012:恩恵
「今日は招いてくれてありがとう。夕食、美味しかったよ」
「いいのよ。それより……その、不快な思いをさせて悪かったわ」
「もういいさ。彼女がどんな子なのかはボクも知っているし」
三人での祝勝会が終わり、外はすっかりと日が暮れていた。
帰ることになった俺とレイラは屋敷の敷地内から外へ出て、ミオンはそんな俺たちの前で少し気まずそうにしている。
やはりシオンの一件が尾を引いているようだ。
「あとそれと……エルも、あの時止めてくれてありがとう。全部台無しになるところだったわ」
「せっかく共に合格できたんだ。つまらないことで取り消しになるなんて馬鹿らしいだろう?」
「ええ、その通りね。……私、もっと強くなるわ。あの子の侮辱で心を乱されないくらいに」
ミオンは意を決したように顔を上げた。
この様子ならしばらくは大丈夫だろう。
それにしても、あの女はよくもまああれだけの悪意を持てるものだ。
他人を落とすことに何の抵抗も持たず、むしろ嬉々としてそれを実行する。
殺し屋を雇っていても何ら不思議がないと思わされたことに驚いた。
「じゃあ、そろそろ行こうか。エルくん」
「ん? あ、ああ。そうだな」
「それじゃあミオン、今度は学園で」
ミオンに別れを告げ、俺はレイラと共に彼女の屋敷を離れる。
誰かとこうして肩を並べて歩くのは久しぶりだ。
ふと、魔界に置いてきた一番の部下であるルミアを思い出す。
人間界へ潜入してからすでに一か月近く経過しているが、元気にしているだろうか――――。
「エルくん、私からも改めて礼を言わせてほしい」
「何がだ?」
「シオンの件さ。あの時面と向かって言い返してくれて、少しすっきりしたよ。ボクは……上手く言い返すことができなかった」
「……俺は言い換えただけだ」
「え?」
「何の根拠もない言葉を、彼女が都合よく解釈してくれるように言い換えた。あたかも確信を持っているかのようにな。お前たちが入学後にシオンを越えられるなんて確証はどこにもない」
ミオンもレイラも、磨けば光る原石だ。
しかしそれはシオンも同じ。
割れないように、上手く磨けた者だけが輝くことができる。
これが一番難しい。
「まあ、どういう形であれ……レイラとミオンが勝ってくれることを望むが」
「ふふっ、それだとまるで自分はもうシオンに勝っているみたいな言い方だね」
「……そんなことはない」
しまったな、少し上から目線になり過ぎていたか。
部下を率いる立場であるが故に、こういった態度を取りがちになってしまう。
またこれも反省だ。
「同世代の中では、シオンは間違いなく優秀な子だ。どのみちいつかは越えなきゃいけない。それなら……できるだけ早いうちがいいよね」
レイラは大きく伸びをすると、自分の両頬を掌で叩いた。
軽い音が響き、彼女は口から大きく息を吐く。
「不安なんて感じている場合じゃないよね。ボクは絶対に勇者になるんだ。こんなところじゃ負けられないよ」
「その意気だ」
「一緒に勇者になろうね、エルくん」
俺の前に回り込んだレイラは、今までにない笑顔を俺へと向ける。
この少女と共にいると、やはり少しだけ心が痛い。
俺がそんな風に思っているだなんて夢にも思っていないのだろう。
レイラはくるりと身を翻し、俺に背を向けた。
「じゃあ、エルくんもまた学園で」
「送っていかなくて大丈夫か?」
「舐めないでおくれよ。これから勇者を目指すのに、そんな甘えは見せられないさ」
「そうか。……レイラ、手を出してくれないか?」
「え? こうかい?」
俺は彼女が差し出してくれた手を掴み、少しだけ引き寄せる。
そして手の甲に指を置き、ゆっくりと円を描いた。
「ひゃっ! な、何をしたんだい⁉」
「俺の村にあった"まじない"だ。不幸を跳ね返してくれる効果がある」
「そうなんだ……いきなりだったからびっくりしたよ」
俺が離せば、レイラはどこか照れた様子で手を引っ込める。
あまり男が不用意に触れない方がよかったかもしれない。
ただ、これで念のための行動は完了した。
「じゃあ、また学園で」
「う、うん……学園で」
俺とレイラは別々の方向へと歩き出す。
さて、ひとまずはブラウンの屋敷へと帰らなければならない。
この日からおよそ一週間後、俺の学園生活はようやく始まることになる。
♦
「くくく……いいように言われちゃったねぇ、シオン?」
「うるさいですよ」
自室へと戻ったシオンは、苛立った様子で椅子に腰掛ける。
そんな彼女の対面に位置するベッドに、一人の青年が座っていた。
彼は真っ白な生地の中心に複雑な紋章の書かれた服を着ており、腰には剣を携えている。
そして顔には不敵な笑みを浮かべていた。
「あの男……平民の癖して私に楯突くなんて、どれだけの愚行か理解しているのでしょうか」
「平民がそんなこと理解しているわけないじゃないか。君だって分かっているだろう? 彼らが君たちにとって家畜も同然ってことをさ」
「……そうですね。でも、家畜だとしても粗相をしたらちゃんとお仕置きをしないと」
シオンは机の側にある棚から何かを取り出すと、それを持って青年の前へと移動した。
そして彼の前に、取り出した何かを放り投げる。
それは金貨の詰まった袋だった。
青年は袋を手に取って中身を確認すると、目を細めてシオンを見る。
「これは?」
「分かっているでしょう? 処理をお願いします」
「相手はあの平民くんでいいのかな」
「それくらい言わずとも分かってください。あの男にしかるべき罰を。手段は問いません」
「ふーん、まあいいけど」
青年はベッドから下りると、シオンの目の前で受け取った金貨の袋を揺らして見せた。
「これっぽっちじゃ大した奴は雇えないよ? 僕らが抱える殺し屋たちは皆優秀だ。だけどそれはギャラだって高くなるってこと。いくら君が貴族と言っても、家の財産を好きなように使えるわけじゃないでしょ?」
「優秀? ふざけないでください。ならばなぜお姉様は生きているの? 今あなたが持っている額よりもよっぽど高い値段で動いてもらったはずです。話がおかしいと思いませんか?」
「あー、んー……それは一本取られたな」
苦笑を浮かべ、青年は頭を掻く。
そして持っていた金貨をシオンの手の上に戻した。
「仕方ないね。依頼通りの仕事ができなかったのはこっちのミス。お詫びと言っては何だけど、今回はタダでいいよ」
「……気味が悪いですね。あなたが金銭を要求しないだなんて」
「役立たずを斡旋した僕らに非があるんだから、これも当然のアフターケアさ。で、お姉さんの方はもういいの? なんだったらまとめて処理してもらうこともできるけど」
「いえ、今回はあの平民だけで。お姉様は……私の手で潰します」
「ふーん。じゃあこっちで手続きしておくね。それと――――いつものアレはどうする?」
「……お願いします」
シオンの答えに、青年は再び笑みを浮かべる。
そして彼女の肩に手をかけ、そのままベッドに押し倒した。
「もしかしてハマっちゃった?」
「まさか。私の今後のためですよ」
「へぇ……まあ何でもいいや」
青年はシオンの服を手慣れた手つきで脱がした。
部屋の中に肌と肌が擦れる音が響く。
そうして長い時間が経ち、その行為は互いが果てたことで終わりを迎えた。
「これで君も"神の使徒"の恩恵を賜る。これからの君の成功は、僕らが保障してあげるからね」
「エドラ……様」
「今は疲れただろう、ゆっくり眠りな」
エドラと呼ばれた青年は、そっとシオンの頭を撫でる。
疲労のせいか、そうされているうちに彼女の意識はゆっくりと夢の世界へと落ちて行った。
そうして完全に眠りに落ちた頃、エドラは彼女のベッドから立ち上がる。
ふわりと風が舞った。
そしてカーテンが大きくはためいたかと思えば、部屋の中からシオン以外の気配が消える。
窓からは、美しい月の光が差し込んでいた。




