先見
ラットという人物を評するならば、「よく目端のきく男」という言葉が最も当てはまる。
しかしそれはおおむね誉め言葉ではなく、苦々しい表情を浮かべた人々の口から、幾分かの腹立たしさを伴って吐き捨てるように出されることのほうが多い。
先のことをよく読めるラットは、あらゆるものを秤にかけて、どちらがより自分の得になるのかを素早くはじき出すと、目方が下に落ちたほうはさっさと見切りをつけて、抜け目なくもう片方に乗っかる──という性質を持ち合わせていたからだ。
その場合、相手に取り入るためには、今まで自分が与していた側の情報まで差し出すことも躊躇わない。
小狡くて、冷淡で、要領のいいこの男は、そうやってあちらこちらをフラフラと渡り歩き、立ち回って、敵からも味方からも軽蔑されても気にせずに、自分の欲にのみ忠実に生きていた。
そんなラットが最近大いに気になっているのは、この国、リジーの王位継承問題だ。
今まであれこれと揉めてきたその件は、いよいよ大詰めに差し掛かり、有力候補がほぼ二人に絞られている。
王妃の実子である第二王子は早々に脱落した。この国では、君主の後継者選びに、どの腹から生まれたかはまるで意味をなさない。自分の力で他を蹴落とし、這い上った者だけが、王冠を掴み取れるのだ。
今は、第一王子と第四王子が、王の座を巡って熾烈な争いを繰り広げていると聞く。しかし第一王子は、すでに第三王子を味方に引き入れたという噂だ。第四王子は頭脳と実行力がずば抜けているという評判だが、その二人を相手に戦わなければならないのなら、相当な苦戦が強いられるだろう。
果たして王位はどちらがもぎ取るのか。現在のこの国の民のほとんどが興味津々で注目しているが、ラットはあいにく、呑気に成り行きを眺めているつもりは毛頭なかった。
今のうちに両者を見定めて、勝ちそうなほうの懐へと潜り込むのだ。上手くすれば、とんでもない出世の道が開けるかもしれない。
王になってしまえば取り入るのは難しくなるが、現在はどちらも切実に手駒を欲しているはず。これまでラットが権力者の間をするすると渡ってこられたのは、もちろん有能さもあるからだ。話の持っていき方次第では、こちらに有利な条件で取引するのも決して無理なことではないと踏んでいた。
というわけで、まずは第四王子クィトリス・オ・リジーの人物像を見極めるべく、早々に面会の約束を取り付け、意気揚々と彼が居住する赤の離宮へと赴いたラットであったのだが──
***
なにしろラットは狡賢く、抜け目のない男である。面会の約束をしたからといって、素直に案内されるがまま第四王子に会うだけではつまらない、と考えた。
せっかく滅多に立ち入ることの出来ない離宮内に足を踏み入れたのだ。どうせだからこの機会に、離宮のことをあれこれと探っておきたい。もしも首尾よく第四王子の気を引けなかった場合、あるいは、ラットがその人物に価値を見出せなかった場合、なんらかの情報を手土産に、今度は第一王子の許へ行く口実が出来る。
離宮の建物に入り、磨かれた廊下を、案内役の男の後について大人しく歩いていたのは途中まで。
先導する男が前だけを見て足を動かしているのをいいことに、ラットは隙をついて素早く角を曲がり、身を隠した。
案内役は後ろからついてきているものと信じ切っているのか、振り向きもせずに先へと進んでいく。角から顔だけを出して、その背中を見送り、ラットはほくそ笑んだ。
油断しているあの男が、ただの阿呆なのである。勝手にうろうろしたことを後で咎められるかもしれないが、余所見をしていたら見失って迷ってしまったと、なんとでも言い訳のしようはある。
完全に足音が遠ざかると、ラットは踵を返し、口笛でも吹きそうな気軽さで、別の方向へと向かって歩き出した。こういう時は、コソコソしているよりも、かえって堂々としているほうが疑われにくい。
離宮内に、兵の姿はほとんどなかった。王宮とは違って、ここは私的な住居という色合いのほうが濃いのかもしれない。身分の高い人間は第四王子くらいしかいないのだから、そこを重点的に守っていればいいのだろう。
あまりにもラットが平然と歩いていたためか、どこからも彼を止める者は現れなかった。王子と面会するということで、身なりは上等なもので整えているからか、使用人とすれ違っても、客と思われて頭を下げられるほどだ。愉快になってきて、鷹揚に頷き返したりしながら、ラットはどんどん廊下を進んでいった。
──が。
「その先は入ったらダメですよ」
離宮の端の渡り廊下の前に出て、この先には何があるのだろうと足を踏み出しかけたところで、とうとう後ろから制止の声がかけられた。
小さく舌打ちしながら振り返る。彼の勘では、この渡り廊下の先にこそ、面白いものがありそうだったのに。
そこにいたのは、若い娘だった。
モップを手にまっすぐ立って、こちらをじっと見つめている。身に着けているのは使用人の服装だが、向けられる視線に臆したところはなく、彼に対して頭を下げようという素振りもなかった。
「いやあ、すまない。ちょっと迷ってしまって──」
如才ない笑みを浮かべ、頭を掻きながらそう言いかけたラットは、そこで口を噤んだ。
「……これはまた、ずいぶん」
喉を鳴らしたのは、無意識の行動だった。それほどまでに、そこに立っている娘の容姿が、彼の好みそのものだったからだ。
細い身体に、すらりとした手足。無造作に後ろで括られている艶々とした蜂蜜色の髪は、解けばふわりと豊かに波打ち背中に流れるだろうと想像できた。
ほっそりと肉の締まった顔は瑞々しい若木を思わせ、女に入る一歩手前くらいの純粋さ、清浄さを備えているようだった。
頭のてっぺんから足のつま先まで、繊細で柔らかな曲線で形づくられているような娘。
まだ十代後半か二十代はじめくらいだろうに、こちらに向けられる大きな瞳は、どこまでも澄んで落ち着いている。未だ完成形ではないような未成熟な部分もあって、そこがまたとびきり魅力的に映った。
先を見据える能力に秀でているラットだから、判る。
──こりゃ、あと数年もすれば、大変に美しくなる。
まだ出来上がってはいない、というところが、余計に気に入った。どこがどうとははっきり言えないが、街にいる娘たちとは、確実に何かが違っている。手を伸ばせばそのままするりと逃げそうで、そこがまた、いたくこちらの好奇心をそそる。
ラットはこういう、どこかしら謎めいた部分を持った女性が大好物だ。手に入れてすべてを探りたいという衝動に駆られて、居ても立ってもいられなくなる。
思い立ったらすぐ行動、を信条にする彼は、すぐさま娘に向かって大股で近寄って行った。
「やあ、美しいお嬢さん」
極上の笑顔でそう言ったが、相手の反応はまったく芳しくなかった。はあー? という露骨に胡乱な眼差しで、ラットを見返してくる。
ラットはすでに三十を越した年齢だが、顔立ちはまあまあ悪くないので、今まで女性にこういう目つきをされた経験はあまりない。
「どちらさま? あのね、このあたりは関係ない人がウロウロしちゃいけないんですよ」
娘はラットの笑顔も言葉も無視して、至極真っ当な注意事項を、真面目な表情で告げた。
「だから、ちょっと迷ってしまってね。それより、君、名前は?」
「人の話、聞いてます? 迷ったなら、もとの場所に戻ったほうがいいです。誰かを呼びましょうか?」
娘が今にも声を上げようと息を吸い込んだので、ラットは慌てた。
「平気さ、怪しい者じゃない。ちゃんと離宮に入る許可は得ている。案内をしてくれていた人間とはぐれてしまってね、僕も困っていたところだったんだよ」
残念ながら、離宮の探索はここまでにするしかないようだと諦めて、ラットは弁明した。
「…………」
娘は口を閉じ、ラットを見つめている。
奇妙なことに、彼女の視線はラットの目や顔でなく、彼の身体の周りに向けられていた。そこにある、目には見えない何かを探しているように。
しかしすぐに、諦めたように小さな息を零した。
「ねえ、この渡り廊下の先には何があるんだい?」
「賓客用のお部屋ですよ」
「賓客用? じゃ、今は使われていないの?」
「そうですね、今は」
娘はどうやらあまり嘘をつくのが上手なほうではないらしい。一瞬、目線が横に流れた。やっぱりこの先には何かが隠されているのか。
「ねえ、君、よかったら僕をこのまま案内してくれよ」
ラットは笑みながら、さりげなく娘の空いたほうの手を掬うように取った。娘が眉を寄せてすぐに手を引っ込めようとしたが、抜かれる前にぐっと握って引き留める。ますます細い眉が中央に寄ったのを見て、たまらなく楽しくなった。ラットには少々、嗜虐的な趣味がある。
「君、いくつ? 名前は? どこに住んでるの? ここでは働いてどれくらい? 君は──」
手を握ったまま質問を繰り出し、どんどんにじり寄って娘との距離を詰めていくラットの身体が、いきなり、ぐいっと乱暴な力で後ろに引っ張られた。
「──おれの妻だが、それが?」
まるで野良猫を捕まえるような雑なやり方でラットの後ろ襟首を掴んでいるのは、長身で黒髪の男だった。
その男を目に入れたその一瞬で、ラットは、この相手には敵わないと悟って、硬直した。彼が犬だったら、尾を丸めて股に挟み、すぐに逃げ出していただろう。
それくらい、男がまとっている威圧感は本物だった。声も口調も無感情だが、碧の眼は鋭く射抜くようにラットに注がれている。その非情なほどに凄みのある、温度のない冷たさに、全身が粟立つくらいの恐怖を覚えた。
襟首を掴まれているだけなのに、ラットの身体はびくとも動かない。どうしても、竦んでしまう。この男ならきっと、そのままあっさり自分の首をへし折ることも可能なのではないかと思うと、足元から震えが止まらなくなった。
「つ、つ、妻……?!」
すぐ背後に立っている男の迫力に度を失いながら、ラットが男と娘を交互に見比べる。
娘がこくりと頷いたのを見て、顔面から一気に血の気が失せた。
「今日面会の予定が入っていた客だな? 案内役がさっきから血相変えて探し回っていたぞ。どうやら道を間違えたらしい。おれが送って行ってやろうか?」
ひんやりとした声で紡がれる台詞は、ラットの耳には、「地獄の底に連れて行ってやろうか?」と言っているように聞こえた。
「いや、け、結構! 自分で戻るから!」
「そうか、だったらここを引き返して突き当りを左に行け。今度は間違って右に曲がったりするなよ? ここは案外、物騒だ。特に、人の妻に気軽に手を出したりするようなやつには、何が起こるか判らない」
物騒な目つきで、あからさまな恫喝をされた。
「しょ、承知した! それでは失礼する!」
しかしラットに反抗する気などは無論ない。彼の先見の明が、この男にこれ以上関わると非常に危険なことになると、がんがん警報を鳴らしている。
ラットはくるりと二人に背中を向けて、あたふたとした足取りで来た道を引き返した。
***
なんとか再び落ち合えた案内人に連れられ、ようやくラットは目的の人物に会うことが出来た。
案内人にはさんざん怒られ、嫌味を言われ、怖い顔でくどくどしいほどに注意を受けたが、ラットの耳には入っていなかった。あの正体不明の男と対峙しているよりは、キイキイ甲高い声で怒鳴られたほうがずっとマシである。正直、案内人の顔を見つけた時は、安堵と嬉しさで泣きそうになるところだった。
「……何か、予定外のことでもあったかい?」
椅子に腰かけ、冷や汗を拭っているラットに、面白そうな声がかけられる。
第四王子、クィトリス・オ・リジーはまだ二十代の若い青年だが、妙にふてぶてしいほどの落ち着きを持った人物でもあった。ラットを椅子に座らせたはいいが、彼はその向かいには腰かけず、離れた窓際の机の向こうから、こちらを眺めている。
どこかからかうような目の色と、基本的に傲岸な物言いが、まだ平常心には戻っていないラットの神経を逆撫でした。上の立場にいる人間なのだから当然なのかもしれないが、彼の態度はいちいち相手を試すようなものばかりだ。
第四王子を見定めようとここに来たのはラットのほうなのに、まるでこちらのほうが丸裸にされて、まじまじと観察されている気分にさせられる。
「いいえ、何も。ただ、ちょっとしたアクシデントがありまして」
「そうなんだ。そんなに顔色が悪くなるくらいだから、さぞ大変なアクシデントだったんだろうねえ」
なるべく余裕ぶってみたが、ニコニコした王子に返されてぐっと詰まった。どうやらこの王子が喰えない人物であることだけは本当らしい。
「……このたびは、こちらの申し出を受けてくださり、感謝しております」
諦めて、ここから舵を取り直すべく、頭を切り替える。まずは無難な時候の挨拶などから入って、徐々に本題に入っていけばいい。
この人物は、王になるかどうか。自分にとって、利用価値のある存在であるかどうか。重要なのはそこだ。
表面上は、何事もなく話が進む。第四王子は、時々人をイラっとさせる相槌を打ったりはするが、特に不快そうな様子も見せずに、和やかに会話を続けていた。あちらもきっと、腹の底でいろいろと考えを巡らせているのだろう。この男は自分の役に立つかどうか、と。
知恵が廻るところと、場合によっては汚い仕事も引き受ける心積もりがあるということ、特に欲しいのは第一王子の情報だろうから、それをチラつかせれば、きっと餌に食いつくはず──
などということを計算しながら、他愛もない話をしているうちに、世間話の流れとして、「君はまだ独身なんだっけ?」と訊ねられた。
家族がいる人間は扱いにくい、ということか、と思いながら、「ええ」とラットは微笑する。
「この年齢でと思われましょうが、なかなか良い女性に巡り会えませんでね」
「理想が高すぎるんじゃないのかい。それだけ口が廻れば、いくらでも大勢の女性を同時に口説けるだろうに」
イヤミか、と思ったが、顔には出さずにはははと笑った。
「とんでもない。私はこう見えて一途なほうですよ。理想だって、さほど……」
そこまで言いかけて、ふと、一人の娘の顔が頭を過ぎった。
「そういえば、さっき、非常に私の理想に近い女性に会ったのですがね」
へえ? と第四王子が興味深そうに首を傾げる。ラットはここに来る途中で出会った、使用人の娘のことを調子よく話した。もちろん、男のことは省略して。
あの男がどんなに怖くても、この場所ならどうせ耳には入るまい。正直言って、みっともなく震え上がった自分に対する羞恥と怒りもある。ラットは娘との出会いに「運命を感じた」と少々大げさに語り、あちらも満更ではなさそうだったと、かなり脚色をしてぺらぺらと喋った。
「へえ……蜂蜜色の目と髪の娘……」
第四王子の口元はぴくぴくと引き攣るように震えている。
「惜しかったですね、もっと時間があれば、落とせたに違いないのですが。こう、手を取りましたら、あちらもぎゅっと握り返して、熱っぽい目でこちらを見上げてきましてね。あの細い手の、しなやかですべすべとした感触ときたら、美しいガラス細工のごとく──」
得々と口を動かしていた、その時だ。
ラットの目の前を、何かが空気を裂いて横切っていった。
それが何であるか、ラットには見えなかった。ひゅっという音と、鋭い線の軌跡を感じただけだ。
前髪を風ではらりと揺らし、目玉から指一本くらいの距離をまっすぐ通過していったそれは、タンッ! という小気味よい音をさせて、部屋の端に置いてある棚の扉に突き刺さった。
「…………」
一拍の間固まっていたラットは、ぎぎぎと不器用に首を捩って、そこにあるものを見た。
……今もビイイインと音を鳴らして、小さく震えるナイフの柄。
思考の空白を経てから、ようやく状況を理解し、ざあっと蒼白になる。
「ひ、ひいっ!」
どこからか投げられたナイフが、文字通り自分の目と鼻の先を掠めるように飛んで行ったのだと判ると、ラットは悲鳴を上げて椅子から飛び上がった。自分たちの他に人の気配はないのに、どこから誰がどうして、などということも考えられない。ショックと混乱と恐怖とで、すっかり頭に血が昇り、パニック状態になってしまっていた。
第四王子に対しての礼も挨拶も忘れ、ラットは尻に火がついたように、その部屋から飛び出した。
走りながら、頭の片隅で、もう二度とこの離宮には来るまいと決意した。
味方になるなんて、とんでもない
かといって、敵にはもっと、なりたくない。
第一王子と第四王子の継承争いは、手も口も出さず、静観していよう……
***
渡り廊下の先にある賓客用の部屋は、今ではすっかり仲間内の寛ぎの場所と化している。
「君も大人げないよね、キース。ナイフで傷つけた棚、結構高価なんだよ」
ソファに座って茶を飲みながら、クイートはキースに向かって文句を言った。
「あのバカがくだらないことを言うからだ」
向かいに座るキースが、まったく反省の色もなく、ふんとそっぽを向く。
「それで、大丈夫なの? あの人、ほっといて」
キースの隣で、テーブルの上のクッキーを摘まみながら、ファルは少し心配そうだ。クイートはいかにも興味なさげに、片手を振った。
「別に問題ないよ。そもそも、あんな男を入れてやるほど、俺の懐はでかくないしね。こちら側に引き入れる気は全然なかったんだけど、あの鬱陶しい小虫にちょろちょろされるのも目障りだと思ってさ、少々釘を刺しておくつもりだったんだ。結果としては、首尾よくいった」
「だったらいいけど……」
いや、本当にいいのか? と少し疑問に思いながら首を傾げる。あのラットという人物もとても善人とは言えないが、彼の間違いは、クイートという男の腹黒さを過少評価していたことだろう。
クイートは、到底、誰かに「利用される」ような人間ではない。
「そういえばね、クイート」
ふと、ファルが思い出したように顔を上げた。
「この間、ザガドさんが言ってたんだけどね」
「ザガドさんって誰?」
「なに言ってるの、ひと月以上前に厩に入った人じゃない」
「……ファル、君、使用人の真似ばかりじゃ飽き足らず、厩にまで出入りしてるわけ?」
「最近、鉄の価格が上がってるんだって。蹄鉄も高くなってきて、街ではあまり質の良くないものが出回ってるらしいよ。もちろんこの離宮はちゃんとしたものが使われているから、ミリもラルもまだ安心だって」
「ミリとラルって誰?」
「なに言ってるの、離宮の馬たちに決まってるじゃない」
「……すみませんね、この離宮の主なのに、厩番の名も馬の名も知らなくて。君さ、そこまで人脈を広げて、やっぱりゆくゆくはここを掌握しようと企んでるんじゃ」
「どこかで鉄が買い占められている可能性がある、ってことか」
疑心暗鬼の面持ちでファルを問いただそうとしていたクイートは、キースの言葉で口を噤み、真顔になった。
「……どこかの国が、鉄を買い占めて、武器を大量生産しようとしてる、とか?」
独り言のように呟いて、難しい表情で腕を組む。
天界からの干渉がなくなった、という事実が諸国の君主たちに徐々に浸透してきた現在、そろそろ野望を抱きはじめた国が出てきたとしても、不思議ではない。
「作って売ろうとしているだけなのかもしれないがな。しかし小さな国には、まだそこまでの資金はないはずだから……」
キースも考えるように言って、ちらっと隣のファルと目を見交わした。
「まあ、推測でものを言ってもしょうがない。ただの取り越し苦労かもしれないし。──じゃあファル、行くぞ」
ソファから立ち上がり、ファルに声をかける。「うん」と返事をして、ファルも部屋を出て行くキースに続いた。
「じゃあね、クイート」
にこっと笑って手を振ってから、パタンと扉を閉める。
何気なく二人を見送ったクイートが、自分の失態に気づいたのは、数分後のことだ。
「あっ!」
いきなり声を上げて飛び上がり、急いで二人の後を追おうと部屋の扉に走り寄る。しかし取っ手に手をかける前にそこが開いて、ゴウグとエレネが姿を見せた。
「二人とも、ファルとキース、見なかった?!」
早口で問いかけたが、ゴウグとエレネは複雑そうに互いの顔を見合わせている。それを見て、すぐに悟った。
「くっそ、やられた……!」
悔しそうに髪を掻きむしる主人に、ゴウグとエレネは少し申し訳なさそうな表情になった。
「ファルさまが、『お土産買ってくるから』って言っておられましたよ」
「すみません、俺もちょっとキースには借りがあるもんで、『見逃せ』と言われると……」
「ああもう、また逃げられた! この大事な時に!」
クイートは額に手を置き、天を仰いだ。
もちろん、前々から計画していたことだったのだろう。
鉄がどうの、とファルが言いだしたのは、クイートに現在起こっていることをそれとなく知らせるため。
行くぞ、というキースの言葉は、そのまま、「ファルと一緒に確かめに行ってくる」という意味だったのだ。
今それに気づいたところで手遅れだ。二人はもうすでに準備も済ませて、さっさと姿をくらませているに決まっている。
ファルとキースはクイートの部下ではなく、協力者という立場であるから、クイートが彼らの行動の制限をすることは出来ない。
そして、あの二人はクイートの命令も受け付けない。彼らは彼らの意志と指針で、目的を定めて動く。
誰にも縛られず、風のように自由に。
「だからって今この時期に! こっちも大変だってことは判ってるじゃないか! いろいろ手伝ってもらおうと思って、すっかり段取りも組んでたのに、すべて台無しだ!」
二人の家はリジーにあるのだが、ファルとキースは何か気になることがあると、すぐに旅立ってしまう。クイートの予定などはお構いなしだ。正直に言えば引き留められると知っているから、毎回のように手を変え品を変えて、こちらを出し抜くのである。
今度は一体、どこへ向かうつもりなのか。
いつリジーに帰ってくるのか。
誰にも、判らない。
「あーもう……」
一通り不服を言い立ててから、クイートは諦めたように大きなため息を吐き出した。さすがに何度も同じことがあって、彼もまたこの状況に慣れつつある。
「……しょうがない、また計画を立て直そう。ゴウグ、エレネ、一緒に考えてくれるかい?」
「もちろんです、クイートさま」
「ファルとキースから、あちら側の情報を渡されていますから」
「まったく、頼りになるのかならないのか判らない二人だな」
忌々しげに言ってから、クイートはしみじみとゴウグとエレネに視線を移した。
「本当にこういう時、自分の意志で俺の部下としての立場に留まってくれるお前たちのような存在を、ありがたく感じるよ。これからもなるべく大事にするから、俺のそばにいてくれよ、二人とも」
「はい!」
目を輝かせて元気よく返事をする二人を見て、クイートも苦笑した。
窓の外へと顔を向けて、今頃あの二人はもう離宮を出ているのだろうかと思いを馳せる。
「……ま、仕方ないね。ファルとキースにとって、重要なのは、リジーの未来ではなく、『この世界』の未来なんだから」
ラットのように卑近な「この先」ではなく、彼らが見ているのは、もっと、ずっと先。
いろいろな重みを背負ってしまった二人は、きっと何があっても最後まで見守り続けるだろう。
地界の人間たちが、どちらへ進むのか。
──願わくば、それが、彼らを失望させる方向ではないように。
「俺も、頑張らないとね」
クイートはそうひとりごちて、ゴウグとエレネを引き連れ、部屋を出た。