13話(迷路)
Want to be alone me
僕をひとりにしてください
Regardless of me
放っておいてください
Without coming here
こちらに来ないでください
Make me lonely
ひとりがいいんです
Even if I go to where, I am lonely
僕は、ずっとひとり
Do not cry
泣かないでください
The truth is not seen when it cries
泣かれると真実が見えない
I do not want to think that you are telling a lie
あなたが嘘をついているとは思いたくない
I became tired of worry
考えることに疲れたんです
I want you to leave me alone
そっとしておいてください
And, to another world
そして別の世界へ
――『Maze(迷路)』、作詞・作曲/ REN 編曲/SAKURAより――
……
レンが、一体どのような心境で書いた詞だったのかは、誰も知らない。
いつでも新築のような白の壁、白のベッド、白のイス。全てが、白、白、白の部屋のなかで、愛は、男が寝ているベッドの傍らで小さく呼吸をしていた。聞こえないくらいに音も立てず……静かだった。男の体に取りつけられているのは生命を維持する装置で、点滴、心電図。装置から流れてくるファクシミリ紙のような紙の、上を伝い振れる痛そうな針は、途切れてはいけない生命の線を描く。
男は、意識が不明だった。心の臓は針の示すデータの通りに動いている。働き休まずに脈を打ち出し血液を運んでいる。事故に遭ってから3日が経っているというのに、まだ目を覚まさない、眠り続けていた、その男。脳出血の緊急手術は終えていた。早く目を覚まして欲しいのにと、愛は願い祈っている。
愛に眠れない夜が毎夜訪れているのだ。安らぎのない、渇いた泉に浮かぶはずはないが宙に浮かぶ張りつめた心は干からびて裂け割れそうに。刻、刻と。限界が愛に近づいて来ている……忍びよってくる。
(私のせいで……)
頭にも、布団に被されて見えていない体にも包帯は巻かれて。男は、眠っていた。
織坂陣。工学研究科、未来材料創成工学専攻生。男の身元は、看護師によって聞かされた愛。年は愛とそう変わらないほどで、眉はつり上がり頑固そうな顔立ちをしている。度の低いレンズの眼鏡をしていたらしいが、事故でもはや使いものにならなくしてしまった。ベッドの脇の棚の上にちょこんと破損した眼鏡は置かれていた。
愛は奇妙だと思っていた。彼の身元は分かったが、親などの身内の者がひとりも病室を訪ねて来ないことに疑問を感じていた。おかげで内心では人に責められずに済むと思うこともあるが、時間が経つにつれて彼の身を案じて、この人はどういう人なのだろうかと関心が向いてきていたのだった。
事故に遭った時。
愛は横断歩道を渡る途中、交差点を暴走してきた乗用車に危うくはね飛ばされる所だったのだ。それを回避できたのは、運がよかったと言える。愛は誰かに思い切り前へ突き飛ばされたおかげで車との接触を免れ、こうして生きている。激しく転がって少しだけ手や膝を擦りむいてしまったが、全然平気だった、しかし。気絶し、病院へと運ばれてきた後。愛を助けた男の方、は――。
(私のせいだ……)
愛は自分を責め続けた。愛が目を覚ましてことの重大さを知った後。緊急手術を終えて入れられた個室のベッドの横に、震えながら、立つ……。
ぼんやりとしたままで、視界がクリアではなかった。頬に涙が伝う。
もし死んでしまったら。
もし目を開けて何か言われたら。
もし、体が動かせなかったら。
私は。
私は。
どう責任をとる?
どうすればいい? ……
愛は混乱して身動きが全くできなくなった。数時間も……彼の表情のない顔を、見続けている。
……
I lose my way in the maze
迷路の中で迷う
Help me
助けてください
Give me love
僕に愛を
Give the hand of love of the god
神の、愛の手を
……
「愛の野郎……」
レンは、厳しい顔で歯を打ち鳴らしていた。携帯電話を片手に握り締めたまま腕を組んで、その下にも組んだ足をドン、ドン、ドンと、床を叩く音を出し言わせている。非常にイラついていた。空港のロビーの、4人掛けソファ1つに腰かけて数時間。レンはひとりで腹だたしく携帯電話を睨んでいた。目を離しても、また見る――何度も何度でも、数分おきに。
愛からの連絡が一切ない。
その事実がレンの感情を逆なでていた。オープン・アンド・シャット。open and shut。単純明快だった。レンは、愛と待ち合わせた場所である映画館の前で、待ちぼうけを食らう羽目になっていたのだった。最後の上演も終わり、お客が帰っていくのを眺めて。空しさは、怒りに。メールで文章にそれを表し送信してみても、返事は返って来なかった。
なに やってんだよ!
短文に込められた怒り、空しさ、怒り、また空しさへと。無限のループを描くように感情は動きまわり、止まれず、抜けだすことが困難になっていた。何処か遠くに響くサイレンの音が、そのレンの呪縛を解く――赤いサイレン、危険の音を。
(救急車、か……)
怒りが消え、空しさは残る……。
映画館の屋内照明がひとつだけ消えて、いよいよ空しさは主役となった。
背中を押されたかのように、レンの足は映画館から遠ざかり、ひとり。暗い人気のない道路を歩いて……駅へと向かって行った。
――無駄な時間を過ごした。忙しいのに。
レンは空港に来るまでの間、愚痴ばかりをこぼしている。「ま、そのうちごめんってメールが来るよ」
ジュンの言っていた無責任な励まし言葉は、あまり効果がなかった。
色んなことを思い出していると……ひとりロビーで座って待っているレンの方へ。フォーマルな黒い、ビジネススーツの女性が近づいて来た。白い襟から見える首元やスカートから伸びる足は魅力的で、凛とした眉と目のラインはプロ仕様のように美しい。だが薄い口唇の奥からは、容姿に似合わない声が出されている。
「行くわよレン! おりゃあああ!」
勝ち気な性格で、いつも何ごとにも挑戦的な、三富優平の秘書である――二渡部理香。優平の代わりに、日本へとレンを迎えにやって来ていたという。
「どうも。ご苦労様で……手続き、終わったんですか。だいぶ待たされたんですけど」
不機嫌な顔は直ることがなく、苛立ちながらレンは座ったまま、自分の前に立って見下ろしている理香に問いかけた。
「まあね。ごめんなさいねえ、こちらの手違いで。でももう大丈夫よ、代わりの便に乗れるから。さ、行きましょっか」
理香に呼びかけられて、レンは立ち上がる。理香が日本に来てレンを連れて戻ろうとした所、便を間違えて予定の出発をやり過ごしてしまったという失態を犯したのだった。でもめげてはいない、切り替えが早いのも特徴である。
(愛……)
外の景色を大きな窓から見つめた先には、飛行機がちょうど空の中を飛んでいく。レンも、次の便で日本から発つ……陸を離れて、違う土地へと。愛とはこの先仕事のためしばらく会えないことが分かっていても。愛からの返事がなければ、レンにはどうすることもできなかった。
(ばか野郎……)
レンは去る。仕方なくと、肩を落とし。理香と、バンドメンバーがレンを待っている。
仲間がいても、レンは常にひとりきりのように感じて止まなかった。