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14話(陣)


 こんにちは ようこそ 鏡の前のエンジェたち

 君はだれ、って問いかけてみる

 君はだれ



 ……


 閉められている外窓のカーテンと蛍光灯の光のなか。陣が目を開けると。

 白いベッドの隣でイスに腰掛け、陣の視線に気がついた愛の姿が目に入った。愛は大げさなほど驚きと喜びに満ち溢れた顔をしている。瞳を輝かせて、待っていましたと言わんばかりの飛び出しそうな心臓の動悸を抑えていた。「おはようございます……!」


 何て意味不明なことを言っているのと愛は微かに思った。さらにそんな細かいことはどうでもいいわと無視をしていた。陣も気にしてはいない。


 気にするしないというより、始めから気にはかけていないと言った方がいいのだろう。陣は、まばたき以外は体の部位を動かさず、しばらく黙って愛から天井へと視線を移してぼうっとしていた。突然のように飛び込んできた外部からの情報を、頭のなかで整理している。


 やがて陣は……不器用に口を開いた。

「ここは……病院、か……?」


 生唾を飲み込みながら、それでもまだ部位は動かさない。「はい……」間を少しだけ置いて、愛が申し訳なさげに返答した。「あなたが目を覚ますのをずっと待っていました……」


 声が震えていた。目尻に涙を浮かべていた愛。そっと、指の先で涙は拭いて落ち着けようと踏ん張っていた。陣はちら、と愛の方を見たが一瞬だけだったようで、すぐにまた視線を天井に移し「あ、そう」と素っ気ない一言を告げていた。


 意識がはっきりとしていることが見て明らかである。

 愛はすぐに看護師を呼び、医師が病室にやって来て診察を始めたのを見届けていた。陣の意識が回復したことで、周囲の動きは慌ただしくなっていった。



 生還を果たし、生命の危機を一度は脱出したと安堵していた愛や医師たちではあったが、2日経ったある日の午後に陣は下半身の麻痺を訴える。急ぎCTスキャンとMRI撮影を行った結果、首の骨と肋骨の骨折が新たに発見されたほか、脊椎に異物が見つかったという……医師は、「首の骨折はあともう少し事故の衝撃が大きかったら即死していたのかもしれない」と愛を診察室に呼び、そう言って考えこんでいた。


 脊椎の異物に関しては、折れた骨のかけらか、凝固した血液とみられている。いずれにせよ応急手術をしなければならず、「万が一、脊椎の神経が傷ついた場合。下半身の麻痺は覚悟しなければなりませんが……」と医師は話していた。

 医師は愛の方を見やる。何度連絡を入れても、一向に陣という患者を誰も往訪してこないことに困惑しているのだった。愛は、立ちくらみを堪えるのが精一杯である。


 担当医師が病室を訪れ陣に、愛に言ったことと同じことを告げた後。去る医師や看護師を見届けて、残された愛と陣は沈黙していた。いても立ってもいられず愛は、落ち着きと持ち前の明るさを取り戻して決心し、重い口を開いていた。


「ご両親や親戚の方はいないの? 私、何なら連れて来ますが!」


 さっきまではかなりの落ち込みようだった愛だが、何とか払拭しようと頑張っている。暗い顔をしていたって解決しない……気持ちを切り替えるためにもと言い試みたのだった。だが無表情の陣からは、冷ややかな返答しかなかった。

「親とは勘当している。友達も作らないし、俺はひとりだ。ひとりでいい」

「そんな……」

 どうして、と愛はイスに座ったままで身を乗り出していた。「俺の実家は老舗の旅館でね」

 興奮しかけた愛は引っ込み、淡々と身の素性を語り出す陣の声に耳を傾けていた。今日は好天で気温が高いのか、それとも緊張のせいなのか、喉が渇いていた。


「俺はN工業大学、工学研究科でナノレベルでのエネルギー変換技術の研究をしている。それだけじゃないが、とにかくそっち方面に行きたかったんで実家を継ぐつもりはない――そう言ったけど、頑固ジジイたちには通じなかったもんで。仕舞いには勘当だ。最初から、聞く耳持たないって頭ごなしに怒り気味だったし、俺は始め段階的に説得しようとしてたけど、段々馬鹿らしくなってついには飛び出してきた。もう関わるのもうんざり。俺は誰にも邪魔されず、純粋に研究したいだけだ」


 陣の瞳に意志の固さを表すかのような炎が見え隠れしていた。話し合われた場がどれだけ惨憺(さんたん)な状況だったとしても、自分たちの子どもが生死の境をさ迷っているというのに迎えにも様子見にも全く来る気配がないというのはどういうことなのか。愛にはとても信じられなかった。それほどまでに、頭の固い者同士の意地の張り合いだということだろうか。何とも言えないわだかまりが、へばりつくように愛に残る。


(でももし手術をして、麻痺が残ってしまったら。あなたこの先どうするの……大学にも通えなくなるし。治療費は私がちゃんと支払うけど……)


 愛は陣の身を案じた。これ以上、下手に口を出し刺激して容体を急変させたらと思うと、思ったように会話を続ける自信は今の所なかった。またこの話は後日の、別の機会にしよう、と愛は他の話題を探すことにした。

「ね、そういえば眼鏡。壊しちゃったから、新しいのを作ってきてあげたいんだけど、どうかしら。それは迷惑?」


 明るく、愛は微笑みかけた。陣にはそれが余計な気遣いとでも思ったのかもしれないが、「無いと困るけど、別にあんたが……」と素直になれず突っけんどんに言い返していた。


 愛は得意そうに目を細め、また微笑み、陣に言ってやった。

「私はね、あなたみたいに偏屈な人の相手は結構慣れてるのかもね。ふふ」

 偏屈、と決めつけた。言われて陣は「は?」と眉をひそめて、愛をばつが悪そうに眺めていた。愛が誰のことを指して言っているのかは、この時の陣には分かるはずもなく。愛はひとりだけで楽しんでいた。「この後の手術、上手くいくように祈ってる。待ってるから……」


 ベッドの小脇で、愛はイスから立ち上がった。数時間後に陣は手術が行われる予定である――愛は事故から数日間、自分の持つ時間をほとんど陣のために使っていた。大学も私生活も最低限の時間しか過ごしてはおらず、押し潰されそうな不安や恐怖と戦っていた。目よ覚めて――起きてお願い――動かなければどうすればいいの――私、は――愛を駆り立てる見えない『もの』は、陣が意識を取り戻したことで幾分か小さくマシにはなったが、まだ奥深く底辺で残留していた。


 待っているわ。


 静かに去ろうと、愛がベッドから離れかけた時だった。黙って聞いていた陣に、少しだけ動揺が見える。「待って――」


 愛が素早く振り返り、肩に垂らした髪が揺らいだ瞬間に――いち瞬間だけ、2人は見つめ合った……陣の方がすぐ、愛から目を逸らしてしまったが。


「本を……借りてきてくれないか……」


 擦れた陣の声は、愛の耳にしっかりと伝わっていった。




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