008:六式魔法
気づけば、助けに入っていた。
不意を突いた。
だから細かいところまで俺の動きを見た者はいないはず。
本来ならその間に敵を殲滅できれば効率的だったが、今の封印状態でそれは厳しい。
「テメェ……この場所には結界があったはずだぜ。どうやって入った」
「結界? 何のことだ。そんなものなかったぞ」
「ああ?」
細身の男が猫背の男を睨むと、睨まれた側は慌てて首を横に振った。
なるほど、あの猫背の男が結界魔法の主だったようだ。
結界がなかったなんて話は、真っ赤な嘘である。
もちろん存在は確認済み。俺には通用しなかっただけの話だ。
結界にかけられていた効果は視界を狂わせるものと、本能的にそのエリアを避けてしまうというもの。
魔力が高くない者はこの場所に近づこうとする意志すら消失してしまう。
防御結界などと比べてコストが軽く、隠れて何かを行うにはもってこいの魔法だ。
ただコストが軽いが故に欠点があり、敵に"そういう効果"があると知られてしまえば効き目を失ってしまう。
「っ! 逃げなさい! 支援職のあんたが勝てる相手じゃないわ! 奴らはプロの殺し屋よ!」
「大丈夫だ。俺は一人で来たわけじゃない」
「え?」
俺は彼女の前で結界を潜って見せた。
その時に俺の姿は見失ってしまっただろう。
しかし、その場所を通ることができると認識させることができればそれでよかった。
上手く行けば、無意識に避けてしまうという効果を薄めることができる。
その証拠に、ほら――――。
「到着だ」
彼らの背後の茂みが一瞬揺れたかと思えば、そこからレイラが飛び出す。
すでに振りかぶられていた剣は、猫背の男の反応を待たずその体を傷つけた。
「チッ! いつの間に近寄ってきやがった⁉」
「たった今さ。隙だらけだったもので、お仲間は仕留めさせてもらったよ」
「ふざけんじゃねぇ! 俺はテメェらの居場所をしっかり認識してたはずなんだ……! 絶対こんな近くまでは来れねぇはずなんだよ!」
「何のことだい……?」
細身の男が狼狽える。
なるほど、奴の目は探知の目か。
正直そこまでは分からなかった。偶然かと思っていた。
しかしそれなら納得できる。
最初から彼女らは文字通り目をつけられていた。
「に、にいちゃん……た、たすけて……いたい……」
「うるせぇぞ役立たず! 役に立たねぇなら還れ! 土に還りやがれ!」
背中を大きく斬られた猫背の男を、細身の男は何度も何度も踏みつける。
肉の潰れる音が響き、やがて猫背の男は動かなくなった。
「ふぅ……クソっ、まあいい。貴族だか何だか知らねぇが、所詮はガキだ。俺一人だった楽勝だ」
「なら、剣を合わせてみるかい?」
「……生意気だな、クソガキ」
男はレイラに迫り、ナイフを振りかぶる。
さすがは殺し屋だ。
その動きは様になっており、しっかり体も魔力で強化されている。
あれではレイラが危ない。
(二式魔法、"エンチャントアタック"、同時発動、"エンチャントディフェンス")
俺はレイラの体に付与魔法をかける。
それとほぼ同じタイミングで、二人の武器はぶつかり合った。
「うわっ⁉」
——ま、それでも足りないわけだが。
レイラの体は後ろへと吹き飛ばされる。
地面を転がり背後の木に叩きつけられた彼女はうめき声を上げるが、かろうじて立ち上がった。
自分を持ち上げたいわけじゃないが、付与魔法がなければレイラは重傷を負っていただろう。
あの細身の男は子供が勝てるほど甘い奴ではない。
「剣ごと叩っ斬るはずだったんだが……最近のガキは意外とやるなァ。まあいいや、先にそっちを始末しとくか」
「ぐっ……舐めないでよ! どいつもこいつも!」
俺の支えを跳ねのけ、ミオンが立ち上がる。
魔力が尽きているくせによく立てるものだ。
意地やプライドもここまで来ると惚れ惚れする。
「逃げなさい、エル! レイラを連れて!」
ミオンが俺の名を叫んだ。
本当に大した奴だ。自分を犠牲にしてでも仲間を守ろうというのだから。
気の毒なのは、それが悪手でしかないことだが――――。
「ここから逃げるのはお前の方だ、ミオン。今一番動ける俺が囮になる」
「なっ⁉ あんた……正気?」
「正気だ。俺は一番生き残る可能性が高い話をしている。俺はまだ動けるし、支援職として培った隠密能力もある。一人で時間を稼ぐ自信がある」
「そんなこと……言われても」
中々煮え切らない態度だ。
ここは仕方ない、強硬手段に移ろう。
「何をごちゃごちゃ――言ってんだよ!」
「二式魔法、"エンチャントスピード"」
俺は自分自身に速度強化の魔法をかける。
跳びかかってくる男をかわしつつ、俺はミオンを抱えてレイラの下へと移動した。
「……はっ、ガキの癖にいい強化魔法を使うじゃねぇか」
「光栄だ」
よく隙を作ってくれる男で助かった。
でなければ強化したとは言え、こうも上手くはいかない。
「レイラ……動けるか」
「あ、ああ。まだ動けるよ」
「じゃあ今すぐミオンと共に離脱しろ。俺も後で合流する」
「そんなっ! それじゃ君は――」
「いいから、"行ってくれ"」
「っ! ああ……分かった」
レイラはほんの一瞬目から光を失うと、ミオンの手を取って走り出す。
当然ながら驚くミオンが、自分の手を引く彼女に向けて叫んだ。
「レイラ⁉ あいつを一人にしちゃ――」
「いいんだ。任せよう」
「はぁ⁉」
二人の姿が遠くなっていく。
俺はレイラの背中に向け、ただ一つ謝罪を述べた。
洗脳魔法の初歩中の初歩、"ヒプノシスワード"。
俺の使える最低限の洗脳魔法を、レイラにかけてしまった。
無理やり他人を従わせる力は、俺のもっとも苦手とするものである。
使える使えない以前に、使いたくない。
オーガの集落へ向かった時も、俺は話し合いを優先した。
力で押さえつけるという行為がどうにも好きになれないからだ。
(魔王様曰く、それが甘いということらしいが……これで、少しは甘さを捨てられただろうか)
自分の中の嫌悪感を押し殺し、俺は振り返る。
そこには余裕の表情を浮かべる男の姿があった。
「自分を犠牲に女を逃がす……くぅ、ヒーロー気取りか? クソガキ」
「そんなところだ。貴様、名は?」
「あ? ……殺し屋に名前を聞くだなんて面白れぇ。いいだろう、答えてやる。グレスだ。巷じゃ"追跡者"なんて呼ばれてるみてぇだが、断じて自分で名乗った覚えはねぇってことだけは言っておくぜ」
「そうか、俺はエルだ。今から少しだけ俺に付き合ってくれないか?」
「馬鹿かよ。テメェをさっさと始末して、あのメスガキどももすぐにあの世に――――」
「なら、力づくだ」
四式魔法、"エンチャントオール"。
エンチャントアタック、ディフェンス、スピードを同時にかける魔法だ。
俺はそれをかけると同時に、グレスの懐へと飛び込む。
「テメェ……! やっぱりガキの扱える術じゃ」
「その先は秘密だ」
俺は唇に指を当て、直後、グレスの腹を蹴り込んだ。
とっさに彼は腕を挟み込み、その一撃を防御する。
(……ちょっとショックだな)
いくら殺さないように手加減していたとしても、簡単に受け止められてしまうと心に来るものがある。
「テメェッ! ほんとに何者だ!」
「教えないぞ、命令だからな」
「はぁ⁉ 意味わかんねぇよ!」
彼の左腕がだらりと垂れる。
思いのほかダメージが通っていたようで、彼の腕は二の腕の辺りで折れていた。
ありがたい、これで俺の心も少しは救われる。
「もういい……本気で殺してやる。時間稼ぎなんてできると思うなよ?」
「ああ、時間稼ぎか……その目的は嘘だ。貴様には聞きたいことがある」
「は?」
「六式魔法、"フルエンチャントオール"」
今体にかけた魔法は、エンチャントオールの上位魔法。
おそらく封印を解かずにかけられる強化魔法でもっとも強いものだ。
効果のほどは――グレスの恐怖で引きつった顔を見れば理解してもらえるだろう。
「まさか……テメェはっ!」
「悪いが、貴様は今気づいたことを誰に伝えることもできず、ここで散る」
「くそ……! クソっ! よりにもよってどうしてこんな簡単な仕事で! 聞いてねぇよ……どうして! いるはずがねぇ! どうして"勇者"を相手にしなきゃならねぇんだ⁉」
「……?」
何か勘違いしているようだが、まあいい。
俺は力で押さえつけるという行為が嫌いだ。
しかし、これには例外がある。
相手が明確な敵であるならば、俺は――――。
「さて、任務を遂行しよう」
"制圧"も嫌いではない。