11話(変化)
一方。
レンは、事務所の会議室で残りのメンバー3人と関係者数人とで、軽く打ち合わせをしていた。打ち合わせとは言っても、傍目ではただの談笑話をしている風景にしか見えない。会議用のパイプ椅子が長机に横並びで並び、適当に椅子をひいて皆、好き勝手に話しているだけだった。誰もこんな所でいつだかに開かれる予定の、巨大プロジェクトの打ち合わせをしているなどとは思わないだろう。買ってきたばかりのパンやおにぎりを食べながら話に加わっている者もいる。その中でレンは、大あくびを醸し出していた。
「こらレン。話、聞いてんのか」
バンドのリーダーでもある、しっかり者でキーボード担当のSAY(セイ)は、コツンとレンの頭を叩いた。さっきから、レンが話に身が入っていないなと踏んだ彼はシラケた顔をして、口を尖がらさせている。
「聞いてる。一応」
と、レンは椅子に前後反対に座って、背もたれに体を前屈みになってもたれたまま頭を組んだ腕の中へと埋めた。そうして顔を隠したせいで、声がくぐもって聞こえにくくなっていた。
「じゃあ言ってみろよ。オレがさっき言ったこと」
突っかかる言い方をいつもするのはSEEK(シーク)。ベースギター担当。普段は大人しくクールだが、口を開けば毒しか出てはこないという。煙草は大量に吸う、酒も浴びるほど飲む。女扱いも適当で、長くほどほどに垂らした金髪も適当に自分で切ったらしかった。
メンバーのなかでは、一番長身で細い体つきをしていて。レンとはよく喧嘩をしてしまう。
「総額推定27億円。機材、照明、音響、舞台美術、セッティング、運営、運搬費用。スタッフ総勢208名、スタント、現段階で56名予定。……かなり金のかかる商売だなって愚痴ったことか?」
横に流す口調のレンに、またシークは噛みつこうかと思った矢先だった。
「よせよぉ、お2人さぁん。夫婦な喧嘩、見せつけないでよ」
うふ、と、反対に座る椅子の背もたれに頬杖をつきながら愛想よく笑う小柄な男、ドラム担当のJUN(ジュン)だった。ちょっと変わっている。
「どこが夫婦だ。お前の目は腐ってる」
シーク毒吐きの矛先が、ジュンへと向かってしまった。「あっはっはっはっ」
大笑いで茶々を入れたのはセイで、場は何故だか和んでしまっていた。腐ってると言われているにも関わらずジュンは、全然怒りはしていない。むしろ喜んでいるのか、やはり変わっている。ジュンは笑顔でこう言った。
「確かに、金はかかりまくってるけどさ。気分屋のレンが、ここまで気合いを込めた理由って一体何だと思う? ……女」
ブッ、と。誰かが息を吹き出す音がした。驚きどよめく他バンドメンバーと関係者。さっさと解答まで言ってしまったジュンだったが、ジュンの方がシークよりも実は腹黒い。
「女あああ!?」
「ちょっと待て! 何でお前が知ってる、ジュン!」
「ってことは……まじ?」
盛り上がりは止まない。しばらく続いていた。レンは大げさに頭をくしゃくしゃに掻いてみせながら、赤い顔を隠そうと必死に堪えていた。
「うるせえ」
出せた反発は、たったそれだけ。メンバー、スタッフもにやにやしながらレンの様子を窺っていた。
すると、静かに会議室へと入ってきたひとりの男。年のいった、好色そうな顔をしている。中年太りで黒いスーツを着ているその男は、レンやメンバーを見つけるなりすぐに突進して来ていた。
「あれ、優平さんじゃん」
「よ。近くに寄ったから来てやったぞ」
と、男は触るとざらりとする顎ひげを撫でまわして言った。白い歯を見せている。
「優平さん。お世話になります」
セイが一番に挨拶をした。まあそんなに固くなるなと肩に手を置かれ、セイの後にシークも腕を組みつつ軽く会釈した。ジュンもまだ当分にやけながら「どうも!」と元気である。
「ご無沙汰で……ってほどでもないですね。3日前に会いました。進行は順調ですか?」
スタッフのひとりが声をかけると、優平と呼ばれている男は「ああ!」と大きく頷いて満足に返していた。
「こっちは心配の『し』の字すらねえな。こっちが聞いてやるよ、レン。順調か? またどっかで聴かせてくれよ歌」
優平の言葉にレンはどう答えていいものか分からず。黙っていると、セイがフォローしてくれていた。
「今さ、優平さん。レンに女性の影ありって噂してたとこです。優平さんは、そのへんご存じで?」
優平は表情を変えなかった。「知ってるよ」
あっさりと言ってのけてしまい、顎ひげをさすっている。
「高平兄貴から聞いてる。……やりたいんだろ? ライブ」
優平の視線がレンへと移った。レンは、内心ギクリとして冷や汗をかいていた。さっきからレンは周囲に騒がれていて、動揺が見えてしまっている。普段、他人のことなど――ましてや、女のことなど。眼中にもないレンではあったのだが、すっかり自分のペースを乱されてしまっていた。
それは恐らく、『臆病』の、せい。……
愛のひと言がレンの心中に矢になって突き刺さっているようだ。
「相変わらずカタイ奴」
追いうちをかけるシーク……レンは少しシークを睨みつけた。相性の悪い2人は、一触即発の状態が常にある。「レンがやりたいって言ってくれたんだから、いいじゃんか。なあ?」
「そゆこと。レンも隠してないで、彼女のこと、教えてよん」
メンバーが間に割って入ったおかげで緊張は解けて、レンも落ち着いた。レンとシークがお互いの感情や皮肉をぶつけ合うたびにこうして、他のメンバーが軌道修正しようと励んでいる。例え、しょうもないダジャレやちょっとした冗談でも、元の平和で穏やかな空気に戻すには、充分にこと足りていたという。
「じゃあ、そろそろ……一応、これから渡米でね。もっとゆっくりしたかったが、またにしよう、レン」
優平の目は何処か優しかった。まるで何もかもが、分かっているかのように。
三富優平。『M.A.D.E』の創始者であった三富龍平の息子、三富高平とは兄弟である。兄弟で業界のトップクラスへと君臨しその地位を不動のものにした。しかし兄弟とはいっても3兄弟。優平は、次男にあたる。下にはまだ、良平という弟がいた。3人とも、会社の要であるポストに就いていて、高平が副社長、優平は直属の補佐型秘書。複雑かつ綿密なマネージメントや戦略は、彼らの腕で成り立っているのだった。
「優平さん」
レンが、室内を出て行こうとした優平を呼んだ。「ん? 何だ」
「花火、どうなりました?」
外野をそっちのけで、レンは答えを求めている。場に居合わせているスタッフや、メンバーさえも、レンは自分のなかから追い出して優平の元へと一対一で対峙した。レンの持って生まれた高き気位は、その通りに自然と体から滲み出ている。あまりにも堂々としている素直そうなレンに、思わず優平は苦笑いをこぼしてしまった。
「順調だ。用意する手はずは整ってきているよ。しかしだなぁ、レン」
「?」
要領を得ない顔でレンがいると、片眉ひそめた優平は顎ひげを何度となく掻く。意地の悪そうな目でレンを見下ろして、そして。
「いや、金のかかる仕事だと思ってな……莫大に」
そんなことを言ってのけた。レンは、どう思ったか知れない。しかし優平の真意は。
「……すんません!」
会議室の隅から隅へと。レンの謝罪は行き渡り響いた。出入り口から人が行ったり来たり、往来の激しい場だった室内では、いた皆すべてがレンの方へと一斉に振り返っている。振り返っても関係ない素振りで自分の持ち場へとすぐに戻っていく者、振り返ってはみたが怒られているのかと誤解し気持ちいたたまれなくなって即座に離れていく者、振り返ってレンと優平を好奇から見届けようとしている者。
2人は、注目を浴びた。
レンが頭を下げている……優平という男に。
それは、スタッフはともかく、バンドメンバーにも信じられない出来事だった。世間一部では神とも言われ孤高に近く、私的には一般は近寄り難く。捻くれてばかりの、レンが。
人に頭を下げている。下げながら、レンの一度閉じられたまぶたの裏には、愛の――肩に垂らした髪を振り向きざまに払われて、レンの方へと向いた愛の面影がちらついていた……。はにかんだ笑顔をしていた愛。艶やかな口唇と、安らぎを与えるようなゆるい瞳で。小さな頭を傾けて……白百合の花のようにとても綺麗だった。
「……俺、お前のそうゆう素直なとこが好きだわ。レ・ン」
シーン、とまではいかなくとも。やや静まっていた閉鎖空間の突破口を開けたのは、陽気なジュンのひと声だった。オレンジ色のパーカーからチョコンと亀の首そっくりに飛び出した頭、太陽と瓜二つに見える明るい少年顔。小悪魔そうな彼は、両の手の平を鉄砲に形真似て、レンに向けて発射した。「どんっ」片手ずつ同時に放たれていた。「ふふふ」
ジュンのふざけのおかげで、またもやレンは救われる。「好きって、何だよそれ。キショイ」
シークが突っ込んだ。すると、ワッハッハッと、声を荒々しく高らかに優平が笑っていた。それからレンの肩を激しく叩いていた、痛そうな音をさせて。
「さて。成功させよう。これだけ金をかけて大掛かりになったんだ、レン? ……期待してんだぞ、お前には!」
むせ返りそうになりながら、レンは、――感謝した。心の底から。いつからだっただろうか、自分の周りのものの色が、変化し始めている。レンも気がつき始めていた。生活に彩りを感じるようになって……。
(愛……)
プロジェクトは進行している。前しか、見えない。
「はい」
レンの態度も清々しいものだった。見る者をさらに強く惹きつける。願わくは、計画の成功、実現、新しい道――。
愛、レン、それぞれは、それぞれに。未知の道を――歩いている。