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リレー小説企画8

作者: 小谷杏子

リレー小説企画にお誘いいただきありがとうございました。やれることはやったつもりですが、文字数が多くなりました。すみません。あとはよろしく頼みます。

 休み明けの学校だろうと平日だろうと教室は大抵いつも賑やかで、数学の時間にクラスの連中が雑談で盛り上がり、教師から怒鳴られた以外は平穏な一日だった。僕も平面上では普段通りを装っているが、内心は穏やかではない。

 優美に話しかけるタイミングがわからない。思えば花見に誘う以外では優美から話しかけられていたし、僕の性格上、授業の合間の休憩時間にわざわざ話しかけるほどのフットワークはない。

 英語の授業中。教師が読み上げる英語を耳で聞き流しながら、僕は自然と優美の席を見た。僕から二個斜め前の席。

 昼休みにでも話しかけてみるか……と、彼女の髪から飛び出した耳を見つめる。すると、なぜか優美はちらりと振り返った。口元で小さく笑いかけられ、僕はすぐに目をそらした。意味不明な焦りと熱がブワッと体に回り、同時に彼女を意識していることに気づいてしまい、今度は天井を見上げてため息をついてしまう。

 なんだろう。僕と彼女はなんだか見えない何かで通じ合っているような。そんな錯覚をしてしまう。気分が浮ついてしまう。目が合っただけで、ちょっと嬉しいと感じている。おかしいな、本当に。


「結城、集中しなさーい」


 英語教師がズバッと名指しし、クラスメイトがクスクス笑う中、僕はふてぶてしく「すいません」と呟いた。


 ***


 外は雨がないものの曇り空で、重たい灰色だった。教室は蛍光灯の光が強く感じられる。

 念願の昼休みの時間。教室は授業中よりもさらに活気があり、みんな思い思いに自由に昼食をとっている。僕はまず食堂に行こうと席を立ちかけた。

 優美に話しかけるのはそのあとにして……と思っていたら目の前に誰かが立ちふさがった。優美だ。


「ねっ。もしかして、私に何か話したいことがあるんでしょう?」

「なんでわかった?」

「わかるよー。だって、清春ってば、熱っぽく私のこと見てたじゃない?」

「いや、あれは……」

「先生に怒られるくらい、私に見とれてたくせに」


 その言い方はやめろ。誤解だ。


「歯切れが悪い。ふふふっ。当たりだ」


 憎めない笑顔を見せられると否定するのが億劫になり、ため息をついて弁明を諦めた。

 なんにせよ、そっちからきてもらえるなら都合がいい。


「ちょっと、話があるんだ」

「うんうん。なんの話ー?」

「ここじゃなんだから、ちょっとこっち来て」


 優美の脇をすり抜けて廊下へ誘った。まばらにいる生徒たちの中に溶け込むように窓際まで行く。ここからだと、学校の周りに植わっている桜が上から見下ろせ、薄く色づいたてっぺんに緑の若葉があった。麗らかな葉桜も曇り空の下では色がくすんで見えてしまう。


「で、話って?」


 優美がせっかちに聞いた。僕は「うーん」と唸り、言葉を考える。もったいつけるつもりはなかったが、そう見えてしまったようで彼女の眉が困ったように曲がった。


「もう、なに?」

「君のことを思い出したら、僕たちの関係を教えてくれるって話だったよね」

「うん。そうだよ」

「思い出したんだ」


 正直、今はふんわりとしか彼女との記憶は感じられない。曖昧な夢を信じ、それだけを頼りに。そして信憑性を持たせようと強く言ってみる。すると、彼女の口がぽかんと開いた。


「ほ、ほんとに?」

「あぁ、本当に……」


 答えると、優美は明るげに頰を紅潮させた。そして、僕の袖をぎゅっと握った。謎めいた彼女の年相応な少女らしい一面に驚いてしまい、それがなんだか気恥ずかしくて変な気分だ。

 どうしよう。罪悪感も巡ってくる。でも、やると決めたからにはこれくらい賭けてみてもいいんじゃないか。彼女を試してみよう。うまく口を滑らせてくれたらいいんだけど。


「どんな? どんなことを思い出したの?」

「あ、えーっと……さ、桜を」


 言いながら窓へ目を向ける。湿った桜が目に留まり、視線をそのままに言った。


「桜を、二人で見たこと。君が僕に手を振って。断片的なことしか、今はまだ」


 なんとなく気まずく思うのは、僕がよこしまな思いで打ち明けているからだろう。言いながら自分で落ち込んでしまった。ちらりと彼女を見やれれば、優美もまた寂しげに苦笑した。


「そっか……なーんだ。まだまだだね。期待して損しちゃった」

「えっ?」

「てっきり、全部思い出してくれたんだと思ってテンション上がっちゃったよ。もう、清春ってば、そういうところも変わらないね」


 そういうところ?

 訝っていると、彼女は僕から少し離れた。後ろ手を組んで一歩ずつ下がる。こてんと小首を傾げて上目遣いに見た。


「ほら、私のことを思い出すまで秘密って言ったでしょ? だから、私の口を滑らそうっていう作戦だった。でも、結局嘘がつけなくて、グダグダになっちゃった」


「違う?」とでも言うように彼女は口角を上げた。その仕草に罪悪感がさらに増してしまい、言葉に詰まる。

 参ったな。こちらの意図が全部読まれている。


「そういう小賢しいところも相変わらずだね。残念だけど、私は清春のことならなんでもお見通しなんだよ? その手には乗りません」

「……それさ、フェアじゃないよね」


 思わず言うと、彼女は「ん?」と素っ頓狂に口をすぼめた。


「だって、僕は何も覚えてないんだ。でも、君は僕のことを知っている。僕は僕だって、自分のことをいまいちよくわかってない」


 ヒントも何もないまま、やみくもに答えを探すのはただただつまらないもので、焦燥を煽るだけだ。テストの答えでさえ教科書に載っているのに、僕の場合はそれが一切ない。あてにならない夢をたどるしかない。

 彼女と過ごすうち「思い出したい」と願うようになった。「知りたい」と強く思った。それまで色のない日々を過ごしてきた僕にとって、この状況は紛れもなく青春の一ページであり、忘れていた感情を蘇らせてくれた。

 だから教えてくれよ、僕のこと。そして、君のことを。


「思い出したいから、思い出させてほしい」


 言葉は多分、今まで以上にぶっきらぼうだろう。でも、回りくどく小賢しい真似をするよりも、こちらの方がはるかにシンプルで効率がいいことに気がついた。

 一方、優美はそれまで湛えていた余裕の笑みを崩し、すっと姿勢を正して僕を見つめた。真剣な目だった。


「そう、だよね。ごめん。清春が忘れちゃってるから、つい試すようなことして。確かに、ヒントもなしに『思い出せ』って言うほうが無理な話だったかも」


 彼女の顔には色がない。言葉は淡々としていて、平坦で、なんだかそれは感情を強く押さえつけているかのように見えた。


「優美?」

「……本当はね、私のことだけはすぐに思い出してくれるって思ってたんだ」


 ぽそっと呟かれた言葉は、聞き取りにくいものだった。でも、そう言っているようだった。口元が震えている。

 なんだか空気が重くなり、周囲の賑やかしい音がかき消えた。僕と彼女だけの空間に思える。目が離せない。


「優美……言いたいことがあるなら、もっとはっきり言ってくれないか」


 一歩近づくと、彼女もまた一歩下がった。徐々に教室の壁まで追い詰めていき、やがて彼女は降参したように両手を挙げた。


「じゃあ、一つだけ」


 ようやく、その固い口が解かれる。彼女の艶やかな唇が小さく動いた。


「私たちはね、小さい頃からの知り合いなの。幼馴染っていうのかな。もともと親同士が仲良くて、家は遠かったんだけど、定期的にお互い行き来してたの」


 僕の知らない過去が紡がれる。それは奇妙であり、不気味であり、愛おしくもあり、よくわからない感情の欠片だった。それが胸の奥へ落ちていくと、それまでがらんどうだった体の中がじんわり温まる。同時に、恐ろしくもある。


「そうだったんだ……」


 あぁ、どうしよう。そんな思い出は頭の中に残っていない。アルバムの中の写真をごっそりと抜き取られたかのようだ。

 自分の状況がいかに危うく儚いものかわかった。両親を喪い、記憶もあやふやで、悲しみもとっくに空っぽになっていて、まるで平気な顔して綱渡りするような不安定な中で生きている。無意識にごくりと唾を飲んだ。


「まぁ、でも、清春が私のことを真剣に思ってくれているのは伝わったよ」


 壁に背を預けて、優美はそれまでの鬱を払拭するように笑った。そして、いたずらに声を低くさせて言う。


「だからさ、私にちょっとでも悪いって思うんなら、早く思い出してね。私たちの『秘密』を」


 頰をふくらませ、その表情がやはり憎めない。心はあったかいのにズクンと重い痛みが走った。そんな僕に構わず、彼女は横へずれて離れていく。

 その際、優美の瞳がわずかに潤んでいるのが目に入った。

 涙。どうして。

 いや、答えは明白だ。僕は彼女に無神経なことをしている。幼馴染で、家族同士で交流もあって、きっと毎年会いに行っていた。そして、紛れもなく僕は――少なくとも一年前までの僕は、彼女のことをとても好きだった。彼女も、特別に思ってくれているのは伝わる。

 でも、彼女の言う「秘密」も涙の本当の意味も理解できない。記憶がないから。事実を突きつけられても、結局は他人事のように思えてしまい、それがとても不快で気持ち悪い。


「おーい、清春? 清春ってばー。おーい」


 ぼうっとしている僕の後ろから声が聞こえてくる。首筋に衝撃を与えられるまで、そいつの登場に気が付きもしなかった。ビシッと手刀を入れられ、痛むうなじを抑えて振り返る。


「なんだよ、柊翔」

「なんだよ、じゃねーよ。ぼうっとしやがって」


 いつものふざけた調子で来られても、うまく反応ができない。その様子をすぐに感じ取ったのか、彼はふざけた表情を一気に曇らせた。


「どうした?」

「あ、いや……」

「なに? 櫻井さんと喧嘩した? ダメだよー、女の子は優しく丁重に扱わないと嫌われるぜ」

「あぁ、そうだな」

「うっそ。マジで喧嘩したのかよー。おいおい。何やってんだよ、お前は」


 僕は眉間をつまんで肩を落とした。面倒だ。でも、このややこしい状況を説明しなければ、こいつの誤解は解けないまま。

 口を開きかける。しかし、柊翔に遮られた。


「なぁ、清春。もうちょい俺のこと頼ってくれよ」

「え?」


 思わぬ言葉に、両目を瞬かせた。すると、柊翔もこそばゆいのか、ぎこちなく笑う。


「いや、だから。お前はずっと頭ん中でモヤモヤ考え込むだろ。そういうの溜め込むのよくないと思いまーす。なんつって」


 やっぱりふざけてしまうらしい。でも、それくらいの距離感がちょうどいい。


「うるさいよ。悩んでないし」

「いやいや、そこは素直になろう。今なら、女子との付き合い方のあれこれをお教えしますぜ、旦那」


 変に芝居がかったように柊翔は僕の肩にもたれた。のしかかる腕を払いのけてやる。すると、柊翔は歯を見せて笑って軽く前へ飛んだ。


「あと、真面目な話。そろそろ教えろよな、櫻井さんとの関係を」

「……なんでそこまで気にするんだよ?」

「そりゃ、気になるだろうが。それにお前に彼女ができたら、お祝いしないとな。全力で拡散してやる」

「はぁ、馬鹿らし」


 冷やかしのネタにされては堪ったものじゃない。しかも、あんな重たい案件をおいそれとべらべら喋れるかっての。

 どこまでも調子がいい柊翔に構うことなく、食堂へ行こうと足を踏み出す。

 その時、脳の奥が軋んだ。


「……?」


 鈍痛の波がくる。咄嗟に額を抑えて立ち止まった。


『やっとだね。来年の春から、私たち――』


 桜の下で彼女と会う。その映像は記憶に新しい。でも古く褪せたもの。

 高速で写真がめくられていくような感覚で、その背景には桜と両親。そして、逆光で見えない少女。その場所はとても幸福に包まれていて――僕は、彼女に会いに行ったんだ。優美との「再会」を喜んで、そのあとの事故。そうだ。事故だ。

 瞬間、映像は揺れ動いて、違うシーンを呼び覚ます。大きな音。衝撃。冷たくなって動かない人。人。人。

 そこで記憶の波がストップする。


「清春?」


 僕は、これまでの色々な記憶に蓋をした。幸福も、恐怖も何もかも忘れてしまいたかったから――


「おい、清春」


 声をかけられ、ハッと顔を上げる。心配そうな柊翔の顔が近くにあり、僕はすぐに顔を背けた。


「今度はどうした。具合でも悪いのか?」


 あからさまな態度を見せてしまい、逃げることは不可能だった。だから、ごまかすしかない。


「なんでもない」


 こめかみに伝う冷や汗を拭って、無理矢理に口角を上げる。柊翔はまだ怪しむようだったが、それからはあまり詮索をしないでくれた。

 食堂への道がやけに遠い。僕は柊翔に気づかれないよう、一つ深呼吸した。

 今のは、夢とは違う。明らかに記憶を思い出しかけたものだった。でも、すぐにブレーキがかかって、肝心なところは見えなかった。

 多分、優美との記憶は幸福なものだったんだろう。それまでの時間も、今とは考えられないほど穏やかで優しかった。あの冷たさを知るまでは能天気に平凡に過ごしていた。みんなと変わらない青春を過ごせると信じて疑わなかった。

 優美のことを思い出す。それは、きっと僕のこれまでの時間を思い出すことであり、その最終地点にはあの凄惨な場面にたどり着く。それでも、僕は優美を思い出したい。

 僕に残されたものは、彼女だけなんだろうから。

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