春 - 66
「早希~、そろそろやめないと集合時間過ぎるよ~!」
「分かったー!」
エリナに返事をしてから、早希は最後の60メートルダッシュに臨んだ。
もう数え切れないくらい同じ練習を今日は繰り返したように思えた。
やる気に満ちているというよりは、練習に飢えているという心情の方が強かった。
「だっ……はぁっ……!」
今日一日の練習の疲れに体の節々が痛む、これ以上はオーバーワークになるだろう、早希は今更ながら今日は飛ばし過ぎてしまったと後悔する。
「頑張るねぇ一年」
そこへ感心するというよりは呆れるような声で、一人の上級生の男子が話しかけてきた。
「……茶野先輩」
早希は顔を見上げて、その人物が陸上部の先輩で男子のエース、茶野であった。
「……どうも」
「町谷に影響され過ぎじゃない? もっと気楽にやろうぜぇ」
「普通、ですよ」
馴れ馴れしい話し方をしてくるが、早希は別に彼と親しい仲ではない。
彼の話し方は普段からこんな軽薄という感じで、早希は理由なく好きになれずにいた。
最も男子と話す機会が大してない早希には、仲の良い男子など存在しないのだが。
「走るのそんな楽しい?」
「先輩は、楽しくないんですか?」
「まぁ~嫌いじゃないんだけどさぁ、滅茶苦茶好きって訳でもないっつか、やる気が湧き上がってくるほどじゃないっつか~」
だからなんだと言いたくなりそうだったが、一応先輩なのでやめておく。
「……やる気が出ないのに県大出場出来るなんて羨ましいですね」
代わりにやや嫌みな返し方をしてみると、茶野はケラケラと笑って、
「グーゼンだよ、それに県大会に行ったら俺はいつもガッカリして帰ってくるんだよねぇ」
「なんでですか」
負けるから 負けという言葉に反応してしまう早希。
「どんだけ頑張っても勝てない奴ってのはいくらでもいるんだよなぁ。それが分かったら、モチベがどうしてもな。だからあんまり真剣にし過ぎると挫折しちゃうぜぇ? 」
上には上がいるというのは高校での最初の大会で早希も思い知った。
あの赤根屋の走りに圧倒されて、少し落ち込んだ時もあった。だがあいにく、早希はそれを今も引きずっている訳ではない。
「自分はまだ挫折してませんので」
「しちゃうかもよぉ?」
「……挫折って、全力出した上でじゃないとしないと思うんですよね。私も最初の記録会で散々な結果になって落ち込んだんですけど、まだ努力が足りないってすぐに気づけました。挫折ならそうそう立ち直れない筈ですよね」
「……まぁ」
「先輩と違って壁に当たった事もない私は、努力しない訳にはいかないですよ」
早希が軽く笑って言い返すと、
「ははは。ほんと真面目だねぇー……」
同調されなかったせいか、少し笑顔をぎこちなくしながら早足で去っていった。
「あはははは! 良いもの見れたよ」
少し間を空けて後ろから聞こえてきた笑い声の主は町谷、彼女も練習を終えてダウンに入っている途中だったらしい。
「先輩? なんで笑ってるんです?」
「あいつが後輩に真面目に言い返されてるのが、なんか滑稽でね」
ひとしきり笑った後、町谷は早希に今日はもうやめときなと注意してきた。




