汚い自然と綺麗な笑顔
前回の会話の続きから始まります
「で、何してたの。こんな場所で」
少年――神谷照は山のように積まれた廃材を見上げた。
今でこそ何とか人が生活できるかどうかという水準にまでなってはいるが、昔はスラムは愚か、神谷の家がある街だって荒れ放題でとても人が住めた場所ではなかったのだ。他で比べて放射線の被害こそそれほど甚大ではなかったものの、機械や人が戦い、殺しあった形跡で溢れかえっていた。
それらを政府は使える限りの労力をもって消し尽くした。遺体も鉄くずも処分して、木を植え、空気を浄化した。
対して政府に見捨てられた、法律が人間と認めなかったものが人力で開発したのがスラムだった。彼らは自分たちにできる範囲で英雄を祀り、憐れな被害者を弔い、こびり付いた死臭を取り払った。その過程で生まれたのが、神谷の目の前にある廃材置き場だ。居住区域の真横には戦死した戦士の墓ができたというわけだ。
もちろん、墓には供物も献花もされた形跡は無い。線香の残り香だって少しもしない。皆そんな余裕など無いことが窺えた。
ならばこんな場所にうずくまる理由など無いのだ。今日を生き延びることで首が回らないはずのスラムがごみ捨て場にじっとする行為がどうしても理解できなかった。
「きかいを見てたんだよ」
幼児はそう言って笑った。小さな体躯の中に太陽が見えた。
「直せるのかなって」
「……直して、どうするの? 人殺しの機械なんて壊れたままの方がいい」
神谷は人殺しの機械を睨みつけた。本心からの言葉を自分よりも一回りも年下の子供に吐き捨ててどうすると後悔するも、同時に間違ったことは言っていないとも思った。
しかし相手は気を悪くすることもなく、不思議そうに神谷を見上げた。
「ちがうよ。人殺しのきかいじゃなくて、人を守るためのきかいだったはずだよ。これは、ぼくらを守るために作られたはずだから」
周知の事実だとでも言いたげなほど、幼児の口調は堂々としていた。見下すでもない、語り聞かせるようなそれは神谷の気道を塞いだ。
神谷は目を合わせることができなかった。じんわりとした痛みで奥歯を強く噛み締めていることを認識した。
「言いたいことはわかるよ。でもな、結果的にそうなったんならどうしようもないんだよ。医者が医療ミスを犯すのも、工場で人身事故が起きるのも、意図的なものじゃない。人のためにしたことが、人のために作られたものが、人を殺すことなんてよくあることだろ。だったらなんだ? わざとじゃないなら仕方ないねって許せるか? どう足掻いても、人殺しは人殺しだ。憎悪の対象であるべきなんだよ。こんなものは……」
神谷は息を整えた。ようやく声が大きくなっていることに気がついた。短く舌を鳴らした。
「裏目裏目の世界なんだよ。興味なんて持たない方がいい」
それだけ言って廃材に背を向けた。逃げるようにその場を離れた。彼がどんな表情をしているのか、神谷にはわからなかった。
あの子が言いたいことはわかる。わかるからこそ、許せなかった。見るに堪えない格好をして、想像もつかない生活をしているあの小さな子供が、守られた、と感じていることが。
神谷は低反発のベッドを拳で殴りつけた。
何も守れていないくせして、奪って傷つけてしかいないくせして。
「――救った気になんかなるなよ」
明日、もう一度あの場所に行こう。そしてあの子供にできることを探そう。せめてあの子だけは救わなければならない。それが自分に課せられた使命であるような気がしてならなかった。――自分自身の生きる意味。
やはり空はまだ暗かった。
どことなく青みがかった黒。ぽつりと浮かぶ不完全な満月。そこへ向けて神谷は足を踏み出した。
昨日も味わった、胸が詰まる居心地の悪さを感じながら早足でスラムを突っ切った。
赤みがかった空に背中を押されるようにして例の廃材置き場の前まで来た。
人影は見当たらない。まだ彼は来ていないのだろう。昔見たままの鉄の山は、不覚にも神谷を安心させた。変わらないくらいがちょうどいいのだ。
ガラクタの目の前に腰を下ろして少し待った。もたれ掛かるような姿勢だ。世界が明るくなり始めたくらいに彼が来た。周りに気を配りながらおどおどした風だったものの、神谷を見つけた途端手を振りながら駆け寄ってきた。それほど子供の目に自分が無害に映ったのだろうかと思考するも、答えが出る前に声がとんできた。
「おはよう、神谷さん! こんなところで何してるの!?」
神谷は苦笑した。こんな不審者の名前を覚えているとは思わなかった。
「何してるのって……さあ、何してるんだろうな」
予想外の返答にただ戸惑うばかりの幼い子供を見て癒される。本当に何をしているのだろうか。
「君は、何しに来たの?」
「きのうと同じで、きかいを直しに来たんだよ」
しばしの間、神谷はそう語る曇りの無い瞳を凝視した。幸か不幸か、少年は勘が良い方だった。すぐに悟ったのだ。こいつは自分に似て、周りの声なんて聞かないタイプだと。昨日あれだけ言ったのにまだこんな目を見せられるとは。
神谷はため息をついた。
「……散歩する気は無いか? 少し話そう。――なにか手伝えることがあるかもしれない」
目を輝かせ、嬉しそうに頷いた彼の顔が神谷の網膜に焼き付いた。
「それじゃあ、行こう」
そう言っておもむろに歩き出した。振り返らずとも、雰囲気だけで後ろを追ってくる速いテンポの足音で、彼がついてきていることが確認できた。背の低い、子供の歩幅に合わせるためにいつも以上にゆっくりと進んだ。
行くあては特に無かった。幼い子供に何をしようとしていたのかも、半ば忘れていた。継続して自らを苛む胸の痛みには見ないふりをした。
居住区域の外周をなぞるようにして時計回りに北側へ向かう。人数の減少と反比例して地面に転がる鉄片は増加していく。そしてだんだん散乱した無機物も見られなくなり、代わりに緑が目に入る。
神谷はこの場所を気に入っている。奇跡的に戦前の記憶が残っている数少ない場所。二日前にも訪れた場所だ。ちなみに立ち入り禁止区域になっているため、万が一にも見つかれば捕まる。
空気が澄んでいた。
いつもの川の前まで歩いて、腰を下ろした。子供は一歩後ろで立ったままでいる。
「汚いね、この川」
「……自然なんてそんなもんだろ」
「ちがうよ。これはしぜんじゃない」
「君は自然を知ってるの? こんな世界にはもう無いと思ってたけど?」
腰をひねって振り返った。依然、彼は毅然とした態度のままその場に突っ立っていた。神谷は若干、その様子に気圧された。
憐れむような眼差しで『汚い』川を見つめながら、子供とは思えないほど落ち着いた声音で言った。
「あるよ。ここからは少しとおいけど。きれいな川を見たことがあるから」
「……そっか。また今度連れて行ってよ。本物の自然とやらを見てみたい」
するとその子供は年相応な笑みを浮かべて頷いた。思えば初めて会った時から自分の意見をしっかり持っていたり、やけに堂々とした話し方をしていたりと妙に大人びていて、どことなく違和感があったのだ。今ようやくその違和感が消えた。
やはり子供は笑っているべきだ。
「ねえ」
刺すような声音を背中で感じた。
「手伝ってくれるんじゃないの?」
「……はあ、わかったよ。何が知りたいの?」
「……! えっと、それじゃ、あー、何なら知ってる!?」
「……何でも知ってるよ。教育制度ってのはそういうもんだから」
空が曇ったのかと思った。それほどまでに眩しい笑顔だった。笑顔なんて久しぶりに見た。家族も鏡も笑わなかったから。
「なんでわらってるの?」
不意に言われて、え、と間抜けな声が出た。他人に指摘されて初めて気がつくとは。
不器用な苦笑いを浮かべながら神谷は首を振った。
「なんでもないよ」
「……そっか。じゃあまずは――」
そう言って彼が取りだしたのは、いつのものかもしれないアナログの時計だった。時針は六時を指しており、分針は無くなっていた。と思えば、風が吹いたと同時に三時になった。時針は固定されていないらしかった。
「……時計? なんでまた時計なんか」
ただ理由を尋ねただけだったのだがその子供には別なふうに聞こえたらしく、俯き気味に聞いてきた。
「直せない?」
「いや、そういうわけじゃ……ただ、てっきりもっと物騒なもんが出てくると思ってたから。――ちょっと貸してみな」
差し出された時計を受け取り、ひっくり返した。取れこそしない時針が揺れた。案の定、ボルトの外された裏蓋を剥ぎ取った。
「やっぱりな……いや、まだマシな方か」
彼は首を傾げた。神谷はそれを察して時計の中身を見せた。
「わかるか? 隙間がやけに多いんだよ。これが何を意味するか」
「盗まれた」
「――当たりだよ。というかゴミを漁っただけなのかもしれないけどな。こんな程度でも金になるわけだ。これっぽっちの、無いよりはマシなだけの金に」
「もしかしたら、その人も時計を作ろうとしていたのかも」
「……確かに、そうかもしれないな」
神谷は言いながら立ち上がった。無意識に出かけた足を引っ込め、体の方向を変えた。
「戻ろう。俺達も時計を作りに行こうか」
「じゃあ後はゼンマイ回して……そう、もう少し……よし、それでいい終了だよ」
新しく付け直した秒針がゆっくりと進んでいた。手の中のそれを見つめる笑顔が微笑ましかった。
「本当に? 本当にこれでかんせい?」
神谷は頷いた。
「微妙なズレはあると思うけど、気になるほどじゃない。後は毎日、寝る前にでもゼンマイさえ巻いてりゃ十分だよ」
「――あはは! やった、ほんとに直った! ありがとう、神谷さん!」
「――ひとつ、気になってたんだけど、時計なんか直して何に――」
「それじゃ、あしたの八時にまたここでまってるね!」
「……ああ。了解」
神谷はおもむろに立ち上がり、腰を逸らして背中を曲げた。思ったより素材探しに難航したせいで、既に太陽が沈みかけていた。
「なあ……いや、八時集合か。約束だぞ。」
「うん、やくそく!」
「あ、あとそうだ」
ポケットから取り出したのは小型のGPSだった。といっても正確な位置がわかるわけでもなく、スイッチを入れると一定の範囲内に時計がある時だけ反応するという、どちらかと言えばダウジングマシンに近いものだった。
それを差し出した。
「さっき言ったGPS。ひとつ持っときな」
「ありがと!」
「それじゃあ、また明日」
家へと向かう神谷の背中に、また明日、と元気な声がかけられた。神谷は背後に向けて手を振った。
その夜は珍しく、次の日が待ち遠しかったのだ。
ありがとうございました
悲しいですね
復活して華々しく終わるとばかり思ってました
でもこっからだからね
こっから第二の伝説が始まんだよ
三、四年後が楽しみだぜ!
追記
前書きの書き方忘れました