春 - 34
「円山はいつまでタオル濡らしに行ってるの!?」
ピンチを切り抜け盛り上がるベンチに、マネージャー植野の甲高い怒鳴り声が響く。
「すいませ~ん!」
そこへ遠くから気の抜けるような可愛らしい声で謝る女子の声が聞こえてきた。
一年生マネージャーの円山だ。
「遅い!」
「すいません!」
「水道場往復するだけで2イニング経ってるわよ! もっとテキパキしなさい!」
植野のお叱りに円山はペコペコ頭を下げ、すいませんを繰り返す。
「まーまーその辺にしておきなって、植野さんよー」
それをベンチに戻ってきた稲田が軽いノリで割って入る。
「私がしっかり言わないと、あんた達甘やかすでしょ! 特に稲田、あんたはね!」
植野はキッと睨み返して稲田を威嚇する。
「手厳しいな~植野おばさんはよ~」
「何ですって!?」
稲田と植野は同じ三年生で同じクラスなのもあっていつもこんな調子だ、特に一年生の円山はドジっ娘だが天然さが可愛らしいからかよく他の部員にもミスをしても笑って許されるタイプだ。
植野はそれが気に入らないらしく、先輩としてよく注意している。
稲田はそれを面白がってよくからかっているという構図だ。
ひたすら謝った後、ベンチの部員に濡れタオルを丁寧に一人ずつ配っていく円山。
「みんな嬉しそうだね」
それを見ながら、乃村がマスクを外してプロテクター姿のまま雄一の隣に座る。
「さぁな」
興味なさげに答える雄一のところにも、円山がやってきてタオルを差し出してくる。
「はいどうぞ、中光先輩」
「……ん、俺試合出てないけどな」
ぼそりと呟きながら受け取ると、円山はにこにこしたまま、
「すぐ出番来ますって。見てる人もいますよ」
「? 何の事だ?」
「なんだかんだで先輩を気にしてるんですよ、鈴浪さんは!」
しばらく怪訝そうにしていた雄一は、円山の口にした最後の言葉にハッとして、タオルを渡してきた彼女の手首を鷲掴みにする。
「お前、またあいつに何か言ったのかよ!」
「言ってないです! 先輩を探してるんですかって聞いただけですって!」
「言ってんじゃねえか!」
珍しく声を上げる雄一に、何事かと部員達の視線が向く。
「え、何何、その人誰?」
そして乃村が興味深そうに食いついてきて、雄一は小さく舌打ちする。
「なんでもないっての。円山、お前もいちいち大声で喋るな」
すいません!といいいながら、植野に水を売るなと注意され円山はそそくさと離れていく。
「ねぇ雄一、スズナミさんって誰? 聞かない名前だけど」
「しつこいぞ」
「女子? 今の感じだと女子だよね?」
「あ~もうだからなんだよ、そんなに変かよ」
「だって雄一、女っ気ないじゃん」
「殴るぞお前」
いっひっひと嫌らしく笑った後、乃村はすっと笑みを薄めて、マウンドの方を眺める。
「さっきの5番のバッティング、音は結構大きかったな」
雄一が聞くと、乃村はうんとこちらを見ないまま頷いて、
「石中さんのスクリューの差し込みは並じゃないね。でないとヒットだよ」
「首振ってたけど、真っ直ぐ要求だったのか?」
「ううん、あのバッターに真っ直ぐはリスクがあったから、別の変化球だよ」
ピッチャーながら、前山のバッティングには非凡なものが感じられた。
真っ直ぐ狙いの彼の裏をかいての変化球だったからこそ、なんとか打ち取る事ができたのだろう。
「思い切りがいいな」
「うん。性格が出てるね」
性格?と雄一が首を傾げる。
「小細工が好きじゃない人だと思うよ、僕はね」
「そうかぁ?」
言われて前山の姿を再度見る。チャンスが潰れた事を気にせず、爽やかな表情のまま7回のマウンドに上がる彼は、底の見えない堂々とした雰囲気がある。
「……正々堂々とした、か」
迎える7回裏、試合に出ていないとはいえ、やはり見抜かなければと雄一は思った。
前山の癖、弱点、何でも良い。
もし代打で対戦する事になった時のために。
「……凡退見られたくねえし」
隣の乃村に聞こえないよう、心情を吐露してから、雄一は前山を注視するのだった。




