文化祭編(藤島)
文化祭が間近に迫ってきている。
運動部の僕と野間、そして帰宅部の南にとっては、ただクラスの出し物くらいしか関係のない行事だが、体育館でミニライブを開くという軽音部に所属している世良は、その練習に追われて忙しそうだった。というか、軽音部は、こういう時くらいしか、真面目に活動しない部なのであるが。
大体において「テキトー」が身上の世良でも、さすがにこの時期ばかりは練習に精を出さないといけなくて、このところずっと、図書室に顔を出すことも出来ず、南とデートすることもままならない、という状態が続いていたらしい。
そんな毎日にいい加減嫌気が差したのか、世良はある日の放課後突然、「今日の練習は休みだ」と言い放つと、南と僕と野間を連れて体育館へと移動し、サボリを決め込んだ。なんで体育館かというと、文化祭が終わるまで運動部はすべて休みなので、誰もいないからだ。この時期、校舎内はどこもかしこも祭りの準備で殺気立っている。
そんなわけで、僕らはがらんとした体育館の中で、四人で丸くなって座り、缶ジュースや菓子の袋なんかを広げてわいわいと雑談を楽しんでいた。ちょっとしたピクニックみたいで、意外と悪くない。世良ほどではないけれど、僕たちもお互いやっぱりいろいろとやることがあって、最近はこの面子で集まる機会がなかなか持てなかったのだ。
南は世良と久しぶりに一緒にいられて、にこにこと嬉しそうだった。
「もうさあ、部長が張り切っちゃって、鬱陶しくってさ。ちょっとミスでもしようもんなら、『気合いが足りん』って怒るし。格闘技か、っつーんだよ」
世良は日々の猛練習に相当うんざりしていたようで、ため息交じりに口をついて出るのはそんな愚痴ばかりだった。そういう熱血は、とことんこの男の性に合わないのだろう。
「あんたのとこ、こういう時でもなきゃ活動してないも同然の部なんだから、いいじゃないの。文化祭がなかったら、部活動費をドブに捨てるよーなもんよ」
「まったくだ。毎日遅くまで練習して、そういうのを青春とかって呼ぶんだろ。たまには世良も夕日を見て感動しろ」
野間と僕がまったく同情しないでそう言うと、世良は口を尖らせて南を見た。
「オレ、頑張ってるよな? 南」
「はい、とっても頑張ってます。楽しみですね、ライブ。世良君のことだから、きっとすごく格好いいですよ」
南の言葉に、世良がころっと機嫌を良くする。甘やかしすぎだ。
「そういやさあ、藤島のクラスは何やんの? 文化祭」
「プラネタリウム」
世良に訊ねられ、僕はそう答える。クラスごとの出し物は、教師と一般来場者、生徒の投票によって優秀賞などが決められる。僕のクラスは、なるべく大人ウケしそうなものを、ということでその案が採択されたのだ。
「竹ひごでドーム型の枠組みを作って紙張りしてさ。教室中を真っ暗にして、星座の形に穴をあけたボウルの中に照明を入れて、星を見せるんだ」
「面白そう」
と野間が手を叩いて喜ぶ。面白いかどうかは、まだ出来上がっていないのでなんとも言えないが、確かに手は込んでいる。方向性も真面目だから、教師たちの覚えはめでたいかもしれないな、と僕は冷静に判断していた。
「そっちのクラスは何するんだっけ、喫茶店だったか?」
そんなことを以前にちらりと聞いたな、と思いながら問うと、なぜか世良が楽しそうに身を乗り出し、野間は呆れたように口を噤んだ。南は大人しくジュースを飲んでいる。
「喫茶店でも、ただの喫茶店じゃないんだな、これが」
「ふーん。なんか、あんまりロクな予感がしないけど、どんな?」
「メイド喫茶だ!」
自慢げな世良の答えに、僕の上半身がぐらりと揺れる。僕の想像を遥かに超えて、ロクでもなかった。
「……なんて?」
「メイド喫茶だよ。知ってるだろ、ウエイトレスがフリルびらびらのエプロン着て、客を出迎えるアレだよ」
「詳しい説明はしなくていい。なんでそんなのを、高校の文化祭でやる必要があるんだよ」
「必要はなくても楽しいだろ?」
楽しいかあ? と僕はかなり疑問だったが、軽薄な世良はその点、きっぱりと自信を持っているようだった。
「よくそんな内容を、教師や学校が許可したな」
クラスの出し物を決めるにあたっては、もちろん事前に申請を出さねばならない。文化祭は一応学校行事であるから、あまりに「文化」とはかけ離れたものだと、生徒会や教師によって却下されるはずなのだが。
「もちろん『メイド喫茶』なんて名目は出さないで申請したに決まってるじゃん。やるのはフツーに喫茶店でさ、そこにいろいろ設定をくっつけただけなんだ」
「設定?」
「女王様のお茶会、っていう名前の喫茶店なんだよ。主催してるのはうちのクラスの女王様、客は女王に招かれた人たちで、女子たちは女王に仕える召使、って役割なんだ。女王とメイドが、訪れた賓客たちをもてなす場面、ってわけ。これなら、なんにも問題なんてないだろ?」
「……くっだらない」
ついつい本音が漏れる。
「誰がそんなくだらない企画を立てたんだ」
「オレ」
「…………」
どうりで張り切って説明してると思ったら。考えてみれば、世良の好きそうなバカバカしい内容ではある。
「ほらオレ、部活が忙しくてクラスの出し物までは手が廻んないからさ。企画立案だけ協力して、あとはパス、ってことにしてもらったんだよ。だから実際どこまで進んでるのか、今ひとつ把握してないんだけど。男子は全員ノリノリだし、女子たちも、メイド服っていっぺん着てみたかったんだーって、喜んでる子も多いって話だぜ」
「まったくバカバカしくてやってらんないわよ」
と、ようやく口を開いた野間が、僕の思ったのと同じことを言った。
「女王役の片桐は、ただドレス着て教室の真ん中に座って、にっこり愛想振りまくだけなのよ?『皆様ようこそいらっしゃいました』とかなんとか言って、メイド役の女の子たちに指図するんだって。本人、すっかりその気になっちゃって、もう今のうちからやたらと威張りくさってんだから」
「まあ、それは言うなって。あの女王様のご機嫌を損ねると、あとでいろいろと面倒なんだよ」
むっつりしている野間を宥めるように、世良が言った。世良と片桐、そして南の間に、以前揉め事があったらしいことは少し聞いていたから、その関係もあるのだろうな、と僕は推測した。片桐のご不興を買って、南が何らかのとばっちりでも受けることを警戒しているのだろうか。世良は世良で、ひそかにいろいろと気を廻してこんな企画を立てたのかもしれない。
「……で、そのメイド役って、まさか野間は」
「冗談でしょ」
おそるおそる訊ねてみると、野間はふんと鼻で息をして肩をそびやかした。
「あたしは厨房。片桐の命令で動くなんて真っ平ゴメンよ」
その返事に心からほっとする。キャアキャアと喜んでメイド姿に扮装するような性格じゃなくて、本当によかった。
「えーと、じゃあ、南は」
「決まってんだろ、南も厨──」
「メイドです」
僕の質問に笑って答えようとしていた世良は、南の返事に、飲みかけていたジュースを勢いよく噴いた。
「は?!」
と、僕よりもよっぽど驚愕した表情で南を振り向く。ふと見ると、隣の野間が顔を歪めて横を向いていた。今にも噴き出すのをこらえているのがありありだ。野間はこのことをちゃんと知っていて、なおかつ世良には黙っていたらしい。
「ちょ、なに言ってんの、南。お前、厨房担当だろ? オレ、それだけは真っ先に決めて、念押しもしといたじゃん!」
どうやらこの企画を立てるに当たり、それが世良の出した条件だったようだ。自分の彼女だけは安全圏に置いておこうとするセコい策略が見え見えである。
「はあ、そうなんですけど」
焦る世良を見返して、南は少しきょとんとしている。いかにも判っていなさそうな顔だった。いや間違いなく、全然判ってないに決まってるのだが。
「メイド役をやる予定だった佐橋さんが、急遽やれなくなってしまって。代わって、と言われたものですから」
「佐橋? あいつ、自分からメイドやるやるって言い出しておいて、どういうことだよ」
「彼氏さんに、断固反対されたそうです。そんな真似するなら別れるって言われたって、しょんぼりしてました」
だろうなあー、と僕はしみじみと納得したが、世良はちっとも納得していなかった。
「彼氏に反対されたやつの代わりって、南、お前の彼氏はオレだよな?」
「はい、そうですね」
そんな場合じゃないのに、南はぽっと頬を染めている。
「じゃ、なんで南はオレに事前に相談しないわけ? やってもいいかどうかって。いや相談されてもダメって答えるけど」
「え、でも」
南は世良の身勝手な言い分にぱちぱちと目を瞬き、意味が判らない、という表情で首を傾げた。
「これを決めたのは、世良君ですよね?」
「………………」
世良が口を閉じて黙り込む。
「南は悪くない」
「南は悪くないよな」
と、野間と僕が同時に言って、うんうんと頷いた。
「そういえば、今日、衣装を渡してもらったんですよ。見ますか?」
南がごそごそと自分の横に置いてあった鞄の中を探り、ビニール袋を取り出した。畳んであるからよく判らない、と思ったのか、わざわざそこから引っ張り出して広げてみせる。
「うーわー……」
それを見て、僕は思わず小さな感嘆の声をあげてしまった。
真っ白のエプロン。フリフリだ。しかもフリルのついたカチューシャまでがある。これを着た女子たちに一斉に出迎えられるのか、と思うと、期待よりもちょっと引いてしまいそうになる。
「…………」
世良は茫然とその衣装を眺めていた。「墓穴」の文字が、頭の上をひらひらと飛んでいるのが、目に見えるようだった。
「あっ、けっこう可愛いかも」
野間は一人、無責任にウケている。すっかり悪ノリ状態の彼女に、ねえねえ南、ちょっと着てみてよー、などと言われて、南は困惑しながらも素直にエプロンを身につけた。
「……うーわー……」
僕はもう一度言った。
──制服の上にフリフリのエプロン。フリルのついたカチューシャ。すごく変だ。
変だが、なんていうかその、妙にいかがわしい感じが増すのはなぜなんだ。野間はきゃっきゃと無邪気にはしゃいでいるから、こんなことを思うのは僕だけなのかと不安になって、ちらりと目を移したら、世良はますます茫然自失していた。うん、やっぱり僕だけじゃないらしい。
「それ着て、何すんの?」
僕が訊ねてみると、エプロンを着た南は、とてつもない真顔でこちらを向いた。やめて、その格好でその顔。ホント変だから。
「来てくれたお客さんに、『いらっしゃいませ、ご主人様』ってセリフを言って、注文を取るんだそうです」
「……誰だ、そんなバカなこと決めたやつ……!」
「世良君です」
頭を抱えて呻く世良に、南が大真面目に答えている。我慢ならなくなったと見えて、野間がカエルが潰されるような変な声をたてて、お腹を押さえた。
「ふ、藤島、どうしよう、あたしこのまま笑い死にするかも」
「耐えろ、野間」
全身を揺らして、野間は息も絶え絶えだ。放っておいてやるのがいっそ親切というものである。
「あとは」
現在の状況の中でただ一人、いつもと変わらない南が、今度は鞄から分厚い本を取り出す。
「こうして注文されたものを運んでですね」
と説明しながら、その本を横にして、上に缶ジュースを乗せた。どうやら盆の代用、ということのようだ。
そうして、それを両手で捧げ持つようにして、膝でつつつと僕のほうに近寄ってきた。
ジュースを、とん、と置きながら、下から覗き込む。
「『何か他にご命令がありましたら、なんなりと仰ってくださいませ、ご主人様』」
「………………」
「………………」
どこまでも忠実にシナリオ通りのセリフを口にするメイドに、じゃない、南に、僕と世良は揃って固まった。
──いや、これ、マズイだろ。
とは、世良でなくたって思う。
これを普通の女子がやったら、もしかしてそれなりに面白いのかもしれない。こういう服を喜んで着そうな女の子だったら、なおさら普段は従順さとは縁のない性格をしているのだろうから、そのギャップが笑いを取るのかもしれない。客もメイドもお互いに冗談のノリで楽しくやれる、のかもしれない。
……けど、南は多分、そうならない。
なんというか、あまりにも、違和感がなさすぎなのである。他に南より可愛い子はたくさんいるのだろうが、ここまでぴったりとメイド役が馴染むのは、きっと南以外にいない。
つまり、シャレにならない。
そもそもメイド喫茶、なんていうのは、別に女の子のエプロン姿を見たいわけではなくて、その設定にいろいろと空想を喚起させられるのが目的なんじゃないだろうか。よくはわからないんだけど、多分。その姿から、なんというかこう、様々なシチュエーションを思い浮かべて、楽しんだりするものなのだろう。多分。
他の女子ではそこまでいかずに軽い遊びで流してしまえるものが、南だと、モロにそこを直球ど真ん中で突いてくる、ような気がする。なにしろ、普段からですます調で話す変わりもんだし。
この顔、この姿、この口調、この態度で、「ご命令を」なんて、完全にシャレにならない。
「……藤島……」
気がついたら、撃沈された世良が体育館の冷たい床に寝そべって、生ける屍と化していた。顔も突っ伏し、聞こえてくる声は、地獄の底から湧いてくるような低さである。
「オ、オレは」
その拳が、ぐっと力強く握られた。
「オレはなんとしても、この企画、ぶっ潰す……!」
「……そうだね、その方がいいね」
僕は多少同情して、そう言った。やっぱり同じ男として、自分の彼女が他の男たちの夜のオカズ、あ、いやいや、とにかく妄想の種になったりする事態は、そりゃあイヤだろうな、と思ったのだ。
「どうしたんですか、世良君。大丈夫ですか?」
心配そうな南に、とりあえずそのエプロンを脱いだ方がいいよ、と僕はため息交じりに言った。
南のクラスはこの期に及んで企画の立て直しをすることになるようだし、そうなるとさらにてんてこ舞いで、文化祭終了までこうして四人でお喋りをするような時間はなくなってしまうだろう。
せめて今を楽しもう、と僕は思って、自分のジュースに手を伸ばした。