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オマケの詰め合わせ  作者: 雨咲はな
最終列車
6/19

仁科の後輩、小泉君



「あっ、小泉君、小泉君」

「…………」

 寮の廊下を歩いていたら、後ろから陽気な声がかかって、小泉はものすごくイヤそうな顔で振り向いた。

 本当言うと、このままダッシュでその場から逃げ出したいくらいだったのだが、そうすると、のちのちもっと面倒くさいことになるのは必至なので、仕方なく立ち止まる。明日も朝から仕事があるというのに、また夜中の二時まで口説きの練習相手にさせられるのは真っ平御免だ。

 大体、先輩の仁科と、そのマドンナ(とこの寮では呼ばれている)とは、もうすでにれっきとした恋人同士という関係のはずなのである。しかもかなりウザいくらいに仲睦まじくて、この独身寮という場所柄、周囲から鼻つまみ者扱いされているくらいなのである。なのにどうしてまだ口説く必要があるのか、そしていちいちどういう言い方がいいのだろうと真剣に悩むのか、わけが判らない。

「……なんです」

 警戒しながら渋々返事をすると、近寄ってきた仁科はにっこりした。白い長袖のTシャツにスウェットというラフな格好で、首にタオルをかけている。大川あたりだと非常に独り者の侘しさが滲むそんな服装でも、仁科だとなぜかサラリと爽やかだ。胡散臭い、と小泉としては思わずにいられない。

「僕、今から風呂入ろうと思うんだよね。小泉君も一緒に入ろうよ」

「やですよ。なんですか、その気色の悪い誘い。そんなセリフこそ自分の彼女に言ってくださいよ」

「いやだな、それとこれとは別でしょ。今僕が言ってるのは、さっぱり汗を流して一日の疲れを癒しつつ、風呂という気の置けない場所で、後輩の仕事の愚痴を聞いたり、恋の悩みごとの相談に乗ったり、近い距離でお互いの胸の内を曝け出して、仲間としての親睦を図りながら先輩への信頼を深めようという、職場のコミュニケーションの一種でしょ。大体僕、凪子さんを誘う時はこんな露骨な言い方出来ないよ、恥ずかしくて」

「誘うこと自体は否定しないんですね。いやそんなことより、仁科さんと一緒に風呂入ったって、僕が得るものはまったく何もありませんから。いつも喋るのは一方的に仁科さんで、それも九〇パーセントは彼女のノロケで、残りは鉄道マンへの憧れを延々と語られるだけなんですから。風呂くらいは寛いで静かに入りたいので、お断りします」

「そんな冷たい。せっかく風呂に入るのに、一人で黙ってるなんてもったいないじゃない」

「いや意味がわかんないんですけど、その理屈。仁科さんこそ、風呂に入ってる時くらいは黙っててください」

「だって寂しいでしょ?」

「なんでそんなに寂しがりなんですか。僕はちっとも寂しくありません。とにかく、断固として一緒には入りませんよ!」

 と、小泉はきっぱりと言い切った。



 ──で、その十分後。

 小泉は、仁科と寮の風呂場の湯船に浸かっていた。

 なんでこうなってるのか、自分でも判らない。おかしいな、きっぱり断ったはずなのに。相手が仁科だと、しょっちゅうこういう事態に陥りがちなのはどうしてなのだろう。魔法か。催眠術か。流行りのメンタリズムというやつか。どっちにしろ、もうやだ、この人。

 先輩としての仁科は、性格が悪いわけではない。というより、どちらかといえば、良い方だ。先輩にも上司にもそれなりに礼儀正しく、後輩の面倒見もそれなりにいい。仕事に対してはとことん真面目だし、誠実なところも尊敬できる。彼女に対しても、すごく大事にしているんだなあ、というところが丸見えで、微笑ましく思えないこともない。

 でも、迷惑なのである。

 そもそも、電車が好きだから、というよりは、安定してるから、という理由で鉄道会社に就職した小泉には、時に暴走しがちになる仁科の鉄道愛には、今ひとつついていけない。彼女もいないこの身には、いつまでも続くノロケ話には、もっとついていけない。「小泉君、凪子さんの役やってね」と、何時間も口説きの練習に付き合わされるに至っては、もう本気で泣いてしまうくらいである。

 この寮では最年長の大川に相談しても、「俺にあいつの話は振るんじゃねえ」とすげなく一蹴されるし。

 仁科のことは別に嫌いじゃない。親切なところも、優しいところもちゃんとある。時々は、本当に良き先輩として世話を焼いてもらうこともあるし、恩義を感じることもある。

 ──でも、やっぱり迷惑なのだ。

 ぶくぶくと鼻の下まで湯に浸かってこの世の不条理さを呪っている小泉の隣で、仁科はやっぱりべらべらとノロケを喋り続けていた。

「それでねえ、聞いてくれる? 小泉君」

「聞きたくありません」

「この間、凪子さんとケーキを食べに行ってね。ほら、最近テレビで紹介された、評判の店なんだけど。小泉君は甘いもの好きじゃないから、知らないかなー。小泉君は甘いものも好きじゃないのに、その上、下戸なんだよね。可哀想に、人生の半分損してるよね。今度、デートのお土産に君にも美味しいケーキ買ってきてあげるね、ホールで」

「なんの嫌がらせですか。結構です。そして大きなお世話です」

「それでそのケーキ屋で、前々からずっとしてみたいと思ってたことを、実行したんだ。ほら、『一口ずつ交換』ってやつ。二人で別々のケーキ注文してさ、こっちも美味しいですよ、食べてみます? はいアーン、って。いやもう、照れるなあ」

「照れるならしなきゃいいじゃないですか」

「そうしたら凪子さんが赤くなっちゃって。もう、人が見てますよ、とか言いながらね、それでも恥ずかしそうに僕が差し出したケーキをパクッて食べてね。その可愛さといったらもうね、ホント殺人級なんだよ、小泉君」

「………………」

 いっそ、そのまま殺してくれればよかったのに。

 と小泉は心の中で思う。風呂場には、他に寮の男たちが数人いたが、頭を洗いながら、身体を洗いながら、湯船に沈みながら、誰もかれもが殺気を立ち昇らせている。こんなにも殺伐とした入浴タイムは、人生でなかなか経験できない。ちっとも嬉しくない。

 そんな中で、仁科一人だけが、頭にタオルを乗せゆったり寛いでご機嫌だ。

 話を聞き流しながら何気なく見やると、湯船から覗いているその上半身はしなやかに引き締まって、風呂の縁に置かれた腕は細すぎもせず太すぎもせず、しっかりと筋肉がついていた。仁科は、同性から見て、ちょっと嫉妬してしまいそうになるくらい、実に均整のとれた身体つきをしているのだ。小泉は痩せていて、どちらかというと貧相な体格なので、尚更羨ましい。かといって、大川みたいなごつい体にはなりたいと思わないのだが。

「仁科さんて、何かスポーツやってましたよね?」

 唐突な小泉の話題転換にも、仁科は気を悪くする風でもなく、うん? と笑って問い返した。

 お喋り好きの困った人ではあるが、他人の話にもちゃんと耳を傾ける、というところは美点かもしれない。通常は仁科の喋りに圧倒されて、なかなかこちらからは話を切り出せない、という問題点はさておいて。

「スポーツかあ。うーん、そうだね、スポーツといえないこともない」

「なんでそんな曖昧に濁すんですか」

 聞きたくないことは構わず話してくるくせに、こっちから訊ねたことにはどうしてそんなに話したくなさそうなのだ、と思ったら、ちょっと意地になった。しつこく食い下がる。

「サッカーとか野球とかの、メジャーどころじゃない、ってことですか」

「ああ、うん、メジャーではないな」

「えーと、じゃあ、なんだろ。少し変わり種ってことですよね。ホッケー、とか、フェンシング、とか」

「オリンピック競技になるようなのは、メジャーっていうんじゃないかな」

「え、もっと少数派ってことですか」

 小泉は困惑した。もともと運動は苦手な方なので、そちらの知識が豊富にあるわけでもない。しかし、スポーツといえないこともない、という仁科の言葉から、ぱっと閃くものがあった。

「あっ、ひょっとして、格闘技系ですか。大川さんみたいに、柔道とか、そういう」

「……うん、まあ、そんなようなもの、かな。何にしろ、今はもう、やってないしね。この話はいいんじゃない?」

 仁科が困ったように笑っている。この話題はさっさと切り上げたい、という思惑が顔と態度に出ていた。ますます怪しい。

「いいじゃないですか、教えてくださいよ。なんでそんなに内緒にすることがあるんです? 格闘技を習ってたなんて、カッコイイのに」

「うーん、でもさ」

 と、仁科が頭を掻いた。

「その気になれば素手で人を殺すことも出来るよ、っていうのは、なんだか鉄道マンっぽくないからさ、それについてはあんまり言いたくないんだよね」

「………………」


 さらっと、なんか物騒なこと言った、この人。


 今までずっと仁科のお喋りに付き合って湯に入っていたため、全身にびっしりと汗をかいていたのに、それが一気に引いた。面白くない気分ながらなんとなく会話を耳に入れていた風呂場中の人間全員が、ぴしりと凍る。

 いや、なにより怖いのは、仁科の言い方が、あくまで、「鉄道マンらしくない」、という部分に重心が置かれているところだ。もっと大変なことを口走ったことについては、ほとんど気にしていないらしい。そんななんでもないように流していい内容ではないはずなのだが。

 仁科がちらっとこちらを見る。小泉は湯船の中で二、三歩後ずさった。

「聞きたい?」

「…………。いえ。スミマセンでしたもう聞きません」

「そう? だよね、こんな話、つまんないし」

「──で、彼女がどうしたんですって?」

 小泉が固い表情のまま強引に話の軌道を引き戻すと、仁科が打って変わってぱっと嬉しそうに目を輝かせたので、ほっとした。もうこの際、くだらないノロケ話を聞き続けているほうが、よっぽどいい。

 風呂場全体の空気もようやく安心したように弛緩したが、みんな揃いも揃って、不自然なまでにこっちの方は見ようともしない。

「いやあー、それでさ、その可愛い凪子さんを頑張って口説いている最中なんだけどね」

「…………」

 だからなんで、現在進行形で付き合ってる彼女を口説く必要があるんですか、と小泉は思ったが、未だ完全には恐怖心が去りきらないため、口には出せなかった。

「なんかね、最終列車も始発列車も、イマイチ不発なんだよなあー。ニブいのかなあー。それともはぐらかされてるのかなあー。もしかして脈なしってことだったらどうしよう、小泉君。僕、それを考えると心配で心配で、夜も眠れないよ」

「…………」

 それは多分、「凪子さん」がニブいからではなく、はぐらかしているわけでもなく、本当に仁科の口にするセリフの意味がよく判っていないから、というだけのことなんじゃないだろうか。大体、なぜそこまで鉄道になぞらえて口説かなきゃいけないのか、同じ鉄道員としても、意味不明なんですけど。

「それで新しい言い方を考えようと思ってさ。小泉君、風呂出たら、付き合ってくれる?」

「…………」

 この流れ、この状況で、ニコニコ笑う仁科に無邪気に言われて、どうして小泉に断ることが出来るだろう?

「……はい」

 悄然とうな垂れて、そのままぶくぶくと湯の中に沈む。

 ──こうなったら、仁科とマドンナが首尾よくゴールインできるように手を尽くして、さっさとこの独身寮を出て行ってもらうしかない、と小泉は泣きたい気分で決意した。




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