夏 - 3
高校野球の夏の県大会は基本的に七月上旬から始まる。
土曜日、水美野球部は一回戦が行われる球場に向けてバスに搭乗していた。
球場は水美高校から近い位置にあり、移動時間はあまりかからず、普段の練習試合の時に似た感覚で部員達は臨んでいるようだった。
「そろそろつくよ、気合い入れなー!」
マネージャー植野の声にだべっていた部員達が姿勢を正して、窓の向こうに見えてきた試合会場を眺める。
市営の総合運動場の中にある一般的な球場で、プロの二軍戦も何度か行われた事もあるらしい。
試合開始は朝時、水美野球部は早速練習を始めてグラウンドの感覚を確かめる。
「ふっ」
フリー打撃最後の打席を終え、グラウンドの端で体を休める雄一。
「お~いサボんなよ~」
そこへ稲田がすかさず絡んでくる。
「いや、フリー終わったばかりですって」
「分かってるって。試合前に疲れないようにしろよ~」
「……今のうちに動かさないと、いざという時、使って貰えないですから」
今日の試合のスタメンは昨日の部活の最後に発表された。
選ばれたのはいつものレギュラーメンバー、三年生主体の選手にエース石中と二年乃村のバッテリー、今の水美野球部のベストのオーダーだ。
雄一は勿論控え、普段通り代打要因としての起用だろう。
「なんだよ俺からレギュラー取りたかったってか~?」
「い、いや、そんな生意気な……」
「なら麦根のポジション狙いか~?」
「だから違いますって!」
冗談の通じない麦根に聞かれでもしたら大変だ、雄一が慌ててやめるように言うと、稲田はからから笑って、
「それくらい強気で試合に入れよ~? 技術が高くても低くても、発揮出来なきゃ結果も同じだぞ?」
「……分かってますよ」
例え一打席しか出番がなかったとしても、そこに全力を注がなければならない。
雄一にとって二度目の夏は、三年生にとっては最後の夏、この一年苦労してきたことを考えると、他の部員達もずっと努力してきたのだと思うと、強制的に士気が上がってくる。
「まあ、気負わないでやれよ~。俺も気負わないから」
肩をポンと一回だけ叩いて、稲田は去っていく。
彼にとっては最後の大会、もう少し緊張しても良いと思うのだが、そんな素振りを見せないのも彼らしいといえる。
「らしく、か」
初夏の日差しが肌を焼く中、雄一は肺に溜まった暖かい空気を吐き出して、グラウンドを見据える。
おそらく二時間から三時間の間に終わる一試合で、決まるのだ。
この夏、まだ野球を続けられるのかどうかが。
それは当たり前の事であり、球児にとってとても大きな意味を持つ事でもあった。
試合は予定通りの時刻に開始された。
先攻の水美野球部の一番打者青山が打席に入ったところで、アンパイアのプレイボールの声と試合開始を告げるサイレンが球場に鳴り響く。
「おしいけ~アオ!」
「青山さん頼みますよ!」
リードオフマンである青山か出るか出ないかで、この回先制点が奪えるかが左右される。
相手の野球部は三年連続二回戦敗退と決して強豪とは呼べないチームだ。
(正直、コールドで勝ちたいよな)
夏の大会はとにかくしんどい、なにせ三十度近い炎天下で試合を行い、勝ち上がれ一か月近い期間に何試合もこなさなければならない。
当然選手の体力も日に日に落ちていく。
少しでもコンディションを相手より有利にして戦うためには、コールドで試合を早く終わらせ消耗を少なくしなければならない。
勝ち上がりたいなら、序盤のコールド勝ちはある意味出来て当然なのだ。
(まあこのメンバーなら、大丈夫だろ)
過大評価する気はないが、水美野球部三年の実力は高い、県内でも有数の実力者達といってもいいだろう。
だからあまり負けの不安を感じる事はない、自分はいつ来るか分からない出番に備えて気持ちを整えておこうと、雄一が思っている中、
「あ」
キィンと気持ちの良い金属音が球場に鳴り響いた。
それは青山が相手ピッチャー井涯の三球目のストレートを痛打した音で、打球は青山の見事な引っ張り打ちによって右中間スタンドにライナーのまま飛び込んでいった。
まだ応援歌の演奏をする前だったスタンドの水美のブラバン部と応援団から歓声が沸き上がる中、青山がダイヤモンドを一周してベンチへ戻ってくる。
「おっしゃーさすがだなアオ!」
「ホームランは狙わないって昨日言ってたくせによ~」
部員がハイタッチしながら青山の先制弾を賞賛し、雄一もそれとなく便乗する。
「速いが力押しって感じか」
麦根が尋ねると青山は小さく頷いて、
「初球と三球目が甘く入ってきた。多分制球は良くない」
彼の言うとおりピッチャーの井涯は早くも球が荒れ、二番宮原は楽々フォアボールを選び、三番畑川は初球のインコースの真っすぐを引っ張ってセンター前へ。
宮原は三塁まで進んでノーアウト一三塁となって四番の沼山に打順が回る。(こりゃビッグイニングか?)
「ビッグイニングか? とか思ってるだろ」
真横から麦根に心の声を見透かされ、雄一は思わず体を仰け反らせる。
「気抜くんじゃねえぞ。まだ初回だ」
「抜いてないですって」
いちいち喧嘩腰で絡んでくる麦根に半分面倒さを感じながら敬語で返す雄一。
すると麦根は持ち前の悪い目つきでこちらを一瞥してから、
「……お前、俺の代わりに試合に出た時どう思った」
そんな事を唐突に尋ねてきた。
「え、なんですか?」
「安喜第一とやった時、代打で出ただろ」
「あぁ……」
どう、といきなり言われてもと思いながらも雄一はその時の事を考える。
麦根が足を痛めて、ピンチヒッターとして雄一は出場した。
やっと訪れた出番、結果を出せるかという不安と結果を出したいという欲求が絶え間なく生み出され、その中でヒットを打つ事が出来た。
「……まあ、緊張したっていうか」
「俺からポジション奪えて浮かれなかったのか?」
「うっ、そんな事は思わないですよ」
そんな生意気な考え方をする余裕なんてなかった、間違っても麦根に失礼な事は言えないと気を遣った返事をするが、
「馬鹿、ベンチがそんな気の持ちようじゃ困るんだよ」
謙虚な答え方を逆にダメ出しされた。
「え?」
「スタメンの代わりに出るなら、スタメンの奴以上にギラギラしといてもらわないと困るだろ」
「そう、ですかね」
「そうだよ。代わりの奴が活躍してくれる、そう信じられないと交代なんてする気になれないんだよ。特に俺はな」
なぜこの時麦根がこんな事を言ってきたのか、その時の雄一は分からなかった。
試合はその後四番沼山にもタイムリーが飛び出しさらに二点を追加。
早くも一方的な展開になるかと、雄一の出番など必要がないかと思われたのだが。




