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オマケの詰め合わせ  作者: 雨咲はな
一匹狼と森の熊
8/19

狼の休息



 ──大神さんが、ちっとも動きを止めない。


「そういえば冴木さん、最近、世間では、勝手に家を掃除してくれるロボットっていうのがあるらしいっすよ。知ってます?」

 さっきからチョコマカと動き廻りながら、家の中をせっせと掃除している大神さんは、手を止めることなく、座っている僕に問いかけた。

 片手にハタキ、片手に箒を持って、ジーンズの後ろポケットには雑巾が差し込まれている。場所と状況に応じて、それらを自在に入れ替わらせながら使いこなすその動きは、ほとんどプロの清掃員のように無駄がなかった。

「はい、知ってますよ。あんまり、『最近』ってほどでもないような気がするんですけど……」

 僕は、部屋の中を掃除して廻る大神さんの姿を目で追いながら、そう返事をする。こちらを綺麗にしたと思ったらすぐあちら、まるで背中にゼンマイでもついているかのようにちゃかちゃかちゃかと目まぐるしく移動するので、それを追いかけるだけでも忙しい。

「へー、そうなんっすか。近頃の科学の進歩っていうのはめざましいっすねえー。で、やっぱりそのロボットは猫型なんすかね。喋ったり、ゴハン食べたり、イジメっ子から助けてくれたり……」

「いやいやいや、違います」

 慌てて、暴走していきそうな大神さんの想像を止める。

「お掃除ロボっていっても、手足や目鼻がついたロボットじゃないんです。なんていいますかね……円盤状で、下にブラシが取り付けられていて、自動的に走行して床のゴミを吸い取っていく、というような、そんな感じのものですね」

「なんだ、そうなんすか」

 大神さんは、きょとんとした丸い瞳をこちらに向けたが、動きは止めなかった。今は、部屋の隅に置かれたテレビを几帳面に雑巾で拭いている。てきぱきと手早いが、小さな凹凸や背面までも見逃さない。

 そこまでやらなくてもいいんじゃないかな、と思うほどに念の入ったその掃除の仕方は、この住居全体に及ぶらしい。リビング兼、ダイニング兼、応接間兼、大神さんと彼女の母親の寝室、という六畳の和室と、すぐ隣の、単に流しのあるスペースとしか言いようのない小さな台所は、座卓や蛇口に至るまで、どこもかしこもピカピカだ。

 大神さんが働くところを僕もよく知っているけれど、普段のものすごく適当で大雑把な性格とはなかなか結び付けることが難しいほど、彼女の仕事っぷりは、非常に細かく迅速で、かつ、丁寧だった。


 ……そして、まったく、「休む」ということを知らない。


「お掃除ロボが欲しいんですか?」

 大神さんが、「あれが欲しい」と言うところを、僕は今まで見たことがない。確かに多少高額だが、買えないわけでもないので、もしも欲しいと言うのならプレゼントしようかな……と思いながら言うと、テレビを綺麗にした大神さんは今度は窓の桟に雑巾をかけながら一蹴した。

「まさか、要らないっすよ。こんな狭い家、ロボット様に掃除していただくなんて、もったいない。逆に、こんな貧乏くさいところにいられるかーって、怒って家出されそうじゃないっすか」

 大神さんは、まだ何か、勘違いをしているらしい。

「でも、少しは大神さんの負担も減るんじゃ」

「負担なんて大層なもんじゃないっすよ。ほら、もう終わった。よし、お待たせしました冴木さん、お茶入れますね。何がいいっすか。緑茶と麦茶とインスタントコーヒーと牛乳がありますけど。今まで何も出さずに放っといてすいません。ホコリが入るといけないと思って」

「いえ、お構いなく」

 ようやく雑巾をバケツに放り込んで、くるっと振り返った大神さんに、僕はなにがしほっとして答えた。お茶はともかく、掃除が終わったんだな、と思ったからだ。ようやくこれで、落ち着いて座ってくれるだろう。

「じゃあ、麦茶出しますねー」

 大神さんは台所に行くと、流しで綺麗に手を洗い、冷蔵庫から麦茶の入ったポットを取り出した。当然、彼女も一息つくのかと思ったら、僕の前の座卓に置かれたグラスは一つだけで、どーぞーと言うと、大神さんはまた冷蔵庫へと逆戻りし、今度は買い置きの確認をしはじめた。

「えーと、卵と……味噌と……あっ、バターがない。バターは値段が高いから、パンには極力薄く塗れとあれほど……」

 ぶつぶつと呟き、ついでにチラシでセール品の確認をして、トイレットペーパーが安いのか……いや待てよ、でもこれはドラッグストアのほうが……などと、眉を寄せて苦悩したりしている。大神さんのこんな真剣な表情、僕ははじめて見た。

「大神さん」

「はい、なんすかー。だよね……値段が十円高いとしても、ポイントのことを考えると……」

「大神さん、あのね」

「ポイント全部貯めると五百円の金券貰えるし……五百円……大金だ……」

「僕の声、聞こえてますか、大神さん」

「いいな、五百円……悩むな……それだけあったら、憧れの入浴剤をゲットして……うちで温泉気分が味わえるなんて夢みたいだよね……」

「──利律子さん」

「うわ、はい!」

 半分うっとりしながら夢想世界に入り込んでいた大神さんは、悲鳴のような声を上げて飛び上がった。

 胸を手で押さえ、赤くなった顔で、こちらを振り返る。

「ななな、なんすか、いきなり名前で呼ぶなんて反則じゃないっすか、心臓がひっくり返りました」

「いいから、ちょっとこっちへいらっしゃい、利律子さん」

 もう一度名前を呼んで手招きすると、大神さんはさらに真っ赤になって、素直に僕の前にやって来て正座した。不審者みたいにそわそわそわと上半身を小刻みに動かしながら、頬を赤く染め、伺うようにちらっと上目遣いに僕を見る。

「…………」


 ──かわ……


 はっ。いや、いかんいかん。

 ここで僕まで照れていたら、話はどこかまったく別の方向へと逸れてしまう。蒸発しそうな理性に歯止めをかけて頭を振り、僕はなんとか真面目な顔を取り繕った。

「僕が今日、こうして大神さんのお宅にお邪魔することになった成り行きを、覚えてますか」

「そりゃ覚えてますよ。これからゴハンをおごってくれるって……」

「そうです。もともと僕は、君をデートに誘ったんです。どこかに遊びに行って、それから食事を一緒にしようと」

「久しぶりですよねー」

「どうして久しぶりかというと、このところずっと、君が忙しかったからです」

「私じゃないっすよ。忙しかったのはバイト先です」

「君が最近になってバイトを始めた仕出し屋さんですよね。急に予定外の受注が相次いで、てんてこ舞いだったとか」

「もともとバイト人員が少ないところなんで、手が足りなくなっちゃって、大変だったっすよ」

「それで君は、バイト先に頼まれて、というより、自分から率先して名乗りを上げて、毎日のように深夜まで残業を続けたんでしょう」

「いやーもう、時給を上乗せしてもらった上に、夜食まで出してもらえて、笑いが止まりませんでしたね」

 大神さんは、うししと笑って、本当に嬉しそうだった。とても、その余分なバイトのせいで、睡眠時間三時間という過酷な生活を二週間続けた女の子とは思えない。

「……ですから……」

 ふー、と僕は深いため息をつく。僕がその間、どれほど身の細る思いで彼女を心配したかなんて、ちっとも判っていないらしい。実際、バイト先で夜食をたらふく食べた大神さんは一キロ体重が増えたそうだが、僕は三キロくらい痩せた。

「この上外を出歩いたりしたら、その君がもっと疲れるだろうと思って、夕飯まで家でゆっくりしましょうか、と提案したんです。それも、自分の家のほうがリラックスできるだろうと思って、図々しくも僕がこうしてお邪魔しているんです。判りますね?」

「判りますよー」

 大神さんは胸を張って威張っていたが、これまた、ちっとも判っていなかった。僕のアパートに呼んだりしたら、多分、いろいろと抑えが利かなくなって、大神さんをまた疲れさせるかもしれないからと僕が危惧したことも、絶対に判っていない。

「お母さんと弟君も誘って、みんなで賑やかに食事するのもいいなと思っていたんですが」

「二人とも仕事で、すいません。私んち、三人全員が揃うことなんて、滅多にないっすよ」

 相変わらず、あっけらかんと言う。聞けば、彼女の父親がいなくなってから、この家はずっとそのような感じであったらしい。六畳二間と風呂・トイレ・台所というこの家は、逆に三人揃うと一人寝るスペースがない、などと笑うので、僕はちょっと泣きそうになってしまった。

「……いや、それはともかく、僕は少しでも、君に休んでほしかったわけです。家の中で寛いで、お喋りしたり、テレビを見たり、ゴロゴロしたり」

 ゲームをしたり、映画のDVDを観たり、と付け加えようとしたのを呑み込んだ。この家には、そういった娯楽のための機器が一切ない。

「いやー、ホントに」

 何も判っていない大神さんは、能天気な笑顔で同意した。


「私も、こんなゆっくりしたのは久しぶりっすよー」

「どこがですか!」


 僕は思わず大声を出し、平手で目の前の座卓をバンと叩いてしまう。

 寸前で力を抜いたので、割れもせず、キズもつかずに済んで、ほっとした。もともと家具らしい家具がほとんどないのに、唯一の家族のテーブルを、僕が壊してしまってはシャレにならない。

「大神さん、僕が来てからずっと、一度も座ってないじゃないですか! 洗濯して料理の下ごしらえして掃除して、しかも今から買い出しに行こうとしてたでしょう。君はなんですか、動きを止めると、そのまま死んでしまったりするんですか」

「やだな冴木さん、いくら私だって、寝る時は止まってますよ」

「僕は皮肉を言ってるんです」

「なーんだ、あはは」

「笑っていいところじゃありません。大神さん、いいですか、君はもういい加減、自分の身体を大切にするとか、息を抜くとか、そういうことを覚えないといけません。そうやって突っ走るだけ突っ走って、ある日いきなり倒れてしまっては元も子もないでしょう。お母さんだって、弟君だって、いやそもそもあの人たちもちょっと働きすぎなくらいなんですけど、君の自分を顧みない無茶な労働には心配をしてるんです。もちろん僕だって……」

 僕は精一杯怖い顔をして、ガミガミとお説教を続けたが、大神さんはなんだかやけに嬉しそうにニコニコしながら僕を見返しているだけだった。

「……聞いてます?」

「聞いてます、心の底から真面目に」

「…………」

 脱力する。はあーっ、ともう一度ため息を吐いた。

「もういいです。僕が間違ってました。……最初から、こうすればよかったんだ」


 言うと同時に手を伸ばし、正座をしている大神さんを引っ張り寄せて、抱きしめた。


 小柄な身体を抱く時は、力の加減が難しくて、いつも迷う。思いっきり強くてもいいっすよー、などと大神さんは軽い調子で言うが、本当に僕が思いきり力を込めると、この働き者の、態度だけは大きいけれど小さな女の子は潰れてしまうだろう。

 そうしないように、慎重に、でも、逃がさないように、腕の中に閉じ込める。

 大神さんは、僕の胸に頬を当てて、うししとまた色気のない笑い声を立てた。

 ずっと一匹狼として、誰にも頼ることなく頑張ってきた彼女が、今はまるで、懐っこい猫のようだ。上機嫌な顔ですりすりと頬ずりして甘えてくる様子はなんというかもう、可愛いとしか表現できない。

 僕は理性を総動員して、少しだけ腕に力を込める。すぐ近くにある真っ赤な耳に唇を寄せ、そっと囁いた。

「──このまま、じっとしていましょうね、利律子さん」

「はい、悠一さん」

「…………」

 不意打ちを食らって、僕まで赤くなる。

 大神さんは本当に僕に抱きしめられたまま、へへへと笑いながら大人しくしていたが、ぽふんと顔を胸にうずめると、すぐに静かになった。

 それだけではなく、笑い声が止まり、くたっと彼女の身体から力も抜けた。

 え?

 あれっ、気づかないうちに絞め技でも使っちゃったか? と大いに焦って覗きこみ、よくよく見たら、違った。

 大神さんは、僕の胸に頭全体をもたれかけさせて、すうすうと安らかな寝息を立てていた。

「…………」


 ──起きてる間は動きが止まらないけど、動きを止めると、途端に寝るんだ……


 お掃除ロボよりもずっと判りやすい。ひょっとして、背中に乾電池でも入ってるんじゃないだろうか。いや、彼女の背中にそういうものが付いていないのは、もう確認済みだが。

 くーかくーかと安心しきった寝顔に、僕は可笑しくて可笑しくてしょうがなかった。笑いをこらえて、せめて楽な姿勢を取れるように、注意して腕を動かし態勢を整える。少し動いたくらいでは、大神さんはまったく目を覚まさない。それだけ疲れているのだろう。

 眠っているのに、大神さんはえらく幸せそうだった。腕の中で眠り続けるその顔を飽くことなく見つめて、僕も笑みが零れる。

「まったく……」

 笑いながら、おでこに唇を落とした。


 いろいろと目が離せない、困った人だけど。

 でもこれからもこうやって、彼女の平和な眠りに付き添えるのは、僕であればいいなと思う。

 目が覚めた時、そこに僕の顔を見つけて、安心してくれるといい。

 彼女にそうやって安心してもらえるような自分になれるといい。

 ……そうして、僕の顔を見て、「よし今日も一日頑張ろう」って大神さんに思ってもらえたら。


 僕も多分、とても幸せだ。




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