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18話(Belle)


 Belle――『ベル』。それは、美しいことを女性で意図し表していた。歌詞を書いたレンも、訳をした愛も『ベル』を“夢”、もしくは“夢の向こうの住人”だと……言っている。レンはライブではよく、間奏などでベルのことを少し違えて歌っていた。Belleだけでなく――


 Belle Malissima ……


 ――恐らくは、夢の向こうの住人を『非常に(最高に)美しい』女性的に比喩した言い方であり、これ以上に美しいものは存在しえないと言いたかったのだろう、愛はそう思っていた。


 Belle Malissima、Belle Malissima、Belle Malissima、……


 それは残響音となっていつまでも頭のなかに残り、これは福音だと耳受け入れた者は必ずと浸透し切り、我、是非にとまた感、揺れ動かされて喜ぶのだろう……レンの声によって、だった。そして誰も疑い知ることがない、夢は、『きれい』……なのだから、と……。


「レン!」

 幸いなことに、愛の叫びはマンション前で鳴った車のクラクションにかき消されてしまっていた。大衆の音楽界という枠のなかでは名を知りすぎられているレンを呼ぶことは、暗中で禁止されていることのように思われた。ファンにでも目撃されれば愛もろとも今後の無事が危ういだろう、まさか命とられるとまではいかなくとも、である。


 愛に周囲を気にする余裕はまるでなく、急いでレンの元へと駆け寄った。玄関のドアの前で腰落ち着けて座り、項垂(うなだ)れていたレンは愛がそばに寄っても顔を上げなかった。魂が抜けて何処かへといってしまったのか、地の一点を見つめている。明らかに生気がない彼の姿に、愛はどうしたらいいのと困り果てた。

「レン……しっかりして! 私よ、愛よ。分かる?」


 心配そうに愛が呼びかけてみても、あまり反応してはくれなかった。愛は仕方なく、レンを部屋に連れて行こうと考える。「立って……今、鍵を開けるから……」言った通りに愛は玄関の鍵を開け、レンをどうにか押しのけてドアを開けると。レンは音もなく立ち上がっていた。

「疲れてるの? ……なかで休んだらいいから……」


 レンの身を心から気遣い、愛はそう声をかけた後。自分の肩にレンの手を回して、歩くのに力を貸してあげていた。至近距離で見たレンの顔色は悪く、愛の心中はハラハラと落ち着かないでいた。熱はなさそうだが体温は少し低めだなと肌に触れて感じていた愛は、レンの身に何が起こったんだろうかと気が気ではなかった。もしや……私に会えなくて? とも愛は自惚れてしまいそうになったが、すぐにそれをかき消していた。


 レンの体が重い。男なのだから当然のこと、華奢(きゃしゃ)な女の体には相当の大荷物にも感じられた。愛は重くもそれに耐え、どうにか自分の寝室か、せめて手前にあるソファまでは行き着けねばと頑張った。玄関に鞄や傘、靴などを放り投げて、ソファの付近に来た所でもうひと踏ん張りと先に進んで行く……向かうは愛の寝室だった。ドアノブを捻らずともドアは勝手になかへと開いてくれたようで、スムーズに部屋へと入ることができた2人だった。


 ベランダの窓外は日が落ちて暗くなる頃で、照明の光がとても欲しかった。まだ残る薄明かりが救いで、影の動きが壁に見える。折り重なっていた2人の吐息が聞こえていた。


(服が濡れてる……脱がさなくちゃ……)


 ベッドへと倒れ込む前に、愛は肩からレンの手を外そうとしていた。だが、愛にとって思ってもみないことが起こってしまう……愛の体が宙に浮いたのだった。


(え!?)


 浮いた、というより、強い力に引っ張られていたのだった。そのせいでベッドへと放り投げられた感覚に陥ったといえよう、抵抗する暇も隙もなく、愛はひとりでベッドにお先にと倒れ込んでいた。そんな拍子のいきなりの暴力、乱暴な絶対的力に愛は茫然としていて、思い出したようにそれからレンをひと睨みする。「ちょ……」


 何するの、という反論はしかし続かず、レンは愛に襲いかかってきていた。「や……」仰向けで、背を白いシーツの上には着けず反り返る格好の髪乱れていた愛の上に、レンは急ぎ勢いで覆い被さってくる、その速さに構え間に合わずに負けてしまって愛は受け入れ、シーツの地に体を柔らかく着地させてしまっていた。きつく上から両腕を押さえつけられ、愛は強引にキスを迫られ、雨に濡れていたレンの衣服のせいで、着ていたオフホワイトのキャミワンピースは徐々に濡れていった。上に着ていたギャザー・フリルのクレリックブラウスは、すでに脱がされて地面へ他の物と一体に雑然と落ちている。無垢のワンピースも、曲線のラインに沿って総体から脱がされて……


「レ……ん……」


 下腹部から滑り上がるレンの指先に、思わず愛の背筋が反り上がって声が喘ぎ漏れていた。首筋にかかるレンの香りと息が、愛の視界を薄らせていき熱を生んで、また濃厚なキスをする。


「愛……」


 やっと口を利いたレンから出たのは愛の名前だった。耳元での囁きは、愛にとっては嬉しかった。「きて……」


 レンの肩にするりと手を伸ばし回して包み込んで、片時も離したくないからと請うてしっかりとレンの大きな体を引き寄せて抱いていた愛……2人の時間は互いに共有し合い、重なり合い、そして……過酷にもそれは短い、夢の如きに儚く刹那のようのこととなってしまうと分かっていたのだとしても……愛は、触れ温まったレンの体温を忘れたくないと、祈っていた。


 激しい夜を過ごす。レンは愛を離してはくれなかった。一晩中、レンは愛を抱いていて、空が白くとなりかけた頃に2人はベッドの上で寄り添うように眠りに大人しくついていた。


 愛が至福にまどろんで、目を開けてみた時に……脳裏に浮かんだ、ついレンに聞いてみたかったことを口にした。


「どうして……レンは歌を歌おうと思ったの……?」


 どうせレンは眠っていて聞いてはいないだろうと、調子にものって聞いていた。だからレンから答えが返ってきた時にかなり驚いてしまった愛だが、レンの答えは意味ありげでも全ては伝わりそうではなかった。寝言のような、レンの呟きである。

「導かれた……」



 ……



 話は、数年もの前に遡る。今レンは眠りながら昔を思い出していた。


 レンが学生の時分のことである。母の実家があるアメリカの田舎にいた彼は、男と運命的な出会いをすることになった。その男が後に、彼を拾い、成長させていくことになったのだ。


 三富龍平、『M.A.D.E』の創始者だった。彼もまた、運命的だったと転機を懐かしく、朧げに思い出すことだろう、龍平は、レンの若い才能に理想を見、彼となら成功できるに違いないと根拠のない自信や確信を手に入れたのだった――そのことに今なら感謝を覚えるとまで言ってしまう龍平は、レン、彼を夕刻の晴天時にその地の麦畑にまで散歩に誘い、スカウトする前に尋ねてみたのだという。


「君の()には、何が映る……?」


 麦の金草原を前方にして、龍平はまだ少年だったレンにシンプルかつ大胆な難題を投げかけていた。幼いレンは最初に黙って小さな頭で考えて、大きなことを言ったのだという。


「俺だけの星」


 ……聞いた龍平は、あまりにもあっさりとした答えを出したレンに、福神めいて親しみを込めた顔をしてしまう。「そうか」龍平は、大きな口で大笑いをした。見渡す限りの大自然を前に、大人と少年は夢を語る――龍平は、レンの頭の髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜて決意を示していた。


「ようし」

 それから、レンは連れて行かれてしまう。両脇に金色輝く麦の穂道を辿って、『ベル』の元へ。


 ――光の方へ。




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