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8話(Candy)


 愛は帰路を急ぎたくはなかった。時計は夜9時をまわっている。ビルを出たものの、道先を失っていた。帰りたくない、こんな後味のまま帰ってしまっては。帰る前に一目だけでいい、彼に、と――。

 レンに会いたいと。


 ……


 ……数台しか停まってはいない車の駐車場の横舗道をフェンス伝いに歩き、電柱に汚く立てかけられた看板の前を愛は通りすぎる。雑居ビルや、閉店シャッターの下ろされた商店と商店の間の路地を頭ぼんやりと、また、気持ちゆっくりと……そして暗闇に怯えるようにも歩いていた。

 駅へと向かっているようで、いっそ違う道を歩いてしまいたかった。そんな愛を、明るく楽しげな光が騒がしく迎えてくれている。ゲーセン……ゲームセンターの照明だった。「……」

 店内は眩しいほど明るかった。明るさが、ライブ前の時よりいっそう増している。レンにお茶をおごってもらった場所。だが、愛は彼がレンだと正体に気がつかなかった。思い出すたびに顔を赤らめ、焦りが生まれる愛。――恥ずかしい。

 愛は店内に入る。

 UFOキャッチャーやプリクラ機が幾台も並び、小さな段差を踏んだすぐ奥はカウンターと、テーブル型やレーシングなどの固定型の筐体、ダンスや太鼓ができるアーケードゲームなどが詰まって設置され、男がパラパラとまばらに数人ほどがいた。ゲームの音や店内に流れる最新ポップの曲だけで、人声もなく落ち着けるようだった。昔は兄や友達とよく来て遊んだことのあるゲーセンという場。大きくなってからはプリクラ程度で、もうほとんど来る機会がなくなっていた。懐かしくもあり、新鮮でもある気がしていた。久しぶりに何かひとつくらい遊んでみようかと、急に愛は思いたつ。

「あ……」

 ちょうど愛の視界に入ってきたのは、丸い半球型のケースに入ったクレーンゲームである。お菓子をなかで掴んで落とし、ゲットする、それだけのゲーム。お菓子を取ってくれるクレーンをボタンで操作し、その押すタイミングさを要求されるものだった。景品は、お菓子、駄菓子。ほとんどはガムか飴――キャンディ。見ると、ガムの入った小箱は積み重ねられ塔を作り、少しの衝撃でも加えられたらすぐに崩れるようになっている。崩れたら難なくお菓子は受け取り口へと滑り込まれ手に入るのだった。こうやって仕掛けておいてお客を呼ぶのだ。さあ、取ってみて下さいと、挑戦的でもある。

「ようし」

 愛はそれにのる。財布から硬貨を取り出し、数回分を投げ入れた。

 クレーンが動き出すと、愛は回転してまわってくるキャンディの集団めがけてボタンを押すが、スイ、とクレーンは空をかき……始めは上手くはいかず、2・3個しかすくえなかったのだった。ガムの箱の塔はビクとも動きはしない。「ムムム」

 苦い顔をして再挑戦をする。何とかコツを掴もうと、愛はゲームに没頭していた。


 ……自分の向かいのプレイゾーンに人が来たとも知らずに。


 黒のジーンズ、シルバーの骸骨が装飾された黒のキャップ帽を被って、シルバーのピアスを着けている。上下の上だけを黒地のTシャツに着替えた『彼』は、たった一回だけのゲームプレイで見事に景品のお菓子を多量に手に入れていた。彼は景品を取り出すと愛の元へと寄る。愛が「え?」と、やっと存在に気がつき男の顔を見ようとする前に。

 彼は愛の手を掴んで手の平の上に――。今、自分が手に入れたばかりの景品をのせたのだった。「あげる」

 そして足早に去る。愛の反応など無視をして。いや、無反応に近かった愛が悪かったのかもしれなかった。彼は店の出口から出て行かず、手前の、地下へと続いている階段を下り始めていた。


「レン!」


 愛は追いかけた。突然、愛の体の、作動スイッチが入ったのだった。止まりかけた愛のなかの全てのものが動き出して……待って、立ち止まってと乞い願った。階段を折り返して下りようとしていた彼の足元に、バラ、バラ、……と、愛が落としたキャンディたちが愛より先にと追いついて、ばら撒かれていった。


 レンは立ち止まる。段上を見上げる。段上では、立ち尽くした愛がレンを見ていた。既視感……では、ない。ライブの時にも一瞬だけ見つめ合った2人。確かに、あの時に。真正面から視線と視線がぶつかり合っていた。

「待って……」

 やっと絞り出せた声。それが精一杯だった。今度こそはレンに気がつくことができたのだ。もうあんな盲目な馬鹿ではないのよ、と、汚名返上の思いも含まれていた。レンは何も言わない。半身だけ振り返っていた状態で、キャップに隠されそうな目で愛を睨むように見ると……


 キャンディを拾い上げる。集めて、愛の元へ。

 愛が手を受け皿にして受け取ると、一個だけ、レンはキャンディをヒョイと摘み上げた。

「一個もらい」

 包みを開け、キャンディをポイと口へ。それを美味しそうに食べていた。「あなたには驚かされてばかりね……ライブ、凄く感動した……」

 愛は話しかけた。レンにこれといった反応は見られなかった。レンは、「フウン。そう」と適当に相づちを打っただけだった。愛は話し続けている。

「素晴らしい歌、素晴らしい演奏、声、演出……お金なんてかけなくても、充分に私は満足だった。ありがとう、レン。……でも」

 愛の興奮は、次のひと言から沈んでいく。「あなたのパーティーをもっと楽しみたかった……」


 パーティー。仮面舞踏会。社交場。上っ面。表面。人生。

 バンド『SAKURA』の……レンの、解散ライブ。パーティーは『終わり』だ……

「光栄だね。それだけだ」

 レンの反応は冷たいものだった。ああ、やっぱり……と愛は心の(きし)む音がした。実際の彼は、(ひね)くれているのだ。これはきっと――。

「……『Candy』の せいね。あなたは逃げてしまう……“臆病”の方の」

 愛がそう言った時、レンは少し驚いていた。しかし、すぐに調子を取り戻して、だが、嫌な顔をする。

「へえ……? あんた、そこまで知ってたんだ単語の意味。驚いた……たかがファンなんてノリだけだと思ってたのに」

 愛の言葉など聞いていないかのように振る舞っている。愛は思いのたけをぶつけ始めていた。

「あの歌は素晴らしかった。ひとつの単語に色んな意味が込められていて」

 走り出す口は止まらなかった。

「あんな技巧的で繊細で、切なく訴えかける歌……私はほんと神を見たのかとさえ思ったの。あなたはうわべでは捻くれていても、中身はとても臆病者なんだわ。何となくだけど私には歌詞の意味が分かっ……」

 ダンッ。硬い石を叩く音が響いた。愛の身体は、壁に押し付けられてしまっていた。「……!」愛は衝撃に耐える。 レンは愛を睨んでいて、そうやって怒りを(あらわ)にしたレンは、激しく鋭く愛の瞳を見つめ射抜き、金縛せていた。珍しくも感情的になったレンだったが……だがすぐに治まっていったようだった。

「ハハハハハ!」

 違って、愛に一笑をくれてやっている。まだ愛の身体はレンに捕らわれたままだった。

「俺が臆病だとか、歌が技巧的だとか、神は……ハッ、ま、いいとして……馬鹿だなあんたも」

 愛を今度は軽く睨んでいるらしかった。

「あれはパクリ。元歌があ・ん・の」

「!」

 愛の目は見開かれていき、とても信じられないと背筋が凍っている。

 ――裏切り。レンの言葉が違う形となって愛に突き刺さっている。

「……いいことを教えてやるよ。人は偽る、嘘をつく……よくても悪くても、嘘をつく。人生という社会は、仮面を被る、綺麗ごとを言う、お客はだまされる。俺もあんたも……上っ面の社会というパーティーに参加してる訳だ、わかるか」

 レンは愛を激しく憎しみで見ている。恐らくは、愛を嫌悪しているのではないだろう。彼が憎悪を抱く相手とは。

「楽しく自己満足に優越に生きたいのなら、知らないふりをするんだな」

 知りたくもない世界だったのだろう……彼がプロへの扉を開いた時に見たもの、現実、それが。

 臆病で、繊細な彼を窮地に立たせたのだ。スポットライトの当たるプロの華やかな舞台を前にしながら――彼は、見たくもないものに触れたに違いない。だから、捻くれたのだった。夢は、綺麗だったのに、……ベルは――


 夢を、諦めますか。現実を、受け入れますか。


 彼は混沌とし、ぐるぐると廻って自問自答をする。抜け出せない泥の沼に()かっているかのようだった。迷い、恐れ……だから臆病。愛はそんな彼が、とても可哀そうに見えて仕方がなかったのだ。できることなら、救い出してあげたいと思い――しかし愛には力がない、力のない自分にできることとは何なのか。この2本の腕でできる可能なこととは何なのかを――愛は、必死になって考えていた。

 やがて愛はレンに手を差し出し、引き寄せてレンを抱き締める。


 力の限り。

 自分の腕の中にいるのは男だった。ひとりの男である。肩書きなど関係がなかった。支えるものが必要で、今、とても必要で――助けを求めていたのだ。……救いを。

 愛は思う――ええ、私は知らなかった、だまされていた、だまされていると知りながらも、これからだってだまされているんだ。そう受け入れている。

 レン、あなたの主催するパーティーに、参加するの、参加したいの。だから連れてって。どうか私も連れてって。あなたの口のなかで溶けてしまったキャンディは、例えその姿形を失くしてしまったとしても、決して消えないから、……決して。

 甘い……

 甘い、口づけをあげるわ――




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