告白編・前編(世良)
オレは今まで、彼女を作るのに苦労をしたことなんて、ほとんどない。
というか、これまでの十七年かそこらの人生において、そもそも「苦労」というものをしたことがないかもしれない。オレにとって、「生きる」ということは、毎日少しの退屈を我慢して適当にやってりゃそれなりに廻っていくもんだろ、という、自分自身の経験と、ちょっとばかり才能のある処世術により、かなり世の中をナメきった考えの上に成り立つものであった。
何をやっても大体上手。親とも教師とも友人とも女とも、それなりに相手に合わせて器用に立ち回れる。諍いや揉め事を起こしたことも、巻き込まれたこともない。何かにのめり込むことはないけど、浅く広く知識があれば十分。いつも周囲の人間たちを、なんでそんなにいちいち物事に熱くなれるのかねえ、と不思議な気分で眺めていた。
だからさあ、ホント、想像したこともなかったんだよな。
このオレが、たった一人の女の子を口説くのに、こんなにも苦労するハメになるなんて。
最初、オレはいたって普通に、「付き合って」と南に申し込んだ。
いやこれ本当。南と知り合ってから思い知ったんだが、オレという人間は、結局どこまでも常識的なやつだった。何をもって「常識」と定義するかなんて議論はこの際どうでもいい。とにかく、普通の一般的な高校生男子が、好きな女の子に告白する場合の台詞として、オレが最初に思いついたのはこれしかなかったのだ。
「南、オレと付き合ってよ」
と。
ところが、だ。ところが南は、オレのその言葉に、照れもせずにこくんと頷いて、
「はい、いいですよ」
とあっさり答えた。
「…………」
もちろん、オレはイヤな予感しかしなかった。
「あのさ、南」
「はい」
「……意味、わかってる?」
「わかってますよ」
南は、何を言っているのか、という不本意そうな表情になって、身長差のあるオレを見上げた。
「ちゃんとお付き合いします。それで世良君、どこに行くんですか? 部室ですか、職員室ですか、図書室ですか。あ、でも、男子トイレまでは、残念ながらお供できませんけど」
「………………」
やっぱり全然わかってなかった。
てゆーかお前、オレのライフゲージを根こそぎ奪うような、そんなベタなボケをかますって、どうなの。
これでも、その言葉を言うのに、けっこう緊張してたし、心臓はバクバクしてたんだ。言っちゃなんだけど、このオレがそんなことになるのは滅多にないんだぞ。どうさりげなく言おうかと、昨日の夜は眠れなかったくらいなのに。
「……じゃ、部室まで付き合って」
オレはすべての気力を失って、肩を落としてそれだけを言った。だって他にどうしたらいいかわかんない。ここで、「付き合う」の意味を南に一から懇切丁寧に説明しなきゃならなくなったら、その時こそオレは徹底的にヘコんでしまう。
「はい、それじゃ行きましょう」
と笑い、張り切って歩き出す南と並んで足を動かしながら、オレはこの先の道のりの長さを思って、眩暈を起こしそうになった。
次にオレは、「オレ、南のことが好きだよ」と告げた。いや、これも本当。常識人のオレは、とことん常識的な手段での攻め方しか思いつかないんだからしょうがない。
その時、オレたちは駅に向かって歩いている途中だった。こうして放課後になると毎日のように一緒に帰っているオレと南は、ハタ目から見たら、もう付き合っていると思われているんじゃないだろうか。事実は受け取る人間の見方によって、どうにでも形を変えるものである、とオレはちょっと哲学的なことを思う。実際は、付き合うどころか告白もままならない状態だなんて、オレ以外の誰が思うだろう。
オレの言葉に、え、と南は足を止め、真ん丸な目をこちらに向けた。
お、これは──と期待を持ちかけて脈拍を速めたオレも、同じようにその場に止まる。
「あ、ありがとうございます」
顔を赤らめた南が、律儀に頭を下げて礼を言う。礼を言って欲しいわけではないので、「それでさ」と意気込んで続けようとしたオレに、再び頭を上げた南はにっこりして、とんでもないことを言った。
「嬉しいです。そう言ってもらったの、世良君で二人目です」
「は?!」
しゃらっと言われた言葉に、オレは目を剥いて叫んだ。
いつの間に、先を越されてたんだ? と、動揺する。教室では、いつもオレがぴったりくっついてるのに。
「な──誰に?! 軽音の部長?」
焦って問い詰めるオレに、南はきょとんとした。オレ以外に南に告白しようなんて物好きな男はそれくらいしか思い浮かばなかったのだが、なに、もっと他にもいるわけ? とさらに焦った。
「どうしてここに部長さんが出てくるんですか。野間さんです」
「の……野間?」
最近になって、南と仲良くなったというクラスメートの女子の名を出され、オレは茫然とするしかない。
知らなかった。あいつって、そういう趣味なの?
「はい」
南はこっくりと頷き、幸せそうにほんのり笑った。なんか、ムカつく。こんな顔、オレにだってあんまり見せないのに。
「南って面白い、あたし好きよ、って言われちゃいました。こんなに楽しいなら、もっと早くに友達になればよかったねえって」
へへーと緩みきった笑顔でそう報告する南は、本当に嬉しそうだった。「そんな風に言われたの、はじめてなんですよー」と目元を崩す。
「……ああ、そういう流れ」
なるほど、とオレはホッとしながら納得した。
つまりそれは友情としての「好き」なんだな、と判ったからだ。南は今まで、すごく仲のいい女友達、というのがいなかったらしいので、野間という友人を得たことが嬉しくて嬉しくて仕方ないのだろう。
しかしそこで、はた、と気づいた。
……え、ちょっと待って。
てことはオレの「好き」も、友情からの言葉だと思われてるってこと?
「いや南、ちが」
慌てて訂正しようとしたが、すっかり浮かれている南はちっとも聞いていない。
「世良君とか、野間さんとか、新しくお友達ができて、本当に最近、私って幸せだなあって思うんですよ」
「…………」
にこにこしながらためらいもなく出された「友達」という単語に、オレは自分でも驚くほどショックを受けて、それ以上何も言うことが出来なくなってしまう。南はオレのそんな様子に、まったく気がついていないみたいだった。
鈍感だ。いや、それは判ってたことだけど。
残酷なまでに、こいつは鈍感だ。
「あ、そういえば、世良君、知ってますか」
「……うん。なに?」
何を思いついたのか、明るく声を上げた南に、オレは力なく相槌を打つ。
こんな状況でも、そこから続く南の馬鹿話にちゃんと耳を傾けずにはいられない自分が、ものすごく可哀想だと思った。
──オレと南の関係は未だ、「クラスメート」の位置から、びたの一歩も動いていない。