春 - 42
春の陽気が風に乗って体を撫で、熱気に包まれた競技場に爽やかな心地よさをもたらしていた。
ゴールデンウイーク明け最初の土曜日、早希は水美陸上部員として初めての大会を、市内の運動公園で迎えていた。
「おーし、いいかお前ら、今年度最初の腕試しの機会だ。記録会とはいえ手を抜くんじゃないぞ!」
設営されたテントの下で、顧問飯が大声で盛り上げ、部員達はばらけた返事を返す。
「特に一年生はまずは大会の空気に慣れるように! 場に飲まれていては本来の実力も出せんからな!」
翌週には地区大会も行われるため、その前哨戦に位置付けられるこの記録会では、水美陸上部は一年生の実戦経験に重点が置かれているため、二年三年は希望者のみが参加している。
「ちゃんと踏み切れるかな~」
「そっちが心配なの?」
「記録なんて狙ってる余裕ないって~、なんかユニ見られてハズいし~」
自主的に準備運動しながら、早希とエリナは緊張感を常に感じる中でいつものように言葉を交わす。
青と白のシンプルな色合いの水美陸上部ユニフォームはこの辺りの学校の中では結構目立つカラーリングであり、早希もこの競技場に入ってからそわそわとした感覚に体が落ち着かない。
「よーし短距離走メンバーはこっちきてー」
後輩のサポートために同行した町谷の掛け声で、部員の一部が彼女の元に集まる。
「んじゃ落ち着いてね、エリナ」
「も~ぼっち嫌~」
だるそうに愚痴を漏らすエリナに踵を返し、早希は町谷達と共にウォームアップに入る。
ストレッチで体をほぐし温め、レースに向けて状態を整えていく。
この記録会は開会式の後すぐに短距離走のレースが始まるため、開会前から体を整えて置かなければならないのだ。
「走る前に練習で疲れたらダメだからね!」
レース慣れした町谷は普段通りに指示を出し、緊張感に包まれる後輩達をサポートしている。
(さすがに慣れてる……)
その様子をアキレス腱を伸ばしながら眺めていた早希は、自らも微かな緊張感に体が固くなっている事に気づきそれを紛らわすようにストレッチに集中する。「緊張するねぇ」
そこへゆるい声で話しかけてきたのは、同じ一年で同じ女子100メートルを走る夕木だった。
「鈴浪さんはいつもと同じで落ち着いてるねぇ」
「……そうでもないけど」
「私は上手く走れるか心配だよぉ」
ややムッチリとした体を窮屈そうに屈伸させながら、にこにことしている彼女の方が落ち着いているように見えるが、早希は曖昧に笑うだけに反応を留めた。 夕木とはクラスも同じだが、陸上部以外で言葉を交わした事は殆どない。 中学時代は吹奏楽をしていたらしく、体力はある方らしいが、怠けないために陸上部に入ったという事で記録は気にしないという考え方で、なんとなく部活への臨み方に違いがあり、そんなに関わる機会もなかったからだ。
「頑張ろうねぇ」
と笑う夕木と別れ、早希は町谷達と離れて木陰に一人で佇む。
「はぁ、変な感じ」
緊張感が常に体にまとわりつき、そわそわとするレース前の感覚は中学の時にも味わったが、高校生になって最初の大会というのもあってそれもさらに強まっている。
ゴールデンウイーク中に出来る限りの練習はしてきた。後はそれを実戦で発揮出来るかだ。
(あの人は結果を出した、なんか、負けたくないもの)
先輩の野球部員中光のヒットは、ルールが分からなくてもすごい事だったのだと分かった、ベンチの盛り上がり方から伝わったきたから。
あの時のような、胸が思わず熱くなるような活躍、それに突き動かされるがまま、早希は練習に打ち込んできた。
だから結果を出したい、そんな強い気持ちが今の早希の中にはあった。
「っ、あつ……」
今日は朝から快晴で、春にしては気温が高い。
ひとまず喉を潤してからみんなのところへ戻ろうと、腰のホルダーからスポーツドリンクの入ったペットボトルを掴み、口に含もうとした時、
「そこのお嬢さん」
背後から張りのある少女の呼びかけが聞こえきた。
振り返って見ると、一メートル程の距離を置いて、片膝をついてこちらに頭を垂れる他校の女子の姿があった。
「はい?」
「そちらの飲み物、ちょーっと分け与えてくれると嬉しいんやけど、あかん?」




