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オマケの詰め合わせ  作者: 雨咲はな
赤い糸、白い羽
13/19

友人Aの独り言(3)



 ──それで結局、どうなったかって?


 退院し、医者から松葉杖がなくてもいいという許可をもらってから、加納は本当にその日のうちに、「ワコちゃん」の許へと行ったのだという。

 どうだった? と訊ねたら、痴漢扱いされた、だの、ファミレスで紙ナフキンを拾って廻った、だのという、要領を得ない答えばかりが返ってきて混乱したが、つまりは上手くいった、ということらしい。あいつにはコミュニケーションの勉強が必要なんじゃないか、と俺は今、心の底から心配している。

 現在まだゆっくりと二人の仲を育んでいる途中だというから遠慮しているが、いずれちゃんと俺にも紹介してくれるそうだ。

 どんな子なのかなあ。

 自分も失恋したというのに、初対面のフラレ男を一生懸命慰めてやろうとする、お人好しな女の子。

 加納の惚気話は、「妄想癖がある」とか「すぐ人に騙されそう」とか「ちょっと変わったところもある」とか、そんなことばっかりで、まったく人となりが伝わってこない。

 どうやって口説いたんだと訊いても、

「ワコが、『まっすぐ目を見て話せば彼女なんてすぐに出来る』って言うから、実行した」

 などという返事が来るだけで、やっぱりわからない。

 まさかその顔にモノをいわせて色仕掛けで迫ったんじゃないだろうなと不安になったが、それに対するワコちゃんの返事は、「アホだし無神経だしデリカシーがないし時々理解不能」というものだったそうである。ますます本気でわからない。おまえら一体、どういうカップルなの?

 まあでも、それだけわかっていても加納がいい、と言ってくれる子なら、きっと大丈夫なんだろう。

 会える日が、楽しみだ。



 ──と、その時の俺は思っていた。

 まさか、紹介されるよりも前に、その相手にひょっこり遭遇してしまうなんて、考えてもいなかったんだ。



          ***



 その日、俺は自分の彼女をデートに誘い、待ち合わせ場所に立っていた。

 彼女との待ち合わせはいつも、行きつけのカフェの前、ということに設定してある。店に入ってしまうと何か注文しなきゃいけないし、それで時間を取られるのが俺も彼女も好きじゃない。落ち合って、まずはちょっとゆっくりしようかということになれば、改めて店に入ればいいことだ。二人とも、あまり時間にルーズなほうじゃないから、それで別に問題はなかった。

 けれどその日は珍しく、十分くらい遅れそうだ、という連絡が彼女から入った。どうやら事故があって電車のダイヤが乱れているらしい。なんなら店に入っていて、と言われて、俺はちょっと迷った。

 どうしようかなあ。これが三十分ということなら、迷うことなく店に入るところだが、十分なんて、注文した飲み物が運ばれたその時くらいに、彼女が現れそうだ。

 すっかり春になった今、外はうらうらとした陽射しと、ぽかぽかとした暖かさに包まれている。どこかに桜の木があるらしく、歩道にはそろそろ散りはじめたその花びらが、点々と模様を作るようにして落ちていた。

 風ひとつないから、その花びらは道行く人にただ踏まれ続けるばかりで、ちょっと寂しげだ。

 昼寝をするのには最適だという気候は、歩道を行く通行人たちの顔までも、のんびりと弛緩したものにさせている。日向ぼっこのつもりで、ここでゆっくり待ち人をするのも悪くないかもしれないな、と俺は考えた。

 というわけで、歩道に植えられた街路樹に寄りかかり、時間潰しにゲームでもするか、とスマホを取り出した時。

「あっ」

 という、幼い声がすぐ近くで聞こえた。

 顔を上げてみたら、小学校低学年くらいの女の子が泣きそうな表情で、上のほうに目をやっている。女の子の近くにいる、その母親らしき女性も、困ったような顔で同じ方向を見上げている。

 なんだ? と俺もそちらに顔を向けて、すぐに理由が判った。


 風船だ。


 どこかで貰ったのか買ったのか、大きなハート形の赤い風船が、街路樹の上のほうで引っかかっている。

 ついうっかり手を離してしまい、飛んでいった風船が幸い枝か葉によって止まったものの、それは女の子にもその母親にも手の届かない位置だったらしい。

 そのことに気づいたのは俺だけではなく、通りすがりの若い女性も足を止め、あー、と口をまるく開けて風船を見上げていた。

 風船の持ち主である女の子はもちろん、その母親が背伸びをして手を伸ばしても、風船のあるところには届かない。二十代くらいの通行人の女性までが、ううーんと唸って手を伸ばしたが、無理だった。ていうか、この人はまったく無関係なのだろうに、物好きな性格であるらしい。


 ちょっと目尻が下がって、笑っていないのに笑っているような顔。やや細身で、全体的に温和で大人しそうな印象を受ける。ゆるくウェーブのかかった髪の毛が、肩の上でふわふわと揺れていた。

 美人ってわけではないが、にこにこ微笑んでいるのが似合う、いかにも人の好さそうな容貌をした、可愛いらしい雰囲気の女性だ。


 彼女は、伸ばしていた手を引っ込めると、何かを考えるような生真面目な顔つきになって、じっと風船を見つめた。「糸が……」と小声で呟きながら、ちらりと親子のほうを見て、次いで近くに立っている俺を見る。

 そして、うーむ、とでも言いたげな表情でわずかに眉を寄せた。

 ん? と怪訝に思う。

 ここは、「あなたも手伝ってくれない?」という、期待と督促の目で見られる場面なんじゃないのかな。さっきから俺もそう思って、心の準備をしていたところだったんだけど。

 なんだかその顔、俺がここにいたら困る、というものに見える。まさかとは思うが、スカート姿で木に登って風船を取るつもりだったんじゃあるまいな。

「俺がやってみましょうか」

 しかしまあ、考えていても仕方ない。この状況で知らんぷりを貫くほど、俺も冷血漢じゃないので、声をかけて彼女らの許へ寄っていった。

 すみません、と女の子のお母さんが恐縮している。女の子のほうからはキラキラとした期待に満ちた目を向けられた。なんか、プレッシャーがすごいな。

「よっ……と」

 風船はなんとも微妙な位置に引っかかっていた。俺が背伸びをし、指先をぴんと伸ばして、ようやく風船本体に触れられるくらい。触れるだけでは取れないし、下手をすると今度こそ空に飛ばしてしまいそうだ。

 いかん、指がぷるぷると震えてきた。せめて、風船の糸が下に垂れていたらよかったのだが。

 ──と、その時。

 風船よりも上の枝にかかっていた糸の先が、いきなりはらりと落ちてきて、俺の手の中に納まった。


 へ?


 なんで? 今、風なんて吹いていないよな? 枝だって揺れていないよな? まるで糸が自発的にふわりと浮いて、俺の手の中に滑り込んできたように見えたんだけど、気のせいか?

 よく判らないながら、とにかく糸を掴んで引っ張ると、風船は容易く外れた。後ろで女の子の歓声と、母親の安堵のため息があがる。

「ありがとうございました」

「どうもありがとう!」

 親子から頭を下げて礼を言われたが、はあ、とちょっとぽかんとしたまま返事をするしかない。

 今の、俺が取った、ということになるんだろうか。どちらかというと、風船が勝手に捕まりに来た、という感じだったんだけど。

 二人の後方になにげなく視線を向けると、俺の手から風船を受け取った女の子がはしゃぐ様子を、温かい微笑と共に見守っていた女性の姿が目に入った。

 彼女がふと顔を上げて、俺と目が合う。

 そうしたら、困ったようにさっと逸らされた。ん? なんで?

「お兄さんお姉さん、ありがとー!」

 と手を振って去っていく女の子とその母親に向かって、俺と女性も手を振り返す。それから改めて彼女のほうを向いた。

「あの……」

「よかったですよね! じゃあ、私はこれで!」

 女性は俺の言葉を遮るようにして勢いよくそう返すと、逃げるようにそそくさと踵を返した。呆気にとられるような唐突さだ。

 変わった人だな、と思いながらその後ろ姿を見ていたら、数歩進んだところで着信があったらしく、彼女がバッグからスマホを取り出した。

 耳に当て、立ち止まる。

「あ、加納さん?」


 俺はずるっとその場で滑りそうになった。

 今、なんて?


「さっき用事が終わったところなんです。これからそっちに……え?」

 俺にまじまじと見つめられていることなんてまったく気づいていない女性は、びっくりしたような声を上げて、スマホを耳に当て直した。

「病気?」

 途端に、声が心配そうなものになる。後ろ姿なので顔は見えないが、きっとくっきりと心配そうな表情をしているんだろうなあ、というのが容易に推測できる声音だった。

「どうしたんですか。風邪? 熱はどれくらい?」

 咳は? 喉は痛い? と一つずつこまごまと症状を聞く様子が、なんだかさっきの女の子の母親の姿と重なる。電話の向こうでは、相手もその問いにいちいち一つずつ返答しているようで、普段から彼女に甘えきっているんだろうなあ、ということも、これまた簡単に想像できた。面倒な男で申し訳ない、という気分になって、俺のほうが恥じ入ってしまう。

「病院には行ってないんですか。薬は? え、朝から何も食べてない? 冷蔵庫が空っぽ?」

 独身男なんだから、自己管理くらいしっかりしろよ。

「じゃあ、買い物してからそっちに行きますから……は?」

 慌ただしくスマホを切って足を動かそうとしていた彼女の動きが、ピタリと止まった。

「来なくていい? ヘロヘロでカッコ悪いところを見せたくないから?」

 あいつ、ホントにアホだな!

「もー、なに言ってるんですか」

 女性は──たぶん「ワコちゃん」は、呆れた声で、窘めるように言った。


「大丈夫ですよ。もともと、加納さんをカッコイイなんて思ったこと、ほとんどないし」


 ぶっ、と噴き出してしまった。

 スマホの向こうでは、どうやら相手が文句を言い立てているらしい。はいはいと返事をしつつ、ワコちゃんは注意をすることも怠らなかった。

「あんまり大きな声を出すと熱が上がりますよ。私が行くまで、おでこと脇の下を冷やして、水分を取って、大人しく寝ていてくださいね。いいですか、フラフラ起きてちゃダメですよ」

 どっちが年上だかわかりゃしない。

「じゃあ」

 スマホを切って、歩き出そうとしていたワコちゃんが、いきなりくるっとこっちを振り向いた。

 笑いをこらえるために口を手で覆っていた俺は、おっと、と急いで表情を取り繕う。これじゃ、人の会話に聞き耳を立てている、ただの不審者だ。

 しかしワコちゃんは、胡乱そうな目をするでもなく、咎めるような顔をするでもなく、ちょっとだけ照れくさそうに、えへへ、と目許を崩して笑った。


 しょうがない人なんですよ──と、まるで自慢をするように。

 そして、幸せそうに。


 それからまたくるっと背中を向けて、小走りに去っていく。これからスーパーに行って買い物をし、手のかかる恋人の世話をするためアパートに向かうのだろう。急いでいるけど、どこか弾むような足取りだった。

 俺は再び笑い出したいような気持ちになって、小さくなっていくその姿を見送った。

 心がほっこりと温かい。

 ──よかったなあ、加納。




 風も吹いていないのに、駆けていくワコちゃんの周りでは、歩道に散ったたくさんの桜の白い花びらが、まるで踊るように、ふわりふわりと空中を舞っていた。





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