比較的新しめなオーパーツ
これはもう実質ラブコメ
朝が来た。
部屋の電気は一晩中ついたままで、時報が鳴ったわけでもない。ただ少女はそれとなく夜が明けたことに気がついたのだ。
「いつまでそうしているつもりですか」
おはようも抜きにして彼女は部屋の隅で考え込むような素振りで浮遊しているホログラムに冷淡に問いかけた。凍りつくほど長い沈黙をあまりにも唐突に破られたため、驚きに同期するようにホログラムがぶれる。
「君が話しかけてくれるまでこうしているつもりだった。だから答えとしては……さっきまでってことになるな」
「なぜあなたの行動が私の発言に依存するんですか」
「ここにいるのは君だけなんだろ? なら必然的にこの塔は君の家、つまり君に所有権があることになる。そう考えたら家の主の許可も取らないであちこち見て回るわけにもいかないだろ。それが常識ってやつだ。幸いなことに俺は常識人なんだよ」
「そう……ですか。申し訳ありませんが私にここの所有権はありません。どうしても権利者の許可が必要となれば、諦めていただくほかありません」
軽口を跳ね除けるように少女が言い切ると、虚像は揺れて腕を組み右手で顎を押え、少し考えるような仕草を挟んだ。
「……君の父とやらか?」
別なふうな訊かれ方をすると思い、身構えていた少女は相手の質問に目を見張った。そのせいで返答は少しの間を必要とした。
「……はい」
「既に死んでいると言ったな?」
「はい、あなたの言い分が正しいのであれば、きっと」
ニアのその返答を待っていたと言わんばかりに、虚像は揺れてにやりと口角を上げた。
「この国の法律では権利者が死亡した場合、そいつの家族に相続権が行く。つまり君が相続者だ。違うか?」
「私に相続の手続きをした記憶はありません。したがって私に権利は無い。というより要りません。今となっては既に不必要なものです。……この議論になんの意味があるというのですか。私は許可を下しませんが、それはあなたを拒むわけではありません。むしろ好きにすればいいとも考えます。そしてできるだけ早くここから立ち去ってほしい……」
最後の方は自分ですら聞き取れるかどうかというほどの小声でニアは淡々と言い切った。というのも彼女にはとっくに相手の顔色なぞを窺う気が残っていなかったのだ。これまでかなりの時間を誰とも話さずに生きてきたのだ。そしてこれからもそれは変わらないと無意識のうちに信じ込んでいた。だからこの時間はいつの間にか彼女にとってはもはや苦痛とも呼べるものになっていたのだ。
それを汲み取ったのか、いないのか。相手はため息を音として出力した。
「はぐらかされるのが嫌とは言ったけど……包み隠さずっていうのもそれはそれで……。まあいいよ、俺は君と争いたいわけじゃない。君の言う通り、好きにさせてもらおうか」
そう言うとわざわざまるでその通りに移動しているかのように虚像はゆっくりと部屋のドアの方へと向かっていった。それが廊下へ出る直前、ニアの脳内にひとつの疑問が飛来した。彼女は咄嗟に消えゆくホログラムを引き止める。
「待ってください。あなたはこの塔で何を探そうと――」
「あ? それを教えて何になる? まさか前言撤回でもする気かよ」
相手は急に声色を変えたかと思うと威圧した態度でそう言った。そもそも、許可など無視すればいいのに何故それほどまでに固執するのか。しかしニアはこの時確実に焦っていた。後から思い返せば自分自身ですらあの時はおかしくなっていたと思うほどに。
「いえ、その、そういうことではなく……ただ念の為に」
「……まあ、いいよ。仮にも俺は見させてもらう側だ。君にも知る権利くらいはある。何にもならないとしてもな」
そしてそれは虚像を意図的にぶらして振り返ったような挙動を見せた。
「と言っても、何か特定のものが欲しいわけじゃない。強いて言えば全部だよ。この破滅の塔を創った男の情報、この塔自体の構造、それから……君の情報も。君の要望通り明言はしないが、目の前の謎を放置したまま食い下がれるような人柄をしていないんでな、俺は。何よりそうプログラムされてるんだよ。ここに関する情報は隅から隅まで、たったの一文字も見落とすなと、持ち帰れと」
仕方ないことなんだ、とでも言いたげにホログラムは首を振る。
ニアは全てを最後まで黙って聞いていた。率直に言って、この侵入者を野放しにしておくことは彼女としては非常にまずく、危険なことだった。この塔の情報を渡すだけなら問題は無い。もちろん塔の生みの親、アントニオの情報にだって重大な秘密は隠されていない。問題は彼女自身にあった。つまり間接的に、塔の情報を渡すことにも問題が出てくる。彼女はほんの少しの間、思考に集中した。だがいくら考えども導き出されるのはせいぜい善後策で、根本的な問題解決にはなりそうになかった。しかしそれも仕方ないと言えるだろう。ニアは今、普段の彼女からは想像もつかないほど興奮しているのだから。
プログラムに従っているだけなのに、ホログラムはまるで痺れを切らしたといったふうにくるりと向きを変えた。後ろ手に右手を振る。
「それじゃ、縁があれば」
「待ってください!」
しかしもうホログラムは振り返ろうとしなかった。ベースとなった人間は案外気が短い方だったのか。なんにせよこのまま放っておくわけにもいかないのでニアは廊下へ飛び出た。案の定消えることもなく、少し先で煽るように虚像が揺らめいていた。
「私も同行します」
すると虚像は振り返り、嫌そうな素振りで顔をしかめた。
「まだ拘束し足りないのか? お前は」
「……あなたが何と言おうと同行します。私にはその権利があるはずです」
無論、義務も、と続けようとしたがすんでのところで言葉を飲み込んだ。熱くなって冷静さを失ってはならないと自戒する。
「それは同行じゃなくて監視だろ? お前が何考えてるかは知らねえが、なんとなく想像はつく。邪魔はしないから邪魔するなよ」
「……あなたが何と言おうと私はあなたを監視します」
そう言ってニアは射るように相手の動向を見守った。数秒睨み合った末、折れたのはホログラムの方だった。ちっと短く舌打ちして、その後虚像がぶれたかと思うといつの間にか頭部に手を当ててため息をついた。
「……好きにしろ。ただし、お前が俺の目障りになるようなら、俺はお前を暴く。いいな?」
相手の表情は窺えなかったがニアは渋々頷いた。世界を知らぬ少女の世界は綺麗だった。それに逃げられるくらいなら条件を飲んだ方がましでもあった。
「わかりました。約束は守ってくださいね」
「当たり前だろ。じゃあ行こうか」
するとすぐにまたホログラムはくるりと身を翻してしまった。そこで誰にも気づかれないようににやりと笑ったのは、ニアからは影になって見ることができなかった。
六畳ほどの広さの部屋を囲うように設置された隙間の無い本棚と、余ったスペースに所狭しと堆く積まれた本の群れ。それに混じる端を留めただけの分厚い書類。外開きの扉を開けた少女の目に映ったのはそういった埃を被った情報の山だった。足の踏み場も無いような惨状からは六畳一間で人が生活できるなどとは誰も思えないだろう。かろうじて壁際に置かれた机の存在からここが書斎として利用されたことがわかる。
「うわ……」
所詮ピンキリの機械には刺激が強すぎたのか、青い虚像がぶれたかと思うとその場で静止した。ニアはそれとなく反応を窺う。
「散らかってはいますが本としての機能は失われてはいないはずです。温度を一定に保ったまま、誰もいない時は電気すら消えているのでそこまで劣化しているとは思えないので」
「ふーん……。片付けとかできないタイプ?」
「私はそのままの状態に戻したまでです。下手にものを動かすのは躊躇われるので」
「ちゃんとしてんなあ……。埃まで戻したのかよ?」
「え、いやそれは……」
迂闊な少女が口ごもっている隙に、いつの間にかホログラムはそれら本の上空に位置していた。位置エネルギーもへったくれもないその光景を眺めてニアは口をつぐんだ。
「困ったな、ページが開けないから、読めない」
「……手伝いましょうか。幸い、時間なら余るほどありますので」
「いや……読む必要は無いんだよ。記録するだけでいいから……、と言っても面白みにかけるな。ここにある蔵書、どれもこれもデータ上に残ってる」
ホログラムはざっくりと山のような本を見回して腕を組んだ。
「ただ、本じゃないやつ――雑に留められてる書類の方は知らないな。活字もあれば手書きのもあるし……何より書き込みも多い。あの人の直筆だとすると……よし」
くるくる回りながら思考しているかと思えばピタリと止まって、訝るような視線を向けていた少女に笑いかけた。
「手伝ってくれよ。書類スキャンしたいんだよ。ここにあるの全部。あはは……これ全部凄い価値出るぞ……。表紙見ただけでもわかる……まだ進歩するぞ……あはは……はは……」
独りでに興奮してぶれが酷くなる虚像をニアは冷めた目で観察するも相手がそれに気づく気配は微塵もなかった。ニアは一瞬バグを疑ったがどうやらそういうわけでもないらしい。よって、少女はおずおずと独り言に口を挟む。
「……盗むつもりなのですか?」
「いや、盗むって……というか君はそれを手伝うためにいるんだろ? それにこの書類の束はきちんと鑑定にかければきっと宝の山だと宣告されるはずなんだよ。それなら適切に扱える人間に渡った方がいいと思わないか? 豚に真珠だなんてことにはさせない。それとも君はこのまま放置してゆっくりと、読めなくなるまで色褪せるのを待つつもりか? この世界には必要悪というものがあるんだよ。君もいずれわかる。きっと」
「……あの人が望むのなら」
「望むよ。保証しよう。まさかその人の存在を無かったことにする、なんていうことをその人が望んでいるわけないだろ?」
中空で足を組み若干見下ろす態度でホログラムはニアを説得した。一瞬思考を巡らせるも、逡巡した様子はおくびにも出さずにニアはすまし顔で頷いた。
「了解しました」
ニアはそのまま屈み込み手頃な位置に転がっていた書類に手を伸ばしかけて、途中で軌道を修正した。幸い相手に怪しまれることはなかった。というより最初からニアに目を向けていなかった。ホログラムはどこにカメラが付いているのやら部屋中を低回していたのだ。そんな浮遊霊に少女は声をかける。
「難攻不落、こう手書きで書かれてありますが」
すると浮遊霊は即座にニアの目の前に構えた。
「一枚ずつ捲っていってくれ。わかればいいから。さあ」
興奮したホログラムに急かされるままに相手に表側を向けて一枚ずつ紙を捲っていく。
少女の記憶によると、そこには特定の手順を踏まないと誰にも破れない壁や壊れないものの構造がこと細かに赤色のペンの注釈入りで綴られていたはずだ。耐震や劣化対策はもちろん、落雷や洪水、電磁波に核などの対策まで抜け目が無かったと記憶している。それでも疑問は浮かぶものだ。そこまでして何を守りたいのか、なぜ『特定の手順』などという抜け道を用意したのかといったふうに。
その後は作業だった。部屋に散らばった書類の埃を払っては片っ端から記憶させていく。ホログラムもたまに感嘆らしき声を上げるだけでさして反応も無い。とはいえニアはニアで面白くないことには慣れていたため特に不満があるわけでもなかった。
一通り終わった、とニアが告げるとホログラムは素直に部屋を出た。少女もそれを追おうとして部屋を出る直前、足元に転がった最初の書類をちらと見て、しかし何事も無かったような顔をして廊下側から扉を閉めた。部屋は自動で明かりが消える仕組みなのでもう真っ暗で何も見えないだろう。ちなみにニアが興味本位で先程の抜け道の疑問をホログラムにぶつけてみると「いくら壊れなくても自分も壊せなかったら意味ないだろ。タイムカプセルは開けるとこまでが楽しみなんだよ。それに自爆スイッチはロマンだろ。というか必須で、そういうものとして扱うもんだろ普通」と返された。腑に落ちてはいなかったがそういう考え方もあるんだなくらいにはためになった。
その階と直下の二階分――事実上ニアの居住区となっているフロアはあらかた調べ尽くしたもののホログラムが興味を示したのは書斎くらいのものだった。それと同時進行で例の日課をこなしたため軽くそこを言及された程度だった。というわけでニアは下へと続く階段を降りている。下層は彼女も普段から立ち寄るわけではない。最後に降りたのはいつだったかと考えようとするも一時間以上前である、ということしかわからなかった。
虚像は相変わらず彼女の斜め後ろで揺らいでいた。
「なあ、質問なんだが、あの部屋はなんなんだ? 大量の、まるで暇つぶしのために用意されたみたいなゲームだとかなんだとかは? ただの趣味にしては度が過ぎてるし、その上多趣味にも程があるだろ」
「あなたの言う通り、暇つぶしです」
「そんな暇じゃないだろ。あんなのやりつくそうと思えば一日二日じゃ足りないぞ。いくつか同時進行だとしても一年はかかる。まさか暇つぶしで集めたってわけでもないだろうし」
「私のために用意されたと聞きました。ある程度の期間はここにいましたので」
「ああ、そういえば。君は長い間閉じ込められているんだっけか。――百年くらい」
「……暇はありましたから」
素っ気なく返事をしてニアは階段から一番近い部屋の扉を開ける。
そこには人型のロボットが座りこんでいた。
「出回ってるやつ……のプロトタイプってとこか。万能型のベータ版……価値はあるけど……これ機能すんのか?」
そう言ってホログラムは少女の脇をすり抜けて散乱した部品も設計図も踏まずに一直線にプロトタイプへと近づいていった。ニアは同じ部屋には入らず、境の一歩外側からそれを眺める。
「この部屋は作業場のひとつとして作られたのでしょう。というよりこの階、及びこれより下の階は全て。似たような光景が続いているはずです。出回っている情報も沢山あるため、存外面白みに欠けるかもしれません」
「出回っている……出回っている? あはは……お前何言ってやがる。これはプロトタイプなんかじゃねえよ……別物だ。外で出回っている、それこそデータの山に埋もれちまうような量産型とはまるで違う!」
ロボットを舐めまわすように観察していたかと思うとホログラムは唐突にそう叫び、かと思うと途端這いつくばるようにして床に散乱した設計図をひとつひとつ見渡していく。
「あはは……はは……! こんなのそう易々とデータにしちゃいけない。こんな塔を作ってまで守ろうとする理由もわかるよ。例えば、この設計図、見てみろよ」
ホログラムはロボットの足元に撒かれている紙を指さした。
「これ一枚だけでも一体どれだけの価値があるか……。なあ、お前はこれが誰にも知られずに土だか砂だかに埋もれちまうなんて考えられるか? 許せるかよそんなこと。なあ、そうだろ? お前もそう思うだろ?」
「……どれだけの価値があるんですか」
「……十万から五十万」
「……それは……凄いですね」
「……普通そこに食いつくか? まあいい。これも記録したいからちょっと待っててくれ」
そう言うとホログラムは海底のサンゴでも見るみたいに設計図を一つ一つ記録し始めた。ニアは相変わらず部屋の一歩外で成り行きを見守っている。
「データにしてはいけないのでは?」
「流れないし流さないからセーフ。間違って流出させるなんてヘマするわけないだろ」
「そうですか」
部分的に理解できないところもあるが仕方ないことだと割り切ってぼんやりとニアは室内を眺め続ける。ぼんやりするのは慣れていたため苦痛ではなかったが慣れているからこそ不自然は際立つ。少女はリスの囁く声が聞こえた気がして静かに振り向いた。そして何も無い廊下があるだけなのを確認してどこかにガタがきたのか疑った。
そうこうしているうちに記録は終わったらしい。興奮気味のホログラムは声を弾ませていた。
「よし、次行くぞ、次! 似たようなの――いや目新しい新技術が他にも転がってんだろ? 急ぐぞ、さあ!」
「時間はあります。それほど急ぐ必要性が感じられないのですが、何か事情でもおありですか? 制限でも?」
「ゆっくりなんてしてられるかよ。そりゃ時間はあるかもしれないけど、一体既にどれだけ経ってるかわからないんだよ。もしかしたら今ここで起きたことが全て徒労に終わる可能性だってある。でも、まあそうだな。ゆっくりいこう。急いで見逃すなんてのは敵わないか。急がば回れなのかもしれないしな」
反論するかと思いきや独りでに納得するホログラムに若干の引っ掛かりを覚えつつもニアは頷いた。相手は相手で何かしらの誤算があるのだろうかなどと考えても無駄であった。構造もコードも知らない技術のバグは解析できない。似たようなものの情報なら彼女も読んだことがあるのだが。
納得したもののやはり興奮冷めやらぬホログラムに急かされるようにして次の部屋へとニアは歩く。もう先程のロボットは暗い中、二度寝を始めたことだろう。本人も気づかないうちにリスの気配は薄れ、やがて完全に消えていた。
ありがとうございました
今更気づいたんですけどね
一話一話が長えなと
少し前のやつ見返してみたらおいおいこりゃ長えなと
ここからは短くしていきますね
追記
モバマス終わるらしいですね半年後とかだけど
ここから終わりまで、新規ユーザー及びアクティブユーザーは一気に増えるでしょうし
課金額などもめっちゃ増えるんだと思います
この現象を超新星爆発と呼びます
線香花火みたいですね