28話(結成)
俺は何者なのだろう。レンは自分に問いかけていた。
レンと理香を乗せて走る新幹線『のぞみ』は、待ち合わせた駅へと向かっていた。グリーン車指定席で約2時間35分ほどかかる道のりに、レンは退屈し窓枠に肘をついてまぶたを伏せていた。横で理香はセピアのサングラス越しに、組んだ美しい足の上に雑誌を広げて読んでいて、暇を潰していた。
シークには連絡を入れた、だが彼は電話には出なかったため、仕方なくレンを連れて理香は東京へと向かっていくことにした。乗車してから数十分後、理香の携帯電話にシークからの連絡が入る。着信から折り返しシークは理香に電話をかけたのだが、理香たちが既に大阪を離れているという事実に「早ええ」と驚き、追いかけますと返していた。
「……ってことは、決めたのね? これからどうするのかを……」
理香は嬉しそうに興奮しそうなのを堪えて冷静に、決断をしたシークを褒め称えていた。
「分かった。駅で待ってる」
隣では、目を閉じたままレンは話を……聞いていた。
……
レン……俺は何がしたかった? そんな疑問が自分にかかる。
前が判らなかった。いつも、頭のなかは迷いと不満だらけだ、いっぱいだった。自分が解らない、そういえば普通とは何なのだ、俺は、いつも変わり者と言われて。
自分のことが知りたくて心理学の本を読んでみても、解らない。本は俺を分析してくれようとしてくれるが、だからといってこの先俺がどうしたらよいのかを教えてくれそうでもない、本を開いた意味がない。……
俺はいいのか? 歌い続けていいのだろうか?
いいのか、いいのなら、歌う。俺の歌を聞いて感動してくれるなら――歌おう。それでいいか、満足か。……
レンというアーティストは、自分の内情を歌詞と譜に表し、歌った。
それが聴く者の胸を打ち、惹き込ませ、変える。
レンの信者は増え続けていく。
レンが存在、する限り。
……
シークが移住をし、拠点を関東に変えた後のことになる。
レンとシークは、優平と理香に事務所へと呼び出されていた。見渡せば都庁にも近く位置する高層ビルの一郭、理香に連れられ赴いたレンが、指定された部屋番号の部屋へと入ったときだった。
こじんまりとした広さで、ふかふかの2人掛けソファや仕事机くらいしかない簡素な部屋だったが、迎えていたのはシークや優平だけではなかった。
あと2人。
小柄でオレンジのパーカーを着た、カジュアルな服装だった幼げな男の子と、比べて全体がスタンダードな、大人しそうな男。対象的だった。
どちらも、レンを見るなり前へと1歩を踏み出した。
「初めまして。キー(ボード)担当の、セイです」
先にスタンダードの方の男が軽く頭を下げて挨拶していた。続けてカジュアルな方の少年は、会釈する。
「ども、ドラムのジュンです。よろしくぅ」
言ったあと、壁際にいたシークは、「で、俺がギター。よろしく」とだけ言った。
「何のことだ」
すぐさまレンが思ったことを口に出していた。それもそのはずで、レンは本日、呼び出された理由を聞かされてはいなかったが、どうせ次の新曲の打ち合わせか何かだろうと適当に思っていた。
「バンド」
レンの横で理香が教えてあげている、だが。「バンド……?」
自然な髪を、レンは掻いた。少し混乱していた。
「レンを入れて、4人。これで揃ったわね、新メンバー、新バンド発足。おめでとう」
にこにこと笑い、理香は祝いの言葉を並べ立てている。レンが、机の傍でこちらの様子を窺っていた優平に顔を向けたとき、優平は軽く頷いていた、そして言う。
「ま、これで飯でも食ってこい」
そう言いながら、優平はスーツの内ポケットから財布を取り出し、万札1枚を一番近くにいたセイに渡していた。
「仲良くやっていこう」
「うん。楽しくやろうね♪」
セイとジュンは、明るくレンに話しかけていた。
(仲良く? 楽しく?)
レンには随分と納得がいかなかった。
レンは思った。俺は、ひとりでいいのに、と。
何も頼んだわけではない、仲間など求めてはいない、優平や理香、いや、社長である龍平の提案なのかもしれなかった。一体どういうつもりなのか、バンドなど。
レンはずっと黙っていた。
「それじゃ、午後から打ち合わせを始めるから、それまでには戻ってこいよ」
優平に言われて、メンバー4人は事務所から外へ出た。時刻はまだ正午前、ジュンのお腹がきゅるると鳴っていた。「早く行こうよ」「何処に」「うーんと。並ばなくてもいいラーメン屋」
じゃあ繁華街か、とセイに笑われて歩き出していた。
最寄りの駅までに、桜が咲き始めた並木道をメンバーは通る。気温は春先らしい温かさ上々で、道沿いに重なった木々の影は奥まで続き、散歩コースにはもってこいの穏やかな道だった。
桜の根元では添うようにタンポポやオオイヌノフグリが小さく点々と咲いている。陽気な風は、道行く人々に優しく吹きかけていた。
ジュンだけが、弾みながら歩いていた。ぶらぶらと並んで歩いているメンバーの前に出て、ジュンは目をきらきらとさせて意見を出していた。
「ね。僕らの名前、サクラにしない?」
ザワ。……
そのとき、サッとひと吹きの、桜の花弁を交ぜた心地のよい風がメンバーの肌をくすぐった。まだ地面には花弁がそんなに落ちてはいない。咲き始めて、間もない――
ジュンの、日向に輝く髪が、揺れていた。
「サクラぁ?」
と、場にそぐわない声を上げたのはシークだった。
「だって今の僕らにぴったり」
懸命に自分の意見を通そうとジュンが、少し口を尖らせていた。
「桜の咲き始めた頃だってことでさ♪」
バンドの名前――サクラ――桜の咲き始めた頃と――僕ら。
簡単な式は、妙な説得力を生み出していた。「ありきたり」尚もシークは文句をつけている。
「皆に覚えやすくて親しみやすくて、馴染みもあるし。いいんじゃないかな」
ジュンを援護するように、セイがフォローに回った。
「日本人だしー」
調子にのったジュンは、その場で回る。だが、ジュンの何気ないひと言は、ある男の心中に深い楔を打ち込んでいた。それに答えるかのように、男の口からは温度違いの言葉が飛び出してしまった。
「俺は日本人じゃない」
――。
全員の動きがピタリと止まった。空気が凍てつく。
外に出てから今まで黙っていてメンバーの会話を聞いていたレンが、初めて口にした言葉。それは、とても重かった。
さらに、横槍かと思えるほどの言葉が被る。
「日本語しゃべってる」
擦れた声だった。シークだった。
敏感に反応して、レンはきつい顔をする。弓の弦が張り詰めたような緊張感が漂っていった。
「しゃべれるだけで、日本人なのか」……
もう、すぐ。並木道は終わる。
レンは問うのだ。
明日、場所を変えれば、人は変わるのか。
明日、名前を変えれば、俺は変わるのか。
環境を変えた所で、俺のなかの血が変わるわけではないし、背が伸びるわけではないし、瞳の色はライトブラウンとダークグリーンの間の淡褐色だ。よく見れば判るだろう。
俺は俺だ。――何も変わらない。
……
「あ、すみません」
打ち合わせを終えた後、ロビーで理香を待っていたレンの所にファンの1人が寄ってきていた。目を閉じて考えごとをしていたレンは、人が来る気配を感じるとまぶたを開けて、光と一緒に外を受け入れる。
「あの……葉上さん、ですよね?」
近寄ってきたのは理香よりも若く、春用の、爽やか軽めのフォーマルスーツを着た女性だった。手には丸めた紙の束、もう一方にはグッチのバッグを持っていた。首から提げたプラカードには、『仁取』と名前が提示してあった。事務所に出入りしている者であることは、間違いがない。
「だったら? 何か用?」
面倒臭く、レンはもたれていた背中をソファから起こした。座る頭上で女性は続けた。
「ファンなんです。2、3度、ここでお目にかけたことがあったんですが、なかなか勇気が出せず……。お疲れの所、申し訳ありません」
レンは聞いて、いっそう、不機嫌になってしまった。
(だったら、話しかけてくんな……)
口に出すことはなく、レンは無言だった。
「あのう、それで、もしよかったら。サインもらえたらな、と……」
段々と消え入りそうな音量で女性はレンに頼んでいた。ジロ、と女性を睨んだレンは、……聞いてやったという。
「何処に書く?」
ペンなどの書く物も、色紙も見当たらない。
「あ、そうですよね。す、すみません。少し、待っててもらえますか? そこの売店で買ってきます!」
女性は慌ててそう言ってすぐ、レンの返事も聞かずに去ってしまった。
行き違いになって戻ってきたのは理香だった。
「さ、お待たせね。行きましょ、レ・ン」
用を済ませた理香は清々しそうに腕を広げて羽を伸ばしていた。「ん? 何かあった?」
レンを迎えにきた理香が不思議そうに聞くと、「さあ。……行こ」とレンは、すっとぼけていた。
(俺に指図すんじゃねーよ。勝手に喜んでろよ……ばぁか)
悪態を心で吐いたレンは、理香とロビーを出た。この後に戻ってきたファンの女性はレンを見失い、非常にガッカリするだろうということは、レンには分かっていた。だが待つ気は、さらさらない。
(俺は俺だ。俺は……ひとりで充分だ)
深夜の高速道路のなかで、カーラジオのDJはリスナーからのハガキやFAXに書かれた内容を、役を演じながら読み上げていった。メールなどがまだ浸透していない時代、紙を通しての内容については、以前に渦中にあった話題や芸能人、著名人、歌手などに関する『噂』を立てて、大いに盛り上がっていた。
「……らしいんですけどね。でもどうやら、他にオファーがあったそうなんですよ」
「えー、そうなんですかぁ。でも蹴っちゃってんでしょお」
「やっぱり稼ぎどきに稼いでおかないとね。CMなり何なり」
「聞いた所によると、……」
信憑性は皆無だった。あくまでも『噂』だという意識が薄れて、時には論議を展開している。
本当に意味はあるのか、面白おかしく。
楽しければいいのだろう。今夜という現在に、乾杯する。
(素敵な夜なことで……これは、まるで)
高速を走る車はスピードを緩めることはなく、真っ直ぐに突き抜けていた。カーブに差しかかると、減速をし始め。窓に映った難しい表情のレンは、心の内で言いながら……笑った。
(さながら、パーティーだ)
見せかけの上っ面。社会。
社会が、『パーティー』。
そうして、レンの次の曲の構想が――決まっていった。