9話(天国)
愛の手が指し伸ばされる。レンを救う、唯一の導き。
――愛の口づけは、彼に光を与えていた……。
ゲームセンター、地下へと続く薄暗い照明の下。辺りには誰もおらず、2人だけだった。愛とレン、2人だけの世界、邪魔なものは何もない。2人だけの……
「……」
静かなのは嘘。階段の段上では遠く、騒がしい軽快な電子の音や洋楽のおちゃらけたリズムミュージックが流れている。しばらく2人は動かなかった。目を閉じていた。そして――
離れた。
「あんた……名前は?」
無言を許さないレンは、間髪入れずに愛に尋ねている。「愛よ」
「愛……」
表情は何も示さなかった。愛は小首を傾げてみせている。とても物腰柔らかく穏やかに愛は、レンを見守っていた。でしゃばらない、それを思っていた。レンは聞きづらそうに……でも聞いてみたそうに……俯き加減で遠慮しがちに愛に向かって、とても小さな声で呼びかけていた。
「愛」
「? 何?」
「……一緒に……来るか……?」
聞いた愛は何のことだろうという顔をしている。パチパチとまばたきを繰り返してレンにもう一度の問いを投げかけていた。「……何処に?」
こっそりとレンは指で上を指さした。
「天国」
少し、弱り気味に笑いながら。
……
『破壊』された音楽。
かつてのビジュアル系は、『破壊のためにあった』と人は言っていた。彼らは破壊のために造りあげ、そして壊すのだ、心おきなく。何故ならそのためにあるのだからと……壊して何が悪いのか? ……理解し難き音楽の宿命でもある。
野蛮だとまた人は言うだろう。ならば教えてほしいのだ。人の持つ苦しみや怒り、矛先は。
一体、何処へと向かうのか……。
抱え込む精神よ。解き放て。我は場を与えよう――レン、彼の歌声は、聴く者の精神を破壊する。破壊へと『導く』だろう。縛られた世界から解放されて、あなたは、さあ自由になるのだ、と。レンの、自身の自由への願いは音へと化け運び、ファンにも届いた。それで壊してしまった。レンを心から崇拝する者は、即ちファンは……。
ファンは、マンションから飛び降りる。
彼の声に狂喜し、楽園へと夢を馳せながら。絶対に彼のせいではないはずだ――そう、思いたかった。例え巧妙に隠されてしまっても、事実は事実で消えはしないもの。それが凶器か敵となって彼を追いつめる、追いつめていく。しつこくもしぶとくも、果ての何処までも追いかけられて……。
「実験だった。今回のライブは……全てが、計算通りの」
レンは……疲れている。それが愛に見てとれた。レンの綺麗な両手は愛から離れジーンズのポケットに半分だけを突っ込んだままだった。行き場のない絶望した顔で、愛を眺めていた……とても、疲れた顔だったのだろう。涙は出てはいない。
「一人も、こぼれることなく99人が出席した熱心さには驚いた……俺ってそんなに凄いのかよって、鼻で笑うぜ……あほらし」
今の愛に言葉はない。黙って聞いていた。
「実験……ファンが、屋上から飛び降りるかどうか。または何人」
レンの意識は愛ではなく、過去へとなって終えたライブへと飛び移っていた。
「メンバーと、プロ入りの声をかけてくれた人たちに頼んで計画したライブだったけど、ラストライブになるかどうかより……そんな、つまらない取り決めよりも。俺には、もっと大事なことがある」
ライブは楽しかった、とレンは思っていた。だからか思い出すと、まだ身に微かながら残っていた僅かな触感が蘇ってくるようで。レンは内から興奮しそうになっている。
「大事なこと……?」
愛はまた頭を捻って小首を傾げた。レンの次に出てくる言葉を待とうとした。本当は、レンをずっと抱き締めていたかった。もしかしたら永遠に、ずっと。軽く陳腐なものだが母親にでもなった気分だった。
「もしライブで屋上から飛び降りたファンがいたらだ」
レンの笑いはいつしか消えて現実の愛へと視線を変えた。自分を眼差す愛の瞳は自分から離れてくれていないことが……ありがたいとレンは少し感謝していた。
「いたら?」
レンは涼しい顔で息と気持ちを吐く。
「俺も死ぬ」
……
人は死が絡む時、何を思うのだろう。レンは絶望した。巧妙に隠されながらも知り得た現実とは、ファンの自殺。プロへの扉はすぐ、そこに。だがレンはさ迷い……止まってしまった。ベルを信じていただけだったのにと……そこはかとなく悔やまれた。「死ぬって……そんな」
愛は信じたくはなかった。両手が心中を表すように、震え出している。太鼓のリズムが押し寄せてくるみたく、ドンドンと心臓が脈うつ音に切迫感を覚えていた。レンが調子よく、真情を吐露するその言葉は加速をし始めて止まらなく、グルグルと渦巻き、回っていた。
「俺には他に行き場が思いつかない。プロになって、表舞台に立って世に晒されて。でも俺の声は――」
――いずれ死を招く。
「人を狂わせる」
好きなように歌い。
「人殺しでもいいんなら、俺は喜んで舞台に立つ」
好きなように歌い。
「……怖いんだ……」
お好きなように。
沈んでいるレンを目前に、愛は案内人の男の言っていたことを今ひとたびに思い出していた。彼は確かこう言っていたのだった。
『レンの知る所ではない。ファンがどのような末路になった所で、彼の罪ではない』
レンを弁護してくれていた。彼は、レンの味方か、いや、ひょっとしたらレンのファンのひとりだったのかもしれなかったのだ。レンに罪はない――。
レンが、一人前として表舞台に立つことを望んでいる。それは皆が望んでいることでもだ。それはきっと、そう。――愛も。周りは皆、そう、望んでいる。
仮面など。少なくともレンを慕い思う人間の全ては、どれだけ上手に被っていても望みを言うだろう。思い切った愛は、震える自分の手を握り締めレンに詰め寄っていた。
「羨ましいわ」
レンは覚めたように顔を上げて、愛をびっくりしたように見る。「?」
「こんなにも、あなたは周りに愛されて……」
怒ったような愛にレンの動きは止められた。言い返せず、愛を見つめていた。
「愛されて愛されて、皆に望まれて。――望まれて。あなたは単にワガママだわ。何でもやってみなきゃ、どうなるかなんて分かんないじゃない」
愛は愛なりに一生懸命に考えていた。
――すでに造られた安全で無難な道を辿って行くのが、いいと思う?
でもそれはきっと、未来で後悔する。何も分からないまま、後で無知だったことをまとめて恐怖で知ることになるのよ。『だまされて』。
――道のない道を探りながら造って行くのがいいと思う?
毎日に怯えながらでも幸せを信じて未来に行き着きたい? 格好悪くても一生懸命に、『だましながら』。
――さあ、どっちがいい? どっちでもいいわ。選んだことには、後悔はしないから。
愛は訴えていた。
「私は、こんなちっぽけな場所でレンが歌うよりも。何億何千の人たちが観れることが可能なステージで、レンが思いっきり羽を伸ばして歌っているのをもっともっと観てみたいの。観れるなら、私はそれについていく!」
気持ちよく言い切った。愛の瞳は本気だった。それは当然だった……本当に、心底からそう思っているのだから。すると黙って聞いていたレンは……。
笑う。
「あははははは!」
笑われて、何故、という顔をする愛。さらにレンは面白く、声を張り上げた。
いつの間にか閉店間近となったゲームセンターの地下への途中で、レンは満足いくまで笑った後、愛に軽く言い返していた。
「何億って。地球人口の一体、何分の1なんだ」
からかうような目で見てもいた。愛は弱った顔で「う……」と肩を竦めてしまい、何度目かはもはや分からない赤い頬をしてみせた。
握った手のなかにはキャンディがある。汗と熱気で溶けていないか、心配だった。愛が手の平を広げてキャンディを確かめようとすると、……いきなり、である。
レンが愛を抱き締めたのだ。思い切り力強く。「ひゃ……!」蚊のような声を出してしまった。
「愛……」
愛の手元からはバラ、バラと。キャンディが滑りこぼれ落ち、床や階段の角に当たって下へと転がり散らばっていってしまった。
「元歌からパクったっていうのは、……嘘」
愛の耳元で真実が告げられる。しかし今の愛に、しっかりと届いたのだろうか。愛は、キャンディと同じに溶けてしまうのかと、思っている。
「天国じゃない楽園に……ついてきてくれ」
2人は、此処からスタートを切った。
……
半年後。
それまでに愛はレンと連絡を取りあい、たびたび会っていた。しかしレンは愛に、歌の今後の活動については一切、話してはくれていなかった。
……レンはプロに、なる。