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16話(言葉)


 世界に共通する通じる言語が、ただひとつだったらよかったのに。ひとつの言語だけを覚えておいて、それで。それだけで。ねえ? それなら、解りあえるでしょう? 言いたいことが伝わらなくて、相手を困らせることにはあんまりならないでしょう?


 英語、日本語、中国語、韓国語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、ポルトガル語……まだまだある。もう、うんざり。読み切れそうにもない分厚めな本がバサバサと数冊、数十冊と、大げさな音をさせて天井から降ってくる。バサバサ、ばさ。頭が痛い。

 もう嫌。たすけて。

 言葉の渦から抜け出したい。誰か、手をのばして下さい、その手を捕まえて逃げ出せるように、……誰か。

 アナザーワールドに連れて行ってよ……


 レン。



 ……


 愛は眠りから目を覚ました。

 自分が住んでいるマンションに昨夜は帰宅するやいなや、ベッドで、服を着たまま転がって睡眠をとってしまったようだった。お酒を少し飲んでからの帰宅だったのを覚えていた。

「♪あい、るーず、まいうぇい……いん・ざ……」

 口にすさむ歌は。

迷路(メイズ)……」


 レンが作った歌である。何度も聴いて、覚えてしまっていた。一度はアルバムのCDやDVDを事故で無残に破砕してしまったものの、買い直してきて今は手元にあった。一度開封してからは愛のお気に入りとして、いつもいつでも何処でも歌を身近に感じたいからと携帯に取り込んでおいたり自宅のプレーヤーにはCDを入れっぱなしにしてあったりと、常にそばに置いていたという。

 アルバムのなかの数曲のうち、これだけが――この歌だけが愛の気を強く惹いていた。歌のタイトルは、――『Maze(迷路)』。訳してみると、愛はまたレンが底知れず思い悩み、臆病になっているのではないかと疑うような、ため息の出る歌詞だった。


『迷路の中で迷う

 助けてください

 僕に愛を

 神の、愛の手を』


 今の愛と同じような心境で歌っているのではないだろうかと……そう思えば、愛の口元が僅かにほころんできていた。歌を作ろうと歌詞を考えて四苦八苦しているレンのさまを想像で浮かべてしまっていた。「神の愛の手、って。……レンってば……」まるでイエスか宗教者みたいじゃないの、と笑いは苦く酸っぱくなっていった。


 ベッドの上での愛は、想像力が増していきそうで、なかなか起き出すのも億劫らしい。もし自分が寝ている傍らに寝息を立てたレンがいてくれたらと思うと……愛は、幸せになる。だがそれも所詮は夢のように儚いだけで実際にあるのはシーツの上の冷たい温もりだった。自分の体温以外、何の熱さも感じなかった。とても悔しくて堪らない。……


 ピロリロリ……


 ベッドより離れて、寝室のドア付近に置かれていた鞄から着信音が聞こえてきた。設定されたままの味気ない携帯電話のメール着信音である。愛は誰だろう、と仕方なく身を起こし、鞄から携帯を取り出し開いてみた。待受けで送信者はひと目で分かり、大学の友人からだった。


「『愛、いい?』って。……何が?」


 表題を読み、疑問に思った。だがメールの本文を見て謎は解ける。

『今、愛のマンションに来てるの』

「ええ?」

 それを見た途端、急いで愛は窓へと寄った。外を見下げて、マンションの前を通りがかる人を順に見ていってみる。時間をかけることはなく、すぐに肝心の友人の姿は発見できた。「やほー」

 どうやら愛を待っていたようで、愛の方へと陽気にピースサインを送っていたその友人。


「今行くから開けてー」


 言うことを言って、友人はマンションの建物のなかに入ってしまっていった。愛は焦って、友人が上階まで昇って来る前にと部屋のなかを片付けに走る……まずは普段着のTシャツに着替えて、放り投げ出されていた衣服や本、筆記用具、CD、食べかけのお菓子などを見えない所へと押し込んだり隠していった。適当ではあるが何とか人様から見てセーフラインだろうというくらいに片付けた後、インターホンが鳴った。「はーい、出るからあー」

 髪はボサボサと乱れたままだったが、そこまで気が回らなかった。


 大学での一番親しい友人、玉置杏奈(たまき あんな)。首筋までのふんわりとした髪はとても自然的で、ピアスをよくしているのが似合っている。今日は小さなピンクの薔薇の形をしたピアスをしていた。クルリと巻いたまつ毛のカールも、大きめな目にはよく合っている。愛とは同い年の彼女だが、在学している傍ら出版業に自ら飛び込み、あくまでもまだバイト扱いと感覚だが、将来は此処で身を置きたいからと懸命に働いていた。そんな勉学と努めで忙しい彼女が一体何の用かと、来るなり愛は即座にそれを聞いていた。


「愛、詩か何か、書いてみない?」


 杏奈はリビングのソファに先に腰かけていて、台の向こうでお茶の用意をしている愛にそう話を切り出してきていた。「詩……?」


 いきなりの誘いで、カップのなかのコーヒーをかき回していた手が止まってしまう。湯気の立つ2つのマグカップを片手ずつに持ちながら、愛は杏奈の向かい側に正座した。

「今度ライターで、モニター募集してるんだ。共同でね、いちページ800文字程度で作品を集めて、詩集を作ろうかっていう試み。愛、どう? 文章とか、書いてみないかな!」


 明るく朗らかに杏奈は愛を誘った。「詩かあ……」愛は考え込んで、腕を組んで悩みに入った。

「詩じゃなくてもOKなの。書けるならね。何でもいいんだぁ」

 これまでに、愛は詩や、日記を書いてきたことはある。だがそれは到底大っぴらげに公開できるほどいいものでもない、むしろ恥を晒すことになるだろう。愛はとんでもないことだと慌てて首を振っていた。

「どうしたの、何か不味った?」「ううん、何でもない、違うのよ!」「そう?」

 不思議がる杏奈を尻目に、愛はうーん、と難しく顔をつくる。急に言われて、すぐに決断ができる訳ではなかった。


「それじゃあさ、考えておいて? 今日はいいからさ!」

 それだけを言って杏奈はコーヒーを飲んでしまうと、帰ってしまった。残された愛は寝室へと戻り、ベッドに突っ伏して考える。自分が書く、文章のことを……。


「世に読まれるのかあ……大変」

 自分には恥ずかしさが勝って無理なのではないかと危惧してしまっていた。そんな心配をしている内にうとうとと……眠りに誘われ愛はまた想像のぬる湯へ飛び込もうと、まぶたを音もなく閉じていく……。

 ……レンがいる世界、アナザーワールドへと――


 ……


 Open the book

 本を開いてごらんなよ

 Only the lie is being almost written

 嘘ばっかり書いてやがるから

 It is not possible to see through

 見えやしない


 ……


 辞書も本。人が書いたもの。価値観、基準、ルールは個々に違うだろう。何故信用する? 世界がひとつだと誰が決めた?


 自分が決めた。地球は丸くて、自転して公転してそれで。宇宙には星が、散りばめられているよ……本当に? ではどれが嘘なんだろう、見えないから解らない――見えないものを見るにはどうしたらいいと、尋ねてみれば答えは何かが返ってくるものだった。

 想像力ですよ、と……愛は答えに辿り着く。

 レンが伝えたかったことを、ひとつでも理解できたようで嬉しかった。



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