夏 - 11
時間は少し遡って、五番稲田がヒットで出塁した頃、水美ベンチには静かなざわめきが起きていた。「なんや、らしくないのう。お前から言うてくるんとは」
野間笠が首を傾げながら声を漏らす正面に立っているのは、八番レフトでスタメン出場の三年麦根。
本当なら打席に備えておかねばならないのだが、彼はそれを選ばず自ら監督にとある進言をしていた。「……自分も悔しいですが、分かったんです。これは、プレーに影響が出る痛みだと」
麦根は先程守備でライナー気味の打球を走りながらキャッチした際、練習試合で一度痛めた左足が再び悪化したようで、自分のバットを手にしようとして、すぐにやめて監督の元へと向かったのだ。
「そんなにかあ?」
「はい。走るだけで、はっきりと」
「ふ~、ん」
野間笠はしばらく考えこんだ後、座ったまま麦根の肩に手を置く。
「次の試合に響いたら困るけんのう。よう自分から教えてくれたわ 」
そう言葉をかけられると、麦根はこらえていたものを吐き出すように、柄にもなく嗚咽混じりに涙を流し、両拳を強過ぎるくらいに握りしめた。
(さっきあんな事を言ってきたのは、足の調子が悪いって分かってたからか?)
麦根は先程、練習試合で彼の代打で出場した時どんな気持ちだったか唐突に尋ねてきた。
そして代わりに出る奴はスタメンの奴以上にギラギラしとおかないと困るとも言った。
それはこうして試合途中で退く事を予期していたからだろうか。
「おい円山ぁ、足見てやってくれぇ。あと、近くのもんも手伝ってやれえ」
「は、はい!」
端に控えていた円山が上擦った声で返事をし、麦根をベンチ裏に移動するよう促す。
(近くって、あ、俺かよ)
自分のすぐ傍に裏に続く入口があり、そこに円山が立っているため、なんとなく雄一は手伝わないといけない空気を感じて重い腰を上げる。
「おおい中光、お前はやめときい」
だが鉄山に続いてベンチ裏に入ろうとした雄一を、野間笠は引き止めてきた。
「え、っと」
「お前にはやってもらう事があるんや。分かっとろう」
言われて数秒してから、雄一は麦根からかけられた言葉をもう一度頭で反芻させて気が付く。
「バットもって準備せい、気持ちのな」
それを知ってか知らずか、 野間笠は急かすように一言、そう指示を出してきた。




