小さく息をついた。口から吐き出された空気もあの空と似た色をしていた。
ゆっくりと背後の廃材を確かめながら寝転がった。憂鬱な空が視界を支配した。仕方なく目を瞑った。心まで支配されては敵わなかった。
ズボンのポケットから例のダウジングを取り出した。スイッチを入れた。何の反応も無かった。スイッチを切った。今度は大きく息を吐き出した。
「なんなんだよ全く……。というか近くに時計が無いと何の反応も無いって何のための道具だよ。使い勝手が悪いにも程がある……」
身を起こしてもう一度辺りを見回した。誰もいない。観念して目を瞑った。
「――くそったれ」
体勢を変えようとして、まず右手をずらした。何かにぶつかった。地面が揺れた。
「え?」
せいぜい一文字呟くのが限界だった。体が滑っていくような感覚の後の一瞬の浮遊感が気持ち悪かった。
気がついた時には神谷は鉄くずに埋もれていた。
「何が……っ!」
全身が痛んだ。足先から指先、頭のてっぺんまでズキズキと痛みが駆け巡った。声にならない悲鳴が上がった。一歩も動ける気がしなかった。まるで自分も鉄くずのひとつになったような感覚がした。
幸い、出血も無く、どこも潰されてはいなかった。二分もしないうちに体は自由を取り戻した。視界を遮る廃材を両手で追いやると、いつの間にか黒ずんでいた空から水が垂れてきた。神谷は舌打ちしたのと雨が音を立て始めたのは、ほぼ同時だった。
「こんな日に限って……」
空に向かって悪態をつきつつゴミの山から顔を出した。随分と形の変わってしまった廃材置き場の隅だった。何かが神谷の目についたのだ。近づいてそれを拾い上げた。
「これって……」
それはどこからどう見ても、昨日謎の子供に渡したはずの例のGPS装置だった。
上手く息が吸えなかった。呼吸の仕方を忘れたかのようだった。
その代わり何も考えなくても足が動いた。
右手の中の機械はなんの反応も示していなかった。舌打ちも滝のような雨にかき消された。上等な服も汗だなんだで雑巾と見紛うほどだった。人の気配さえもすっかり消えてしまっていた。
一体どれほど走っただろうか。嫌な予感に限ってこびりついて剥がれないものだ。泣きたくなった。もしかしたら既に泣いていたのかもしれないが。
ぬかるんだ地面に足を取られながらもひた走った。曲がり角を曲がったところだった。視界の隅に赤い点が入った。つまり、間違いなくあの子供はこの近くにいるということだ。
発信機の赤い点の位置。目の前の倉庫の中。
脈が早くなり、神谷の心を置いていきそうになった。手を固く握り締めた。ポンコツが苦しそうに軋んだ。耳をすましても中の音は雨音に勝てなかった。悪夢を見ているようだった。根拠の無い不安が大量の雨粒となって降り注いでいた。
深く息を吸い込み、一歩踏み出した。扉に手をかける。しっかりと前を見据え、一息に鉄扉を開く。
まず初めに赤い点が目に入った。その傍には壁にもたれ掛かるようにして気を失った小さな人影があった。
「まさか……くそっ!」
咄嗟に駆け寄った。肩を強く揺さぶった。しかしそう簡単には起きてくれなかった。あの時とは違った。
「おい! おい……!」
足から血が流れていた。その血が足元に血溜まりを作っていたのだ。
汗ばむ手で、だらりと垂れ下がった彼の手を取った。手首に指を当てた。神谷の脈よりずっと弱く、ずっと遅かった。口元に手を当てると微かに呼吸が感じられた。しかしだんだんと弱まってしまうのだ。対照的に神谷の呼吸は荒くなった。
「なんで……なんでだよ……! 起きろよ、早く!」
奥歯をきつく噛み締めた。血の臭いがいっそう強くなった。
「そうだ、止血……」
といっても正しい方法なんて知らなかったからとりあえずで自分の服を捲り上げ、裾の端を噛んで固定し、一気に破り、裂いた。布切れを傷の上に巻き付けると、一瞬で白い絹が紅く染まった。応急措置とすら呼べるかどうかの出来だった。
大きく舌を鳴らした。
音は壁にぶつかると雨漏りと共に床に広がった。
その時ガチャリと音が鳴った。音のなった方に視線を投げる神谷が入ってきた扉とは別の扉があって、そこから人影が現れた。射抜くような眼差しでそれを見据えた。
二十から三十といった程度の男だった。ボロボロの服を纏い、死んだ目をした気味の悪い男がそこにいた。
男は神谷を黙って見つめ、そして即座に素性を見破った。
「お前、此処の人間じゃないな。内の人間……いや、そのガキとつるんでた張本人か」
神谷は何も言わなかった。状況と今の発言から鑑みるに、奴が子供をこんな目に遭わせた犯人で、それには神谷が関係していることが読み取れた。どう関係しているかは知らないが、神谷が此処――スラムの人間でないことが理由の一つであろうことはわかった。
あんまり強く自分の手を握りしめたため、爪がくい込んで掌から出血していることに気がついた。指と指の隙間を通って血が滴り、血溜まりに同化した。
「だったら、なんだってんだよ。俺が此処の人間でないことが、どうしたっていうんだよ」
自然と語気が強くなった。しかし男は怯んだ様子も見せずに事務報告かのように淡々と言った。
「俺の家族はお前らに殺された」
「――いいや、そんな記憶は無い。俺は人殺しなんて断じてやっていない。神にだって誓える」
神谷は立ち上がった。堂々と男の前に立ちはだかった。
男は首を振った。眉ひとつ動かさなかった。
「確かに、自覚は無いかもしれない。お前、見たところ十代中盤かそこらだろう? そんなガキの理解力に期待する気は無い。俺だってそのくらいの歳の頃は現実なんか半分も理解できてはいなかった。今日の晩飯の事で精一杯だったからな」
「何が言いたい」
「お前は恵まれている。非常に不平等だと思わないか? そこで寝ているガキはまともな教育どころか親の顔さえ知らないんだ。そう遠くない内に野垂れ死んでしまうだろうな。何故かわかるか?」
説教するような口振りが癪だった。神谷はキッと男を睨みつけた。言いたいことは理解出来た。しかし言い分が道理にかなっていなかった。
「いや、全くもって理解できない」
神谷はあえて挑発するように言ったつもりだった。だというのに男はやはりそれまでの調子を乱そうとはしなかった。
「そうか。残念だ。簡単に言うと、その格差が人を殺したと言いたいんだ。不平等で不公平でそれに疑問も抱かない。そんなのが当たり前だと信じ込まされてきたのだから仕方ない。しかし現実はそう甘くは無い。事実、俺は家族を一人残らず失っている。お前らが何もかも奪っていったからだ。それは当たり前のことか? 仕方ないことか? お前はどう思う。俺はそれがどうしても許せなかった」
「だったらなんだ。お前が孤独になったからなんだよ。俺に危害を加えるのならわかる。政府に乗り込んで爆破テロでも起こすのなら理解出来る。なぜ子供を襲った? 何の罪もない子供を! それにこいつはスラムの人間だろ!? なんでこんなことをした!? どうしてこんなことをこいつがされなくっちゃならないんだよ! お前は奪ったんだ。奪われたからって、何の罪も無い、現実を半分も理解していないような子供から、全てを!」
「違うな。俺はその子供から何かを奪ったんじゃない。お前から、親の仇から、娯楽を奪ったんだ」
神谷は耳を疑った。本気で何を言っているのかが理解できなかった。
「……正気か?」
「もちろん、俺だって最初からそんなことをするつもりじゃなかった。話をもちかけたんだ。そのガキに。お前に復讐しようと、場合によっては、もっと大きな存在に復讐しようと。しかし断られたんだ。最終手段だ。お前をおびき出すための餌になってもらった」
「ふざけるな! 第一、こんなことをして警察が黙っているとでも――」
「思っているのか。思っているからやっているんだ。警察、政府は俺たちの味方ではない。いや、この場においてはお前の味方ですらないんだ」
「どういう意味だ」
「見かけだけの司法にあまり期待しない方がいい。そのガキがお前にとってどんな存在だったかは知らない。だがここでは道端の石ころと同じ。ゴミとそう変わらない。そしてお前は自ら掃き溜めに飛び込んできた蝿に過ぎない。警察は人のためにしか動かないんだ」
神谷はいきなり地面を蹴った。男の喉元に食らいついた。男は大した動揺も見せず、冷静に神谷のみぞおちを蹴り上げた。声も出なかった。そのままその場にくずおれた。
「……友……達だ……!」
「いいや、ゴミだ。お前もあのガキも。友達っていうのはな、対等じゃなければ成立しないんだ。それにしてはお前は色々なものを持ちすぎている」
「そんなことない……! 俺とあいつは友達だ」
「ならばあいつの名前は?」
「……え?」
全身に寒気が走った。恐怖にも似た感情が喉に栓をした。足に力が入らなくなり、立ち上がることさえできなくなっていた。頭が真白になった。
そんな時でも頭上から男の声が降ってきた。
「やはりな。お前はあのガキを玩具だとしか認識していない。いずれ飽きれば捨てるだろう。ただの好奇心だったのかもしれないが、そんなもので首を突っ込んでいいほど、スラムは甘くない。実質的な治外法権なのだから」
拳で床を殴りつけた。三度繰り返した辺りで指の付け根から出血した。悔しかったが涙も出なかった。余計に無力に包まれた。
汚れて磨り減って茶色くなった革靴が、目の前で音を立てた。
「顔を上げろ」
言われるがままに男を見上げると、男は神谷を見下ろして事務的に言った。
「俺を手伝え」
「……何が言いたい」
「そのままの意味だ。深読みなどするな。俺の復讐に付き合えと言っている。そうすればそこのガキも見逃してやろう」
神谷が後ろを振り返ると、名前も知らない幼い子供が虫の息をしていた。見逃されたところで生き延びるかも分からない、そんな容態に見えた。しかし可能性が無いわけではなかった。市街地には病院があり、優れた医者がいた。そこまで思い至り、胸が締め付けられるような感覚に囚われた。
急がなければ。
「早く決めろ。提出期限は一週間後、などと甘いことは言わないからな」
男は神谷を避けて背後に向かった。目的はすぐに理解出来た。あの子供に向かっているのだ。
「五秒も無い。現実というのは、そんなものだ」
歩きながら懐から拳銃を取り出した。
神谷の心拍数が跳ね上がった。足の傷跡から考えても予想はしていたが、実物を見るとやはり焦燥感が先走った。靴すらそう簡単に手に入らない世界のくせして、拳銃はそこら辺に転がっているのだ。
「待て!」
「待たない――」
男が口を閉じる直前、神谷は男の背中に飛びついた。体勢を崩したせいで、大きな発砲音が耳を劈いた。血溜まりを揺らした弾丸が的外れな方向へ跳ねた。
馬乗りの体勢になっているため神谷は有利だ。しかし戦い慣れなどもちろんしていなかった。暴れる男を無理やり地面に押さえつけ、揉み合っているうちに、唐突に、乾いた銃声がした。
抵抗が止んだ。
耳鳴りが煩かった。
血溜まりが広がった。
子供がまだ目を覚ましそうにないことだけが唯一の救いだった。
ありがとうございました
書きたいことが無えです
あとがきの書き方も忘れました
まえがきの書き方は思い出したのでトントントントンヒノノニトンです