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オマケの詰め合わせ  作者: 雨咲はな
はるあらし
9/19

極小トップシークレット



 ある日曜日、愛美がおれの住むマンションの一室にやって来た。

 事前に連絡は受けていたので、そのこと自体に驚きはない。しかし妹が手にしているのが、ちょっと遊びに来た、という感じの可愛いバッグではなく、えらく機能重視な大きくて頑丈そうな鞄であるのを見て、イヤな予感がむくむくと湧いた。

「……まあ、とにかく、どうぞ」

 喉元まで込み上げてきた言葉を呑み込んで、とりあえず室内に上げてLDKへと案内する。愛美は大きな鞄以外にも、有名なケーキ店のロゴが入った箱も持っていたので、おれはお茶を淹れるべくそのままキッチンへと向かった。

「あっ、こんにちは、ハルさん!」

 すでにリビングのソファに座っていたハルさんを見て、愛美がはしゃいだ声を上げる。

 偶然会ったわけではなく、日曜はハルさんも来るのかとわざわざ念を押してから約束を取り付けたのだから、そこまで喜ばなくてもよさそうなものだが、愛美はこういう機会を本当に楽しみにしているらしい。

「こんにちは、愛美さん」

 目を細め、ハルさんも会釈をした。

 ちなみに、ハルさんが今日おれの部屋にいるのも、たまたまなどではない。休みの日はほとんど一緒に過ごしていて、それ以外でもしょっちゅうここに来て、よく泊まっていったりもするわけだから、彼女がここにいるのはほとんど必然というか……うん、まあ、そういうことだ。

 二人は挨拶を交わしてから、きゃっきゃと口早に近況報告をし、愛美の持ってきたケーキの箱を早速開いて、また賑やかに盛り上がった。女性同士のそういうやり取りに、兄であろうが恋人であろうが、男が割り込む余地などない。おれは黙々とお湯を沸かし、カップを揃えた。

「あれ……えーと、紅茶……」

 愛美は紅茶好きだし、ケーキを食べるのならそっちのほうがいいだろうと思って用意していたのだが、肝心の茶葉がどこにあるか判らない。カウンターからリビングに向かって声をかける。

「ハルさん、紅茶の葉っぱはどこでしたっけ?」

「あ、それならこちらに」

 ハルさんがソファから立ち上がり、キッチンへとやって来た。棚の一角から茶葉の入った缶を取り出して、ついでにティーポットも出してくれる。

「私が淹れましょうか?」

「いや、やります。まずポットとカップを温めるんでしたよね?」

「ええ。それから茶葉を……」

 ハルさんの教示を仰ぎつつ、少々覚束ない手つきながら、手順通りに紅茶を淹れる。

 紅茶というものは、きっちり淹れようと思うと、それなりに手間がかかるのだ。ハルさんが実際に淹れるのを見るまで、おれはそんなことすらまるで知らなかった。そして、その手間をかけるのが、不思議と楽しいということも。

「とってもお上手です、哲秋さん」

 一通りカップに注ぐまでを見て、ハルさんが軽く拍手して褒めてくれた。

「そうですか?」

「紅茶の鉄人ですわ」

「またそんな……」

 苦笑しながらも、もちろん悪い気はしない。以前、コーヒーを淹れられるようになった兄が、蒔子さんに褒められたと嬉しそうにしていたのを見た時には、正直アホだなと思ったが、現在のおれは、まさにあれと同じだ。

「……客の前でイチャイチャするのって、どうなのかしら」

 淹れた紅茶を盆に載せてリビングのテーブルに運ぶと、ずっと放置されていた愛美が、ぷうと膨れていた。

「もう新婚夫婦も同然じゃない。ハルさんがキッチンにいても、ちっとも違和感がないわ」

「おれは家ではコーヒーくらいしか飲まないんだよ。紅茶はハルさんが時々飲むから、そのためにあるんだ」

「あっそう。私、おジャマだったみたい。今日も二人きりで過ごしたかったでしょうに、ごめんなさいね」

「まったくだ」

「なによお兄さん! ひどいわね!」

 素直に認めたらカンカンになって怒られた。就職活動で多少は世間を見てきているはずなのに、気が短いところにあまり変化が見られない。大丈夫なのか。

 ハルさんはケーキを皿に取り分けながら、言い合うおれたちをニコニコして眺めている。

 そうして三人でケーキを食べたり雑談をしたりしてから、愛美はおもむろに傍らに置いていた鞄を自分の膝の上に置いた。

「──で、これなんだけど」


 鞄の中からどっさりと出したのは、すべて会社のパンフレットだった。


「…………」

 まあ、予想の範囲内である。会社も業種もやけにたくさんの種類があって、お前もう少し絞ったらどうだ、と思わなくもないが、そこはいい。隣のハルさんをちらっと窺うと、興味深そうに上半身を傾けて、それらに目をやっている。

「迷うのよね。説明を聞いても、今ひとつピンとこないの。なんていうか、表面的な? そんな感じに見えてしょうがないの。私はもっと深く細かく知りたいのに、上辺だけサラッと説明してお終い、ってそんな感じ。綺麗なところしか見せてくれない、っていうか」

「新卒の就職希望者に、そうそうありのままをベラベラ話すわけないだろう」

「ちっとも生々しい実態が伝わってこないのよ。もっとこう、ドロドロした企業内部とか、ピリピリした緊張感あふれるやり取りとか、陰謀渦巻く社内抗争とか」

「お前は一体何を期待して社会人になりたいと望んでるんだ」

「そこまではいかなくても、もうちょっと、現場の空気というか、そういうものが知りたいわけよ。上っ面だけ見せられて、どこかを選ぶのってすごく困難じゃない?」

「だったら自分で調べればいい。手段はいくらだってあるんだから」

「それよ」

 びしりと人差し指を突き立てられ、おれはどうやら自分が墓穴を掘ったらしいことに気がついた。

「調べたいのよ。その場合、やっぱりまずは客の立場になってみて、その会社と接してみるのがいいんじゃないかと思ったのよね。それなら、長所も短所も客観的に見られるでしょう? そこの社員が客にどういう態度で関わるのか、それを見れば全体の教育方針とか雰囲気とかも、少しは判るかもしれないし」

「確かにそうですわね」

 愛美の言葉に、ハルさんが感心したように同意する。ハルさん、迂闊に頷かないように。ほら、愛美が意気込んで鼻息が大きくなったりしてるじゃないか。

「というわけで」

 何が「というわけで」なのかさっぱり判らないが、愛美は自信満々におれに向かって言った。


「お兄さんとハルさん、客になりすまして会社を見てきてくれない?」


「…………」

 おれは思わず、ふー……と深い息を吐いた。やっぱり最初のイヤな予感は当たっていたか。

「あのな、愛美……」

「クレームをつけたりするのもいいわ。どういう対応をするのか見たいもの。せいぜいイヤな客になって、相手の出方を観察して欲しいの。誠実なのか、適当なのか、逆ギレするのか」

「まあ、楽しそうですわ」

 ふふ、とハルさんが朗らかに言うので、ますますため息の深さの度合いが大きくなった。そりゃハルさんは、嬉々として与えられた役柄を演じきるだろう。しかしそういう問題ではない。

 愛美に顔を向け、きっぱりと告げる。

「断る」

「ええー、どうしてよ!」

「どうしてじゃない。ハルさんも、悪ノリしたらダメですよ。これは愛美がやらなきゃいけないことなんだから」

「だって」

「だってじゃないよ。就職先を選ぶのはお前で、その判断をするのもお前だ。表面的な説明だけでは決められない、ってことなら、自分で納得いくまで調べてみればいい。とことんやれ。けど、それに他の人間を使おうなんて考えはダメだ」

「だって私の顔を堂々と見せて客になりすますわけにいかないじゃない。学生なんだから、商談の相手にもしてもらえないだろうし」

「だったら他のやり方を考えろ。おれとハルさんが客のフリをしてその会社を見てみたところで、それはやっぱりおれたちの見方でしかない。おれの考えとお前の考えは、同じであるとは限らない。お前はお前の価値観と基準で、自分に合うかどうか、この会社でならやっていけそうか、そういうことを決めないといけないんだよ」

「…………」

「その上での相談だったら、もちろん聞く」

 おれがそう言うと、愛美は口を噤んだ。視線を下に向けて、でも……と言いかけ、また黙る。

 そこに、ハルさんがおっとりと言葉を挟んだ。

「──最終的に判断されるのは愛美さんでも、そこに至る材料は多くあるに越したことはないんじゃありません? 愛美さんはまだ学生で、働いたこともないんですから、不安も大きいんですわ。もう何年も社会経験があって、年長でもある哲秋さんに、客観的な目で見てもらいたいと思われるのは当然です。兄心なんでしょうけれど、哲秋さんは少し、愛美さんに厳しくなさりすぎではありません?」

 おれと目を合わせ、ハルさんはにこっと笑った。

「でもね、ハルさん」

「このパンフレットの全部は確かに無理でしょう。愛美さんも、せめて二、三社に絞るといいですね。そこまではご自分で頑張って、どうしても最後の決め手に欠けるということになったら、そういうテもありだということですわ。一社員の対応を見てその会社のすべてを判断するのはいささか無謀というものですけど、少しは見えるものもあるかもしれません」

「しかしね……」

 愛美は縋るような目をハルさんに向けているが、おれはなおも渋った。妹だから余計に厳しくなってしまうというのはあるかもしれないが、ここで愛美の甘えをすんなり受け入れてしまうと、結局のちのちまで就職の面倒を見なければならないハメになるんじゃないか、という危惧もある。

 現在のおれは、もうすでに桜庭の家を出た人間だ。将来のあれこれに繋がるかもしれない妹の就職問題に、助言や相談くらいならともかく、あまり深く関与していい立場じゃない。ましてや、そういった微妙な問題に関わらせて、ハルさんの立場をまずくすることだけは避けたい。

「お兄さん、お願い。ハルさんの言うとおり、自分で調べて候補を絞る。それでもどうしても迷ったら、その時は力を貸して。約束して」

「……うーん」

「私、ちゃんと真面目に考えてるのよ」

「……うーん」

「お兄さんの意見は、判断材料のうちのひとつとして聞くから」

「……うーん」

「ちゃんと決断は自分自身で出すわ。それならいいでしょう?」

「……んー……」

「──お兄さん」

 いきなりガラリと声の調子が変わった。

 は? と顔を上げると、こちらに向けられた愛美の目が完全に据わっていた。

 あ、しまった。

 どうも、おれの優柔不断な態度は、母によく似た性格の妹をぷつんと切れさせるのに十分だったらしい。この時になって自分の対応を失敗したことに気づいたが、もう手遅れだ。

 愛美は顔つきまでが、母親そっくりになっていた。


「お兄さんが、桜庭の家にいた頃の話だけどね?」

 え、なに、唐突に。


「ある日ある時、ちょっと借りたいものがあって、私、お兄さんの部屋に行ったのよ。それでノックしたんだけど返事がなかったの。いないのかな、諦めようかな、とも考えたんだけど、もしかしたら眠っているかもしれないと思って、そうっと部屋のドアを開けてみたの。ごめんなさい、お兄さん。今、謝っておくわね」

「はあ……?」

 おれはただぽかんとするばかりである。ごめんと言いつつ、愛美の顔はまったく謝罪している人間のそれではない。なんだか変なオーラが漂っているのは気のせいか。

 桜庭の家は個人のプライバシーを尊重するので、親兄妹といえど、本人不在の時に、勝手に部屋のドアを開けたり室内に入ったりするのはよしとはされていない。しかしまあ、それで目くじらを立てるほど、おれだって狭量ではない。一応自分の部屋は、誰の目に触れても問題ない程度にはいつも片づけられていたはずだし、見られて困るようなものもなかった……はず。

「あれはいつごろだったかしら。そうね、確か、ハルさんとはじめて会って食事して、そのしばらく後くらい?」

「…………」

 あの頃は確かに、おれは家を空けることが多くて、自分の部屋にもほとんどいなかったな、と思い出す。どうしよう、まだ話がさっぱり見えてこないのだが。

「それでね、別に見るつもりはなかったんだけど、位置の関係で、目に入ってしまったの。ほら、お兄さんの部屋、ドアを開けると、窓際の机がすぐ視界に入るでしょう? 見えてしまったのよ」

「机……」

 おれ、机に、見られちゃまずいものを何か出しておいたかな。通常、仕事の書類とか、本とかしか置いていなかったはずだけど。

 ……いや、待て。

 ハルさんと会ってから、おれの部屋の机の上に置いてあったもの──


 あれか!


「ちょっ……!」

 思わず勢いよくソファから立ち上がったおれに、にやりと笑う愛美と、怪訝そうなハルさんの視線が刺さる。勝手に顔が赤くなった。

「愛美、ちょっと待て」

 うろたえる。いや、別にそれは決して見られてまずいものではない。責められるようなものでもない。と思う。しかし知られたくはない、断固として。ハルさんにだけは。

「脅してるつもりはないのよ? でも、妹の懸命なお願いなんだから、もうちょっと聞き入れてくれたっていいんじゃないかなって思うわけよ。今まで黙ってたんだから、私、そんなに口が軽くはないはずなのよね。でもお兄さんの返事次第で、この先の保証はしかねるわ」

「それは間違いなく脅しだろ!」

「──まあ、哲秋さん」

 ものすごく楽しげな笑みを含んだ声に、隣を見ると、真夏の太陽並みにキラキラ輝いている瞳とばっちりかち合った。その場に突っ伏したくなる。

 この目、この笑顔、悪ノリ全開だ。この人はこうなるともう手に負えない。

「いいえそんな、よろしいんですのよ。どうかご安心なさって。私、その件について、さほど偏見は持っていないほうだと思いますの。哲秋さんが何をご趣味にしていても、見る目を変えたりはいたしません。どんと来いですわ」

 ハルさんは、この上なくわざとらしく優しげな声音で言って、鷹揚に大きく頷いた。

「たとえ、いかがわしいご本であろうが、少々えげつない内容のDVDであろうが、趣向を凝らした道具であろうが」

「ハルさん何を想像してるんですか?! 違いますよ!」

「ある意味、その類のものよりもドン引きされるかもしれないわよねえ」

「愛美、お前はあとで説教だ!」

 ──結局、おれは、今後の愛美の就職先選びについて、協力を約束させられることになった。



 ちなみに、現在のおれの財布の中にも、笑顔のハルさんの写真がこっそりと忍ばせてあるが、そのことは、墓に行くまで誰にも秘密にしておこうと思っている。




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