24話(変わり者)
レンは誰からも理解されなかった。
母親は福祉関係の仕事で忙しかったため家に普段はおらず、常時ヘルパーに家のことは任せていてレンは監視されて育つ。年いった中年女性ヘルパーはレンを部屋に閉じ込めたあと、リビングでテレビを見たり昼寝をしたりして寛いでいた。監視されているとは言ってもそれはレンにとっての煩わしさというだけで、例えば、部屋のドアに鍵をかけているわけではなく。家のなかは、自由に動き回ることができていた。しかし外へ出るにはリビングのなかを通らなければならなく、通ると、部屋で時間を過ごしているヘルパーの女性の目にとまって行き先などを聞かれるため、何処に行くのかを必ず告げてからでないといけなかったという。
それが例え家の庭でも、声をかけてからでなければ出られなかった。
限った友達ですらいないレンは別に、遠くまで遊びに行こうという欲求はなかった。内向的だったということもあり、もし出かけて迷子にでもなってしまったなら母親やヘルパーたちに迷惑がかかると考えていたのもあり、レンはたまにしか外へは出たがらなかった。
自らを閉鎖したなかでレンに語りかけてくるものはというと、本、オーディオ、窓から見える景色。それらは全てレンにだけに聞こえる情報や感性である。
窓からでは遠くに、麦畑の景色が広がっている。
(……誰か、僕の話を聞いて……)
人がそばにはいなかった。レンの話を理解するどころか聞いてくれる者さえいなかった。
不満は溜まり、独特や独創は……対象を求めて形成されていく……。
18歳で、レンは単身、日本へとやって来る。三富龍平は、成長した彼を育てる決意をしていた。専門家の的確な指導のもと定期的なトレーニングを行い、音楽の楽しさと厳しさを覚え、路上ライブをしてみたいと自分から言い出すまでのそれまでは、彼の心が清々しく解放されることは微塵もなかった。常に、何かに熟考し、思いにふけっている、悩みを抱えている、決断を迫られている、見えない何かに追われている。
そして誰にもその重い口を開くことはなく時間は坦々と過ぎていき、レンはその足枷を外せられないまま囚われの身になって、もはや数は増えて重くなっていった。
「レン、いいだろう、何でもやってみたらいいぞお」
『M.A.D.E.』の社長である龍平、それから副社長クラスで息子である高平たちはレンを取り囲み、活動を言い出すのを待ってましたと言わんばかりの構えで、大らかにそれ行けゴーとサインを出していた。普通なら立場は逆で、活動・宣伝などの方針は会社側が決定していくものだろうが、レンの場合は明らかに待遇からして違っている。それはそれだけレンの才能を高く買い期待をたっぷりとかけ、特別視していたと言えよう、扱いがまるで化け物……いや、別物だったということである。
気楽である龍平たちのお言葉に甘え、レンは他のライバルたち――つまりは数も名もあるインディーズに交じって、会社を一切間に介入させず、あくまでも単独で街なかの路上なり小さな会館なりでライブ活動をするようになっていった……
……
Busy at night
夜は忙しい
Even if the body takes a rest
体は 休んでいても
The head doesn't feel rested at all
頭がちっとも休まらない
May I run away?
逃げたっていいだろうか
May I not know anything?
知らなくていいんだろうか
A society and,
After all,
A rule only in the front
所詮は上っ面の社会とルール
The morning doesn't come
朝がやって来ない
The body doesn't feel rested at all
体がちっとも休んでいない
Became tired
身も心もクタクタだ
I'm exposed at the people when the sun rises
でも日が昇るから外へ行く
The flower is seen to be in blossom
花が咲いているからそれを見る
The world never changes
世界は変わらない
……
『ONLY TWO KILNS』。大阪のとある商店街付近で、地下へと潜ってみれば行き着くことができるライブハウスである。場内は4人掛け円形テーブルの着席で150人、スタンディングで250人は収容可能なスペースがあり煙草などは完全禁煙、黒御影石でできている凝ったドリンクカウンターが中央よりやや後方に設置されていた。カウンターでお客はオーダー制ドリンクバーを楽しめるのである。
機材は主ならばギターやベースのアンプ、ドラムセットにキーボード、プロジェクタといった物を希望または必要なら店側で用意してくれていた。他にはエフェクタ、ミキサー、パワーアンプ、コンプ/リミッター、スピーカー、マイク……といったPA(音響拡声装置)を店長と応相談でレンタル使用ができる。
幼少の昔は地方の田舎に住んでいた店の店長は、大阪の音響関連企業に若い頃は赴任して勤めていたが年がいくとついには退社し、思い発って飲食店を始めたという。元々大阪という土地が自分に馴染んだのか、情の厚い、物ごとのはっきりとした性や豪快さ、おもろくて儲ける勘定精神が大好きで、商売には向いていたらしかった。
そして店の名前が『2つの窯だけ』という意味ではなく、『恩に着る(オンリー・に・キルン[ず])』と感謝を表し駄洒落たものだったということは、恐らくほとんどの人が気がつかないのだろう、エレガントさが今ひとつ足りないネーミングセンスだった。だが、まあ笑って許せというご愛嬌を大阪という場なだけに求めているのかもしれなかった。
店長の名前は鎌武登である。夫婦で経営をしていた。
「おいそこのブロンド。お前、いい体格してんなあ、身長幾つ?」
店長は遠慮なく長身である金髪のギタリストの肩を軽く叩いて話しかけていた。愛用している赤いギターを手に持って、ステージの奥が控え室と直結になっている付近の、カーテンが掛けられたパーティションの裏にて次番の待機をしていた彼だったが店長相手に無表情で味気なく答えていた。「知らねえ、忘れた」
思い出すことが面倒なだけだった彼は、弦を細かく弾きながらステージを見る。何処かのお子チャマバンドが下手くそを弾いてるな、と心中で堂々と悪態をついていた。『我狼』というバンドに属している彼はまだバンド活動を始めて日もそんなにはない、というよりは、ギターさえまだまだ練習経験の乏しい彼は、相手が上手下手どうであれ言える身空でもないのだが、気位だけは一丁前だったという、ある意味、物ごとは正確に直視できていて受け入れ寛大だった。素直、正直である。
場内は禁煙であるからか、彼はずっと機嫌を損ねたままで煙草を吸いたく我慢し続けて、非常にイライラもしていた。
やっと自分たちのバンドの演奏が終わった時に、彼は他のメンバーを放って一目散にステージから退いていた。彼はギタリストでありながらボーカルもこなしている。しかし歌は本人にも充分に解ってはいるが……微妙に調子が外れていて音痴だった。何処かの看板アイドル並みである。
仕方ないだろ、歌える奴がいねえんだからよ……。
そう嘆く彼は控え室の畳の上で胡坐をかき、むっつりとさらに機嫌を悪くしていた。眉間の皺は険しく凸凹を作り、頭痛に悩む病人かと思ってしまえていた。
「……冗談じゃねえ、歌なんかもうやってられっかよ!」
嘆きは、決断に。彼は膝を打ち、立ち上がって頭をガリガリと掻きながらだるそうに猫背で控え室を出ようとしていた。
「おい、また発作かシーク。何度目なんだよ、おま」
「演奏のたんびにこれじゃあな、ま、ご苦労さんさんや」
ステージから控え室に戻ってきたばかりの『我狼』メンバーは和んで笑って彼、シークを眺めていて、慌てている者はひとりとしていない。それがまたシークには憎らしく思え、次の演奏者の曲がスタートしたというのに、叫んで台無しにしてしまいそうになっていた――だが。
「ちょっと待てえや、シーク。この声……」
マンセイという名の『我狼』メンバーのひとりは、シークが大声を出しそうになるのを手で制して、関心をステージに向けていた。
ピアノ伴奏から始まる曲のそれは、マンセイの他、メンバーやシークの興味をも惹く。
聞いた覚えのある声だった。シークたちにとっては、とてもよく気を惹かれ特徴のある、鼻にかかった……男の声質なのに天使のような声。
素朴なピアノの調譜に乗って、声だけがとてもよく目立ち……耳に滑らかに届く響きだった。
シークは声の主を知っていた。数秒と、聴いて途端にステージ袖へと舞い戻って行った。