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オマケの詰め合わせ  作者: 雨咲はな
最終列車
7/19

聖夜の迷走列車



 クリスマスの夜は、やっぱりどこもかしこも大変な人で賑わっていた。

 街のあちこちがイルミネーションで輝き、全体が浮かれた雰囲気に包まれている。平日とはいえ、仕事を終えてほっとした顔の男女が、夜はこれからとばかりに寄り添う姿は、見ているこちらも、それだけで楽しくなってしまうくらいに陽気で幸せそうだった。

 凪子が立っているのは、闇の中でキラキラと煌めいて存在を主張する大きなツリーの前なので、待ち合わせスポットとして使う人々はかなり多く、なおさらそういうカップルばかりが目につくのかもしれない。

「凪子さん、すみません、遅くなりました」

 ぼんやりと目の前を行き交う人の波を眺めていた凪子は、背後からかけられた声で我に返り、口元を綻ばせた。

「いえ、あたしも──」

 さっき来たところだから、と続けようとした言葉が、振り返った途端、喉の手前で途切れて消える。ぽかんとしてしまったのは、一瞬、人違いかと思ったからだ。

「……え、と、仁科さん?」

 つい、確認してしまう。もちろん、そこにいるのは凪子の恋人の仁科その人なのだが、彼があまりにも見慣れない──というか、はじめて見る格好をしていたため、戸惑いのほうが先に来てしまった。

「そうです。似合いませんか」

 スーツ姿の仁科が、そう言って、照れくさそうに笑う。凪子は慌てて首を横に振り、「いいえ、とっても似合います」と強い口調で太鼓判を押した。

 普段、駅員の制服姿と、ラフな私服姿しか見たことがなかったのだが、ぱりっとしたスーツに身を包んだ仁科はかなり新鮮だった。スーツの色もネクタイも、年齢のわりに渋めの色合いで、それがかえって落ち着いた好印象を受ける。身体つきが引き締まっているから何を着ても似合う、というのは少々恋人の欲目が入っているかもしれないが、今の仁科は、正直に言って、少し見惚れてしまうくらいだった。

「すごく素敵。このまま雑誌のモデルにもなれそうなくらい、格好いいですよ」

 と笑顔で言うと、仁科はますます照れたように頭を掻いて笑った。凪子はかなり本気だが、それが客観的事実であるかはこの際問題ではない。いいじゃないですか、クリスマスの恋人同士なんだから。

「仁科さん、スーツ持ってたんですね」

 と、考えようによっては失礼なことを思わず口にしてしまったが、仁科は素直に「いえ、これ借りものです」と告白した。

「一応持っていないこともないんですが、成人式の時のスーツを着るのもなんだなと思いましてね、友達に借りました」

「大川さんか、小泉さんに?」

 独身寮で仁科と仲が良いという(本人談)先輩と後輩の名を出して訊ねたが、「まさかあー」と明るく否定された。

「あの人たちの洋服が、僕に着られるわけないじゃないですか、体格がまったく違いますもん。普通に会社員をしてる学生時代の友達です。いいやつなんですよ。あっ、今度凪子さんにも紹介しますけどね。いえ、僕は自分のいちばんの晴れ姿っていうか、僕が最高に似合うのは制服姿だと思ってるから、それでいこうかなとその友達に相談したんですよ。そうしたら、それだけはやめとけって止められまして。俺のスーツを貸してやるからそれ着て行けよ間違っても駅員の制帽なんかをかぶっていくんじゃねえぞって念を押された挙句、こうしてスーツのコーディネートまでされたんですけど、こういうのって着慣れないからとにかく恥ずかしくて。おかしくないですか、凪子さん」

「おかしくないですよ、全然」

 ぺらぺらと一気に喋られるのはもう大分慣れたので、凪子はにっこりと笑って頷いた。クリスマスのデートに、そこまで気合いを入れて「いちばんの晴れ姿」を考えなくてもいいのでは、と思わないこともないのだが、仁科の思考が時々変わっているのは今に始まったことではないし。確かに仁科に最高に似合うのは駅員の制服姿だとは凪子も思うが、実際にその格好で来られても、それはそれで少し困るし。

「それでは、行きましょうか、凪子さん」

「はい」

 仁科に差し出された手を、凪子は自然に握った。この格好でサマになるのは、腕を組む形なのだろうけれど、こうして手を握って歩くのが自分たちには合っている気がする。腕を組むよりもじかに伝わってくる大きな手の平の温もりが、吹きつける冷たい風のことも忘れさせてくれるようだった。

 顔を見合わせ、二人で微笑んだ。




 仁科に案内され、到着したレストランの前に立ち、凪子は少し驚いてしまった。

 テレビや雑誌などで名の通ったシェフのいる、かなり有名な店である。シェフの名前が店の名前の一部にもなっていて、誰でもその名を聞けば、ああ、あそこ、というくらいよく知られているところだ。そのあとで、一度は行ってみたいよねえ、などと続く程度に憧れられるような店。要するに身も蓋もない言い方をすると、それだけ値段が高い。

 仁科からは、クリスマスの日はお互い仕事ですからせめて夜の食事だけでも一緒に、と誘われただけだったので、こんな高級店に連れてこられるとは思ってもいなかった。何を着ていこうかなと迷ったのだが、ややドレッシーな黒いワンピースを選んでおいてよかった、とほっとした。

 大丈夫ですか、などと聞いては、エスコートしてくれた仁科の顔を潰すことにもなりかねないので黙っていたが、凪子は内心、ドキドキだ。こういう店で夜の食事、しかもクリスマスディナーだと、多分、ひとり分で二万は超える。

「心配しなくてもいいですよ、凪子さん。僕もちゃんと、こういう店でいくらくらいかかるかは、知ってますからね。もちろん、こちらからお誘いしたんですから、僕がご馳走します」

「いえ、そんな」

 落ち着かなさげにもじもじしているのが伝わったのか、テーブルで向かい合った仁科がそう言ってくれたが、凪子は安心するどころかますます困惑してしまった。凪子自身は、それなりに給料をもらっているし、こういう店に来るのもはじめてではない。支払いはどうしよう、なんてことを心配しているわけではないのだ。


 ──仁科さん、無理してるんじゃないかしら。


 どう考えても、高級レストランでクリスマスディナー、なんて、いつもの仁科の発想ではない。どこかで適当に食事して、そのあとで美味しいケーキを買って、凪子のアパートで二人仲良く食べる、というコースのほうが、よっぽど喜びそうだ。

 雑誌やネットで、クリスマスのデートはこうすべき、とかの情報を得たのかもしれない。それともさっき言っていた友人に聞いたのかもしれない。仁科は仁科で、凪子を喜ばせようと考えてくれたのだろうが、それで精神的にも金銭的にも無理をさせているのだとしたら、つくづく申し訳なくなる。

 あたしは仁科さんと一緒にいれば、それだけで楽しいですよ、と事前に言っておくべきだったかな、と凪子は反省した。

 スーツ姿の仁科は、照明の抑えられた静かな店内で、いつものようにマシンガントークを展開させたりはしなかった。ニコニコ顔もどことなく緊張気味で、口数も普段よりよほど少ない。女の子ばっかりのファンシーなケーキ屋で、一人浮きまくっていても楽しそうに喋る仁科が、ここではまったく浮きもせず高級な雰囲気に馴染んでいるが、借りてきた猫のように大人しい。どちらの仁科がいいかと問われれば、凪子にとってはそりゃあ一も二もなく前者に決まっている。

「あの、仁科さん……」

 コースがデザートに進んだところで、凪子は遠慮がちに呼びかけた。甘いものには目のない仁科なのに、せっかくの豪華なデザートにも、ろくろく口をつけていない。

 よかったら、食事の後でアパートに来てお茶でも──と言いかけたのだが、その前に仁科に遮られた。

「凪子さん」

 大変な真顔である。凪子はちょっと怖くなった。

「は、はい」

「あのね、凪子さん」

「はい」

「電車が並走するところ、見たことありますか」

「は?」

 表情とはまったくそぐわない話題をいきなり持ちかけられて、一瞬言葉を失う。

 しかしそれから、少しほっとした。今日の仁科はちっとも鉄道の話をしないので、それも調子の狂う一因だったのだ。時々意味が判らなくて困ることも多々あるが、仁科はやっぱり、鉄道の話をしている時がいちばん生き生きして楽しそうな顔をする。そういう彼の顔を見れば、凪子だって楽しい。

「えーと、電車が並走ですか? 同じ方向に並んで進むってことですよね? どうだったかな……すれ違うことは、よくありますけど」

「そんなにしょっちゅうあるわけではないんですよ。区間の一部分でたまたま、とかね。長い時間並んで走行するわけでもないし。新幹線でも、ごく稀に、条件が揃えば並走することもあります。少しだけですけど」

「新幹線でも?」

 あんなに早い速度で走る新幹線が、二台並んで走るところは、確かに壮観かもしれないなあ、と思いながら問い返す。危なくはないのかしら。

「まるで、電車同士が競争してるみたいな眺めなんでしょうね」

「そう、そうですね、見ているだけでわくわくします。なかなかロマンを感じさせる場面ですよ。でもね、僕はあの、それは競争っていうかね、なんていうかこう、まるで電車や新幹線同士がね、仲良く手を繋いで線路上を走っているような、そんなほのぼのとした様子に見えるんですよ。や、もちろん手はないわけですが。でも非常に微笑ましいっていうか、ああ、こうやって同じ方向に進んでいくのっていいなあっていうか、ずーっといつまでもこうやって二台並んで進んでいければいいのになあって、夢を見てしまうっていうか」

 妙に意気込んで仁科は滔々と話し続けている。凪子はうんうんと頷いて、今の仁科さんの姿のほうがよっぽど微笑ましいわ、などと呑気なことを思いながらそれを聞いていたのだが、突然、ぴたりと黙った仁科に、改めて再び真顔を向けられて、戸惑った。

「で、凪子さん、ここからが本題なんですけど」

「は?」

 本題?

「──凪子さんは、そういうの、どう思います?」

「は……?」

 間の抜けた声を出して仁科を見返すと、そこにあるのは真剣なくらいの表情である。怖い。なんだかもう、いろんな意味で、今日の仁科は普段よりもおかしさが際立っている気がする。

「そういうの、っていうと……あの、電車の並走についてですか」

「そうです」

「…………」

 そうですと言われても、実のところ、凪子は生まれてこのかた、電車の並走について、を真面目に考えたことはただの一度もない。

「ええと……」

 しかし凪子は頑張った。二台の電車が並んで走行するイメージを一生懸命頭に浮かべ、自分はそれについてどう思うのだろうと考えてみる。

 考えてみたが。

 ……うん、ごめんなさい、仁科さん。やっぱり特になんとも思わないです。

「そうですね……えっと、そうやって、並んで走っている電車が」

「はい」

「いずれ、別々に離れていくところは、ちょっといいかなあって思います」

「…………」

「だってほら、くっついて走る電車が、ゆっくりと二つの方向に別れていくわけですよね? そういうシーンって、なんとなく、綺麗っていうか、風情があるように見えるんじゃないかな。これからそれぞれの目的地に向かっていくんだなあっていう、物語性を感じて、いいかなあって思うんですけど」

「…………。凪子さん」

「はい?」

 仁科は少し顔色が悪かった。ワインで酔っちゃったのかな、と凪子は心配げに眉を寄せる。酒には強い仁科だが、やはり慣れないスーツにこんな店だもの、悪酔いしたとしても無理はない。

 気のせいか、彼はなんとなく、泣きそうな顔をしているようにも見える。

「あの……それは、電車の話ですよね?」

「は?」

 今の今まで電車の話をしていた本人にそう問われ、凪子としては首を傾げるしかない。

「そう、ですけど……?」

「ですよね。うん、それならいいんです。いや、よくはないんですけど、せめてもの救いです」

 ははは、と笑ったが、いかにも力がない。

 それからの仁科は、目に見えて消沈したように肩を落としていた。

 ……やっぱり、無理をしてるんだなあ、とその様子を見て凪子は思った。

 今日の食事のお礼に、今度は凪子のアパートに招待して、手料理でも振る舞おうかな、と考える。美味しいケーキでも買って。

 その時には、また目を輝かせて鉄道のことを楽しげに語る仁科に戻ってくれるといいのだけど。




         ***




 ──ちなみにそのクリスマスデートの後、仁科が暮らす独身寮では、大川と小泉が、延々と続く愚痴に付き合わされて、えらい迷惑をした。

「……凪子さんて、なんであんなに、ニブいんですかね……」

 いくつものビール缶を消費して、テーブルの上に突っ伏して呻く仁科の姿は気の毒と言えば気の毒だが、二人ともまったく同情してやる気はない。小泉に至っては下戸なので、さっきから飲んでいるのはウーロン茶である。なんで素面でこんなバカバカしい話を聞かなきゃならないのかと、少し泣けてくるくらいだった。

「言っとくけど、悪いのはお前だから。マドンナがニブいわけじゃねえから」

「電車の並走する話が、プロポーズ、だなんて思う人間は、普通いませんから」

 早いところこの男に独身寮を出て行ってほしいなあ、と思う大川と小泉だが、その日はまだまだ先のことらしい。

 二人は揃って、盛大なため息をついた。




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