告白編・後編(世良)
「付き合って」も、「好きだ」も通じない相手に、一体どう告白すればいいんだか、オレはさっぱり判らなくなってしまった。
この場合、オレの器が小さいのが悪いのか、思考が常識的すぎるのが悪いのか。自分にはけっこう適応力も順応性もあると思っていたのに、それは間違いだったのか。
そうなの? これって、オレのほうに問題があるの? と頭は混乱する一方だ。
それでも、オレは頑張った。
もっと一緒にいたいんだ、とか、南の隣を歩きたいんだ、とか、我ながらちょっと恥ずかしい言葉だって、ちゃんと言った。健気だ。自分でもそう思う。
……なのに、南はそのたびに、「はい、うちの門限は八時なので、それまでなら大丈夫です」とか、「すみません、私、前に出すぎてましたか」とか(そう言いながら、二、三歩下がってオレのきっちり隣に並んだ)、そんな斜め四十五度くらいズレた答えばかりを返してくる。
頭もいいし、素直だし、従順なくらい寛容な性格をしているくせに、ここぞという時の南は、異星人並みに話の通じない女だった。
真面目に口説こうとした矢先に、「世良君、知ってますか」とオレよりもさらに大真面目に言い出されて、結局、まったく関係のない話題を延々と話しこんでしまい、はっと気がついたら、「じゃあまた明日」ってことになったのも、しょっちゅうだ。
なんなのお前、わざとやってんの?
苛々しながらそう思ったのも、一度や二度じゃない。通常なら、「付き合って」という言葉に、イエスかノーかで返事をすればいい、という簡単なことに、どうしてこんなに手間取るのか、ちっとも意味が判らない。こいつ、判っててはぐらかしてるんじゃないか、とオレは何度も疑った。
時間が経つにつれ、もぞもぞと胸の中に鬱憤が溜まり続けていく。
なんでオレばっかりがこんな思いをと腹立たしくて、こんな女もういいや、と思ったこともあった。他に、南より可愛い子はいくらだっている。オレに対して秋波を送ってくる女の子だっている。そっちに的を替えれば、彼女なんてすぐ出来る。今までずっと、そうしてやってきたんだから。
そんなことも、何度も考えた。
でもそう思うのに、オレは南のそばを離れられないのだった。ここまできて、南を他の男にかっ攫われでもしたら、オレは多分その場で憤死する。南のヘンな話をいちばんに聞くのも、一緒に四つ葉を探してやるのも、すぐ近くで笑顔を向けられるのも、オレじゃないとイヤだった。
他の女の子じゃ、どうしてもイヤだ。
オレが欲しいのは、「他に取り替えのきく彼女」、なんかじゃない。
そんなことを思ったのは、生まれて初めてだった。
***
なんの進展もないまま、一カ月以上が経った。
ここに至って、オレの辛抱はもう限界を超えた。これだけは絶対に言わないぞと心に決めていた砦を、とうとう自ら打ち壊すことにしたのである。白旗上げて、全面降伏だ。これで駄目なら、もう先に既成事実を作ってしまうという、実力行使に出るしかない。
その日、オレは南の家の最寄り駅までついて行って、そこのホームで、話がある、と南を引き留めた。
はい? と目を丸くした南に、オレは改めて正面から向き直り、深々と頭を下げた。
「──オレのものになってください」
「…………」
南はしばらくの間無言だった。
そろそろと顔を上げて窺うと、南の頬が見事なくらい朱に染まっていた。
鼓動が跳ねたが、いやまだ油断できないな、と自分を戒める。すぐに素直に喜べないあたり、今までのオレの苦労が偲ばれるというものだ。
「……あのう、世良君」
ためらいがちに、南が口を開く。
「うん」
「こんなことを言うのは、非常に厚かましいようで申し訳ないんですけど」
赤い顔で、両手をもじもじと組み合わせた。
「……その言葉、まるで、口説かれているみたいです」
「…………」
やっと判ってくれたか……!
オレは感極まって、思わず指で自分の目頭を押さえる。これまでの果てしなく長く困難な道程を思い返し、泣きたくなった。
「まるでじゃなくて、口説いてるんだ。全身全霊で。これ以上ないくらい全力で」
オレがきっぱりと力強く言い切ると、南はますます赤くなって、茹でダコみたいになった。そんな顔ですら、可愛いなあと思ってしまうオレは、きっと相当に病が深い。
「えええーと、あの、つまり、それは、と、友達として」
南は目に見えて動揺して、おろおろと言葉をどもらせている。
「そんなわけないだろ。オレの、彼女に、なってください、って言ってるんだ」
一言ずつゆっくり区切って言う。もしかしたら、最初っからこう言えばよかったんじゃないか……? という疑念が一瞬湧いたが、今さらなので考えないことにした。
「か、彼女ですか。私が、世良君の?」
困りきったような表情で確認されて、オレは眉を下げる。
「イヤ?」
不安になってそう訊ねてみたら、南は首がちぎれるくらいにぶんぶんと何度も横に振った。
「い、イヤなんて、そんな。あの、ただその、そんなことは一度も考えたことがないというか。想像もしていなかったというか。私を彼女になんて、そんな物好きな人が地球上に存在するとは、思ってもいなかったものですから。ましてそれが世良君だなんて、とてもじゃないけど理解が追いつきません」
「…………」
それで、今までこんなにも会話が噛み合わなかったのか。物好きだとはオレだって思うが、それを本人が言うなよな。
「じゃあさ、今からでいいから、考えてよ」
真面目な声音でオレがそう言うと、南は真っ赤になったまま、目を瞬いてオレの顔を見た。こんな状態でも、真っ直ぐに見返してくるところが南らしくて好きだ。
「は、はい、考えます。少し、時間をいただけますか」
「うん。一生懸命考えろよ。その期間、勉強も読書も置いといて、オレのことだけで頭の中をいっぱいにしろよ」
「はい。死ぬほど頑張って考えます。と、とりあえず、この現実を把握するところから」
「……そこからか……」
南を一人で考えさせていいのかなあ、と少し気がかりだったが、オレはため息をついてそれ以上言うのを諦める。どんな方向に逸れていこうが、一般人とはちょっと違う次元で頭を悩ませようが、最終的に答えを出すのは南なんだからな。願わくば、せめてオレにとっての常識の範囲内で収まるような悩み方をしてくれるといいんだが。
でもまあ、その間ずっと、南がオレのことだけを考えるというのは悪くない。オレだって、これまで長いこと、南のことばっかり考え続けていたんだから。
そそそれじゃ、と完全に上擦った声で挨拶して、南がぎこちないロボットみたいな動きでくるっと背を向けて改札へと向かう。歩く足取りがふらふらしていて、いかにも覚束ない。夢遊病患者みたいだ。
大丈夫かな、とその後ろ姿を心配げに見送っていたら、案の定、がごん、という大きな音と共に、南がホームに設置されているゴミ箱に正面から激突した。
「ちょっ……南!」
慌てて駆け寄っていくと、南は必死になって、ゴミ箱に対してすみませんと頭を下げて謝罪していた。どう見てもぶつかったのはお腹のあたりなのに、片手で押さえているのは後頭部だ。おーい、大丈夫か、とオレはますます不安になった。
「家まで送ってくよ」
もう一度ため息をついて、そう言った。いえそんな、滅相もない、とわけの判らない遠慮をもごもごと呟く南の腕を強引に取って、歩き出す。
あーあ、と心の中で思った。
オレにとって、世の中はいつもチョロいもんだった。
何かをするのに、苦労なんてしたことがない。悩んだり、苦しんだりしたこともない。誰かを心の底から憎んだこともないし、本気で怒ったこともない。それなりに上手にやっていればそこそこ適当に廻っていく、それがオレにとっての、「世界」というものだった。
なのに、なんだろ、今のオレ。
たった一人の女の子を落とすのに必死になってさ。執着して、足掻いて、焦って、落ち込んで、地団駄踏んで、舞い上がって。カッコ悪いったらありゃしない。しかも、相手はこんなヘンな女でさ。
ナメてたオレが悪かった。この世は本当に、神秘と困難に満ちている。
あーあ、きっと。
南のそばにいる限り、オレはこれからもこんな風に振り回され続けるんだろうな。この突拍子もない女の行動に、いちいち驚かされ、時に心配し、時に怒って。
……けど、やっぱり、こいつといると楽しくてしょうがない、なんて思うんだろうな。
そんな退屈する暇もない人生を送れるのって、オレにしてはけっこう上出来なんじゃないか、と思いながら、オレはどさくさに紛れて、こっそりと南の手を握った。