007:足掻き
『貴様は確かに優秀だが、その甘さはたまに心配になるぞ』
いつだったか、そんなことをイブリース様に言われたことがある。
その時は言葉の意味が理解できず、失礼を承知で聞き返してしまった。
『どこが、だと? 我は伝えたはずだぞ。外れの集落に住むオーガ族の村を制圧しろ、と』
確かに俺はその命を受けた。
『奴らは立派な反発勢力だ。強靭な奴らを敵に回すと何かと面倒ごとしかない。だからこそ前もって潰しておくという判断だったのだ。しかし貴様はそれを別の形で制圧してしまった』
――ご命令から背くような行為はなかったように思えますが。
『命令に背くどころではない。貴様は想定していた成果を大きく上回った結果を残した。奴らをすべて味方に引き込む《・・・・》という形でな。よくあの我が強い連中を説得できたものだ』
——彼らには彼らなりの考えがございました。私は互いに利益が出るよう、話を持ち掛けただけです。ご不満であれば今すぐにでもねじ伏せて参りますが……。
『馬鹿者、不満などあるはずがないだろう。……よくやってくれた。貴様は我の考える最善を上回ってくれた』
——ありがたきお言葉。
『ただ、我は心配だぞ』
——どうなさいましたか?
『貴様の優秀さと寛容さは我が一番よく知っている。だが、その優しさが悪意ある者に利用される可能性だってある。貴様を信頼しているが故に心配する我の心も察してくれないか』
——……肝に、銘じておきます。
その時の会話は、これで終わった。
イブリース様曰く、どうやら俺は優しすぎる……らしい。
自覚はしていない。——いや、自覚しようとしていないのかもしれない。
いずれにせよ、俺は任務をこなす。
その中で"最善"だと思うやり方があれば、それを目指すだけの話だ。
♦
「立場を弁えなさい……か、どの口が言っているのかしらね」
走ることをやめていたミオンは、一人そんな言葉をつぶやく。
貴族は威厳を守るものである。
しかしそれを振りかざしてはいけない。
そう胸に刻んでいた彼女にとって、先ほどエルデに対して飛び出した言葉は嫌悪の対象と言っても過言ではないものだった。
(あいつの言っていたことは正論……間違っているのは私)
前衛を引き受ける魔法使いなどほとんど存在しない。
特異な存在はいるとしても、少なくともミオンはそういうタイプではなかった。
エルデは彼女自身を案じて言ったのだと、心では理解している。
受け入れられなかったのは、自分の問題だ。
「けど、私は強くいなければならないの。誰の力も借りなくて済むように……あの子とは違うって、証明しなきゃ」
「おうおう、じゃあ証明してもらおうじゃねぇか」
「っ⁉」
突然声がしたと思えば、ミオンの耳に何かが風を切る音が届く。
とっさに彼女が頭を下げれば、頭上を鋭い斧が通過して行った。
空中に残されたミオンの金髪がハラハラと地面に落ちる。
「おい木偶の坊、外すなよ」
「ごべん」
「使えねぇな、ったく。まあいいや、ほらテメェも仕事の時間だぞ」
「……うい」
ミオンの前に三人の男が現れる。
細身の男、ガタイのいい男、猫背の男。
乱暴な口調で話していたのは細見の男であり、謝ったのが隣の巨漢、そして最後に返事をしたのが猫背の男だ。
「何よ、あんたたち」
「同じ受験生だって。見て分かんねぇか?」
「分からないわよ……! どう見たって同級生じゃないもの」
「おいおい、ひでぇじゃねぇか。……ま、もう受験生に紛れるための変装は解いちまってるからな」
「何が目的なの。ここは試験官の教師が常に目を光らせている訓練場よ?」
「目的はともあれ、ここに教師どもの目は届かねぇよ。ちゃーんと結界魔法で誤魔化してるからな」
こうして会話している間にも、彼らはじりじりとミオンとの距離を詰めていた。
彼女は確信する。
彼らは自分へ危害を加えるために近づいてきたのだと。
受験生を、ではなく、ミオン・ポートリフを狙ってきたのだと。
「テメェに怨みはねぇけどな、これも俺たちの仕事なんだわ」
「殺し屋か何かかしら?」
「まあそんなところだよ。テメェと、あとついでにレイラ・シルバーホーンを始末しろってな」
「嘘……冗談でしょ」
「冗談かどうかは……その身で味わいやがれ!」
細身の男の隣で、巨漢が片手斧を振りかぶる。
ぞわりと、ミオンの肌に鳥肌が立った。
経験はないが、理解してしまう。
あの巨漢は殺意を持って斧を投げつけてくる、と。
「っ! 二式魔法、"ブラインドスモーク"!」
ミオンは地面に向けて手をかざす。
するとその先から爆発するように白い煙が溢れ出した。
煙は瞬く間に彼女の周囲を覆い、その姿を隠す。
「み、みえない……」
「狼狽えんじゃねぇよ木偶の坊。どうせあいつは煙の中からは出られねぇんだ。じっくり待ってやろうじゃねぇか」
細身の男は腕を組み、へらへらと笑ってみせる。
しかし次の瞬間、その笑みは凍り付いた。
『揺らぐは炎……飛び交うは鳥。天は紅色に染まり、万物は灰燼と化す……! 四式魔法! "フレイムバーズ"ッ!』
「チッ……!」
煙の中から、鳥の形をした炎が飛び出してくる。
それは無数に散らばり、もはや避けようのない範囲まで覆っていた。
そんな中で、細見の男と猫背の男は巨漢の後ろへ隠れる。
巨漢自身は驚きのあまり全く動くことができず、全身にその炎を浴びることとなった。
「ぎゃぁあぁぁあああああ! 熱い! 熱いぃぃぃい!」
巨漢は火だるまになり、しゃがれた悲鳴を上げる。
彼は炎を消そうと地面を転がるが、すでに遅く。
しばらく藻掻いた後、彼はぴくりとも動かなくなった。
「くそ、壁程度にしか役に立たねぇじゃねぇか……やるなぁ、クソガキ」
「はぁ……はぁ……」
煙が晴れ、ミオンの姿が現れる。
彼女は膝をつき、肩で息をしていた。
(一人しか……持っていけなかったわね)
ミオンの扱える魔法の中で、もっとも強いものが今の"フレイムバーズ"だった。
これ以上の魔法はないし、魔力ももう底を尽きかけている。
彼女自身が断言してしまう。
自分は残りの二人には勝てない――――と。
「お疲れのようだし、んじゃそろそろ片付けるとすっか」
「……ぶ、"ブラインドスモーク"!」
ミオンは再び煙を生み出し、その中に身をひそめる。
魔力が不足しているからか、煙の規模は先ほどよりもだいぶ小さい。
それでも、もう彼女にはこれしか残されていなかった。
(情けない……! 情けない情けない情けないッ! 自分から一人になっておいて、助けを待つことしかできないなんて!)
魔力が尽きてしまった者は、ある程度回復するまでの間貧血のような症状に悩まされることになる。
今のミオンがまさしくその状態であり、ふらつく体はまともに歩くことすら許さない。
故に今彼女ができることは、時間を稼ぐことだけだった。
レイラが――――無二の親友が、自分を見つけてくれるまで。
「……往生際が悪ぃな」
煙の向こうから、細身の男の声がする。
ブラインドスモークの効果時間はせいぜい二分から三分。
その間、ミオンは身を屈めて息を殺していることしかできない。
(最低でもあと二分、せめてそれくらいは持ちこたえてやる)
魔力で他人の位置を把握できる者もいるが、幸い、ミオンの魔力はちょうど尽きた。
これなら見つかりっこない。
そうやって自分を落ち着けようとした――――その時である。
「——みぃーつけたぁ」
「っ⁉」
突然細い腕が伸びてきて、ミオンの首を掴む。
驚いている間に、彼女の体は人並み外れた力で持ち上げられていた。
体重が首にかかり、ミオンの呼吸を阻害する。
「かっ……な、なんで……」
「残念だったなぁ、クソガキ。悪ぃけど、俺はプロなんだわ。殺しのな」
細身の男は、不気味なほどに口角を吊り上げて笑う。
ミオンが集中を切らしたことで、煙は瞬く間に晴れてしまった。
もはや身を隠すことも、反撃することも叶わない。
「俺は一定以上この眼で観察した奴に対して、マーカーをつけることができる。俺にしか見えねぇけどな。この能力がある限り、俺がテメェを見失うことはありえねぇんだよ」
「そん……な……」
「試験が始まる前から、ずーっと見つめさせてもらったぜぇ? もちろん、テメェのお友達もな。でなきゃ、ピンポイントでテメェが一人になった瞬間なんて狙えねぇだろ」
ミオンの目が見開かれる。
「あ、助けとか期待すんなよ? 最後に俺がレイラ・シルバーホーンの位置を確認した時、まだずいぶんと離れた位置にいたからな。それにここはこいつの結界内だ。近づけてもすぐには見つからねぇ」
細身の男が猫背の男を指す。
ミオンの顔に、益々絶望の色が濃くなり始めた。
「……とはいえ、さすがに同時に相手するってなったら面倒だ。ここでテメェは始末させてもらうぜ」
男はナイフを取り出し、ミオンの胴にそれを突き入れる。
しかし何かが割れる音が響いたと思えば、ナイフは彼女の皮膚に触れた瞬間に止まってしまった。
「そうだったなぁ、鬱陶しい保護があるんだった。まあ、これでもうテメェを守る物はなくなったが」
「……っ」
ミオンの手首から砕けたブレスレットが地面に落ちる。
同時に、彼女の目から雫が落ちた。
屈辱、無念、恐怖、それらが入り混じり、強くありたいという彼女のダムが決壊する。
「んじゃ、今度こそ……!」
今一度振りかぶられたナイフが、再びミオンを襲う。
細身の男は自身の手に伝わってくるであろう肉を貫く感覚を想像し、笑みを深めた。
けれど、その感覚はいつまで経っても訪れない。
彼のナイフは、空振りしていた。
「————間に合ったか」
目を閉じていたミオンは、首にかかっていた負荷が消えたこと、そして自分のすぐ側から聞こえた声に、恐る恐る瞼を開く。
彼女の目の前には、自分とパーティを組んだ支援職の男の顔があった。
彼に抱きかかえられていると理解した時、ようやくミオンの頭は正しく回り始める。
「あ、あんた……! 何で……」
「俺たちはパーティだ。助け合って当然だろう」
彼女を救い出した男――――エルデは、一切敵から目を離さず、そう言い放った。