31話(旅行先)
I nothing but believed the Bell
僕はベルを信じた
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信州方面、日本の内陸部に位置する方面へと、レン及びメンバーは向かっている。東京から新幹線で1時間半弱、急な旅立ちを言い渡されたレンの不機嫌は、解消させるのが甚だ難しい。
駅から降り立ったメンバー4人は、改札口を抜けると、目一杯の空気を肺のなかに吸い込んだ。
彼らが訪れた地、県――本州の内陸中部であり、概ねが内陸性気候ではあるが、北や西に山脈が多く盆地の形状が見られる。例え同じ県内であっても日本海側や太平洋側、又は東に西と、気候の違いが著しく、冬となると冷え込みは寒暖の差もだが他の内陸部と比べると非常に厳しい地であると言えた。
一部地域は豪雪地帯であり、中部および南部は、関東・東海地方で雪を降らせる南岸低気圧が通過する際に大雪を降らせるため、「かみゆき」と呼ばれているという。
幸いか、来るのが急ではあっても真冬に訪れた訳ではないので自然的被害は被ることがなく、避暑地として観光にも声広いこの地で、メンバーは暫くを過ごす予定だった。
「じゃ、行きましょっか」
セイが案内役で声を掛けていた。
黒くジャージに近い服装で黒いキャップを深めに被り、スポーツバッグを肩に掛け直して行く方向を変えていた。向かおうとするのはバス停なのかタクシー乗り場なのか、レンたちには分かってはいない。「何処」「行くって」ジュンやシークがセイに詰め寄っている。
「歩くよ」
さらりと言ってのけたセイに、言い返す者はいなかった。
賑やかな市内を抜けると、人波は薄れていき、緑が増えて自然美が見えてくる。標高が高い山は天気に恵まれてよく映えて見えていた。
「いつまで歩くんだ?」
シークが口に出した。駅からかれこれ40分は経って、ずっと目的地が不明のまま歩いていた。せめて向かう先については説明しろとシークは目で無言で、先頭を歩くセイの背中に訴えている。
「高原に行くんだけどさ。天気がいいから歩こうかと思って」「はぁ?」
「まだ日が高いし。……疲れてきた?」
シークの動きが止まった。他の者も歩みが止まり、シークの方を見た。考えごとをしながらシークが、深いため息をついている。
「……便所」
頭を抑えながら、近くで見つけたコンビニの店内へと入っていった。
楽器等の大きな荷物は、手配して目的地に先に送られている。
手荷物とはいってもほとんど手ぶらに近い彼らだったが、セイとレンだけは肩からバッグを身に着けていた。新幹線のなかで昼食は済ませてきた彼らだったが、立ち寄ったコンビニでお菓子や飲料水を購入しようとレジに並んでいた。
まだ会計の済ませていないレンとジュンを待つ間、外でシークはセイを軽く睨む。
「そんな顔するな、シー(ク)」
少し苦笑いながらセイがペットボトルに入った水をひと口飲んでいた。
「事情を知っているせいか、わざとらしいーんだよ。時間稼ぎ」
「時間稼ぎ? 違う。のんびりしてほしーだけ。都会のゴミゴミした所じゃなくて田舎のユルイ自然のなかで」
セイの考え方ではそうらしい。シークは、てっきり渦中のレンに気がつかれなく目的地へと行こうとしているのだと思っていた。新幹線も指定席をとった。バスやタクシーではバンドを知っている者がもしかしたらいるかもしれないという慎重さからで、人からできるだけ避けてきたのだと思っていた。
「まさかこんな所に芸能人がいるとは思わないよ……たぶんね」
「慎重なのはいい。が、正直わざとらしいと、ムカつく」
「いいかシーク」
突然に、セイが真剣な顔になりシークの悪癖である口を黙らせていた。店の壁にもたれて2人が並んで立っている前を、買い物を済ませた客が過ぎ去って行き、数秒。汗ばんだシャツが背中に張りついているのを気持ち悪いと感じた時だった。
セイは重い口を開いた、シークに忠告をする。
「俺らの使命というか。レンには、今後も音楽活動を続けてもらいたい。だから、余計な喧騒には極力近づけさせない。それは解っているよな? シー」
シークは黙って頷いていた。
「俺だってね、何でレンにこんな肩入ればっかりするんだろうと何度も考えたことがある。社長も俺も……お前も」
また、シークは無言で頷いていた。
「そこが……」
セイは、シークではなく空を見上げている。あれは入道雲か、夏がこれからかと、においをも感じさせていた。そして開きかけた口は閉ざされず、目は、雲の彼方を見つけたいように遠くを。
「そこがレンの……歌声の……凄い所だから」
目を閉じても耳を塞いでも、聞こえてくる、声。もしレンではなかったのなら。
肩入れをする必要が無かったのだろう。それ程までにレンの歌唱力は人々を魅了し、世界へと引き込まれて行ってしまう。現実ではない違う世界、異世界。本当にあるのだとしたら、こんな身近にあるのだと。
だがそれを『危険』と判断する者も少なくはない。レンのことをとやかく責めつける者や団体――セイや彼らには、それら全てを撥ね退ける力があるのかどうか、果たして。「使命かよ?」
寡黙でいたシークから言葉が飛び出ていた。自嘲を込めていた。
「俺らでレンを守る……アーティストっていうのは誰でも敏感なんだ。特にレンみたいな堅物は。知ってるか? 堅い奴は脆い、強い衝撃だと一瞬で粉々だ。今、レンが例の週刊誌の『襲撃』を知ってしまったらどうなる? ……壊れてほしくは、ない。だからシー、一番危なっかしいお前に言っとく。
絶対にレンを傷つけるなよ。これはリーダーの俺と、社長命令だ」
話は、会計を済ませたレンが店から出てきて中断されていた。
恐らく敏感になっているのは、セイら周囲にも同じである。
コンビ二で買い物を終えた後、ジュンが棒アイスを咥えたまま話し掛けていた。
「まだ歩く? 遠い?」
「まだ数キロ。じゃあ、田舎の空気もそろそろと馴染んできたかなということで。迎えを呼んでみるか」
セイは言うと携帯電話を取り出して連絡を取り始めた、道中からでも口数の少ないレンは、ひと言だけを口にした。「……だるい」
サングラスにキャップ、あとは涼しい格好をしていたレンだったが、その心中は見た目からでは探れそうではない。
セイが電話を切ってから30分は経過しただろうか。見晴らしのいい道路を一台の白いワゴン車が、僅かな傾斜を駆けてセイ達が待つコンビ二のある、こちらへと向かって来た。見えた途端にセイが動き手を振っている。
「来た来た。『眠れぬ美女』が」
「眠れぬ美女?」
セイがポツリと言った言葉に聞き逃さずジュンが尋ねた。「そ。眠れぬ、ね。そっとしておいてあげて欲しい」セイは車が近づいてくるまで、残りメンバーの方を見なかった。
「何だそりゃ、夢遊病か?」
皮肉って言い出してきたのはシークだった。壁にもたれて怠そうに口元を歪ませていた。
「去年、恋人を失ったばかりなんだよ――おうい!」
呼びかけに答えてか車は、彼らメンバーの居る横へと着いた。そして運転席から登場したのは、女性――髪は腰辺りまで長く、水色のロングスカートを履き、飾り気のない白のシャツを着た、清楚さを固めたような女性だった。
「急なんでびっくりしたわ。いらっしゃいセイちゃん。元気してる?」
車から降りてきて迎えたセイのもとへ寄るなり、気さくに挨拶をしていた。微かな笑みはとても可憐で上品だった。
「うん、変わりないよ。そっちも?」
「私は……元気よ」
今度はしっかりと笑っていた。そしてセイの背後で佇んでいたメンバーの顔を見ては、同じく笑顔で挨拶を始めたのである。「初めまして。愛多勝湖といいます」
ただ1人、レンだけは目を逸らしていた。あとの2人は勝湖にそれぞれ返事をし、勝湖が「それじゃ行きましょう」と言い出してから、全員は「暑ー」などと吠えて車へと素早く乗り込み、出発した。コンビニは遠ざかり車は歩道の無い狭い車道を抜けて。
待ちに待った、というべきか。いよいよ目的地となる避難場所――避暑地へ、と、着く事ができた。