春 - 3
土曜日、水美高校野球部の二年生、中光雄一は練習試合に8番ライトで出場していた。
第三打席、ランナー一塁の場面で彼は初球の外角ボール球を中途半端なスイングで当ててしまい、あえなくダブルプレーに打ち取られてしまった。
ベンチに戻る彼に悔しがる様子はなく、分かっていたという感じに冷めた表情を浮かべている。
「少しは悔しがれよ」
背後からそう声をかけてきたのは、同級生でチームメイトの高井だ。
「別に普通だろ」
「顔に出てんだよ。スタメンだってのによ」
高井は決して野球が上手くはないがやる気に溢れている。毎日朝練に出て崩壊後もいの一番に練習に出ている。
そんな一生懸命の高井にとって、いつも涼しい顔で練習や試合に望んでいる彼は、あまり気に入らないのだろう。
その後試合は3ー1で9回表を迎えたところで、雄一に打順が回ってきた。今日ノーヒットのため代打を出されるかと思ったが、監督は動かなかった。
「他の三年生使わないんですか?」
監督の横で試合を眺めていたマネージャーの植野が尋ねる。
「ランナー無しなら速攻で変えたんじゃがな」
白髭の特徴的な監督の野間笠は、髭を指先でいじりながらそう返す。
「チャンスでアヤツなら、そうもいかんじゃろ」
「…またですか」
マネージャーは少し気に食わないといった感じで声を漏らした。
「そう言ってやるな。アヤツの得点圏の打率は知ってるじゃろう?」
「打率はチームの中でも低いです」
「やれやれ、打率は確かに大事やが、野球はまず点が取れるか取れんかじゃ」
諭すように監督は声を出す。
マネージャーは納得いかないといった顔のまま、グラウンドの方に目を向け直す。
打席に立ち、雄一は場面を頭で整理する 。
(ワンナウトで一塁二塁、2点差って事は最大で逆点、か。狙って一発打てるもんじゃないが、単打で一点ってのもなあ)
自分はパワーがある打者ではない。それを分かっているからこそ、彼は自分がすべき仕事を分かっていた。
これまでの打席の時よりも、数段彼の脳は忙しく動いていた。
それはそろそろ打たなければという危機感よりも、今日初めてチャンスを迎えた事に対する高揚感に近いものであった。
三球目、内角のスライダーが甘くなったのを見逃さず、力いっぱいバットを振り抜く。
強引な打撃ではあったが、芯に当たった球は火がでるような鋭さでサードの横を突き抜けていく。打球は三塁線のギリギリ右を転がり、フェンス代わりのネットまで到達した。
その間に二塁ランナーは悠々とホームインし、一塁ランナーも思い切って三塁を蹴る。追いついた、ニヤリと口元を緩める彼だったが、レフトの返球が思いの外正確で、クロスプレーの結果アウト。
3-2と一点差に迫ったもののホームでランナーが刺された事で傾きかけた流れを引き寄せられず、次の打者はあっさりセカンドゴロに打ち取られ、彼の側のチームは敗戦した。